第八話
「……料理。 お料理って、お料理?」
「三回も同じ単語を並べると馬鹿みたいに見えるよ、コトハ君」
ロクドウの言葉に少しムッとし、琴葉は頬を膨らませる。 その癖がどうにも子供っぽいというのは、本人の気付かぬところであった。
「浅はかなコトハ君は、昼食を作るため、その材料を買うために外出したんでしょ? 寝癖が少し付いている髪に、適当な格好、とても思春期の女子とは思えないから、遠出するとは考えられない。 方角的にはスーパーがあり、他の目的地となりそうな場所は近くになし。 そして今はまだ10時前、時間的に見て昼食だと思うんだけどどうだろう?」
「おお、凄い! ……寝癖!?」
琴葉は慌てて髪を抑える。 そんな光景を見たものの、特に気にした様子はなくロクドウは続けた。
「寝癖はウソだよ。 ついでにわたしが予想できたのは、シシ君に聞いていたからだね」
「ぜんぜん凄くない!! それにもうそれ予想じゃないよ!?」
「良いツッコミだ、将来わたしとコンビを組もうか。 で、その料理に関する知識をコトハ君に与えようと思ったんだよ、わたしは」
「……ほんとに!? 良かったぁ、あたし、何作れば良いのか全然分からなくて」
「わたしが教えるのは一つだけ。 けれどたったその一つでシシくんはもうコトハ君の手料理じゃなければ受け付けない体になってしまうはず」
「なんか少しホラー風になってきたね……」
少々恐怖を感じたものの、ロクドウに教えを受ける琴葉であった。
「よーし、えいえいおー!」
それからスーパーにて食材を揃え、家へと帰ってきた琴葉はレシピ本と食材を並べ、雀から譲り受けた熊のエプロンを身に着ける。 ロクドウもどうかと誘ったものの、家の中というのは嫌いらしく、外から監視だけは行っておくとのことだった。 それを受け、義理堅いと思う反面、やはり変わった人だと琴葉は思うものの、口には当然しなかった。
そして、そうなれば後は一人で頑張るのみだとの結論に達し、琴葉は食材の前で気合いを入れている。 並べられているのは牛肉、トマト、玉ねぎ、ピーマン、生クリームなどなど。 それらを前にし、琴葉はニヤリと笑う。
「なんか食材並べただけで料理人気分になってきちゃったよ。 これならおにーさんもあたしのことを認めざるを得ないはずっ! 将来料理人でも目指そうかな……とか。 へへへ」
そこで見るのがレシピ本の時点で先行きが怪しいものの、琴葉は一通りを読んでいく。 一応は予め作るものの想定は済ませてあり、今回琴葉が作ろうとしているのは「ボロネーゼパスタ」である。 それを眺め、食材を眺め、イメージをし、満足した。 琴葉の脳内に浮かぶのは完璧とも言える完成図である。
「イメージだと完璧だね、おにーさんが泣きながら食べている姿が目に浮かぶ! ただ一つ引っかかるんだよねぇ」
ペンを持ち、その引っかかる箇所を取り敢えず丸で囲む。 そこへ書かれているのは「大体」や「少々」や「ひとつまみ」という文字たちである。
「不良品だと疑いたくなるよ……大体って大体で良いってことなのかな……? 少々も少々ってことなのかな……? ひとつまみに至っては人によって指の大きさ違うじゃん! あたしの指でひとつまみで本当に良いのかな?」
言いつつ自身の指を見つめる。 背が小さいこともあり、琴葉の手はかなり小さかった。 それを見た後だと尚更、ひとつまみという単語の危うさに怖気づいてしまう。 一体何を基準としてのひとつまみなのか、その謎は琴葉の頭の上をぐるぐると延々回り続ける。
「……まぁ、少しくらい間違っても大丈夫だよね? あたしのことを甘く見るおにーさんを見返してやるんだから! それに何事もチャレンジしてからだよ、最悪失敗しても可愛く謝ればおっけー! よーし、えいえいおー!」
が、どこまでも前向きである彼女にとって、その料理本の不親切さは大した問題ではない。 そして多少の間違いというのも大した問題ではない。 最終的に失敗をしたとしても、琴葉にかかれば大した問題ではなくなってしまうのが恐ろしいところである。 そのポジティブさは最早、長所と言うべきか短所と言うべきか。
そして今一度気合いを入れ直した琴葉は、まずは鍋を出し、水を入れる。 一度に入れるとその重さから持ち上げることができなくなるため、棚に入っていたボウルを数回使い、ようやく鍋に水は満たされた。
「こういうとき、男の子だったらなーって思うなぁ。 腕ぷにぷにしてるし……」
自身の二の腕をつまみ、琴葉は愚痴をこぼす。 少し前まではかなり痩せ細っていた彼女であるが、雀による栄養摂取と軽い運動、それを完璧なまでによるアオの情報によって管理してもらい、今となっては殆ど同年代の女子と変わらないほどである。 身長はどうしようもないこともあり、144センチという低身長ではあるが。 ちなみに獅子女は174センチあり、琴葉とは丁度30センチもの差がある。 獅子女が琴葉を随分年下だと思い込んでいたのも、その身長が一因というのは言うまでもない。
「まいっか、ちょっと面倒臭いだけで問題ってほどでもないしね。 さてさて、お次はお湯を沸かせましてー……あ、換気扇付けないと」
火を付けたところで気付く。 自身の身長よりも随分高い位置にあるそれをなんとか回し、一息。 既に仕事をやり終えたかのような満足気な顔付きであるものの、やったことと言えば鍋に水を入れ、火を付け、換気扇を回しただけである。
「ちょっと休憩……しちゃ駄目だよね、さすがにあたしでもそこまで怠惰じゃないしね。 よーし、それそれで……野菜を炒める、みじん切り……おーけーおーけー、みじん切りだね、木っ端微塵だね、任せて!」
料理本を見た琴葉は野菜を取り出し、まずはそれらを洗っていく。 一応は小学生のときにある程度は学んでいることもあり、その辺りは滞りなく進んで行った。 問題となるのはやはり、玉ねぎのみじん切りである。
「難関だね……人生の難所だよ、これは。 あたし猫が好きだから、玉ねぎ苦手なんだよねぇ……」
猫に玉ねぎを食べさせてはいけないというものの、今それが関係あるかは定かではない。 今日のところは琴葉の発言にツッコミを入れる人物はおらず、琴葉の独り言のみが室内に響き渡っていた。
「だけどこれもおにーさんを見返すため! ロクドウさんのアドバイスがあれば大丈夫、大丈夫だよ琴葉ちゃん!」
そうして時間は経ち、やがて獅子女が帰ってくる時間へとなった。 十二時丁度のことである。
「ただいま、なんもなかったか?」
「おか、おお、おかっおおおかえり!」
「なんかあっただろ」
帰ってくるなり早々、琴葉は冷や汗を掻きながら挨拶をする。 どうやら琴葉は隠し事というのが苦手らしく、獅子女はひと目で何かがあったことを悟った。
「いやぁ平和だったよ、ほんとほんと。 もう、何も起きてないし何もなかったくらいに平和ってやつだね」
「へえ」
言い、獅子女は台所に置いてある如何にも怪しげな鍋を見つけた。 家を出るときにはなく、明らかに琴葉が使用したであろう鍋とフライパンだ。 そこで獅子女はようやく思い出す、琴葉に昼食を頼んでいたことを。
「なんか作ったのか?」
「う、うんまぁね。 でもさ、すこーし味見をしたらこれが美味しくて美味しくて……全部食べちゃったからおにーさんの分はなし! だよ! 残念でした!」
「へえ」
獅子女はそれを聞き、台所へ足を向ける。 琴葉の言葉は明らかに嘘であり、何かがあるとすれば鍋の蓋を開ければ解決するだろうと思っての行動だ。 だが、その腰に琴葉が勢い良くしがみついてきた。
「駄目だよおにーさん! それは駄目だよ!!」
「おいいきなりなんだよ! お前絶対なんかやらかしただろ!?」
「パンドラの箱だよ!! パンドラの箱は開けてしまえば終わりって知らないの!?」
「そんなやべぇ物を俺の家で作ってんじゃねえ!!」
琴葉の抵抗虚しく、力で勝る獅子女は若干足取り重く鍋へと向かう。 そして必死にそれを止める琴葉を引きずり、無視し、フライパンの上に置かれている蓋を取り払った。
「……お前将来の夢って魔女だっけ?」
「そんなに禍々しいかな!?」
出てきたものは、異様な見た目のパスタらしきものであった。 赤黒く、グツグツという音と共に瘴気のようなものが出ている。 どうすればこのような物ができるのか、そのレシピは恐らく琴葉の頭の中にしかないだろう。 正に獅子女の言葉通り、魔女が作っていれば絵になりそうな何かであった。
「……ごめんなさい」
「遊んでたのか、これ」
観念したのか、琴葉はようやくそう言葉にした。 顔は伏せられており、その表情は見えないものの、声色からして本当に申し訳ないという気持ちはあったように見える。
「……そういうわけじゃないけど。 一応、真面目にやって……気付いたら、なんか、とっても凄いものができてた」
「自分で凄いものって言うのかお前……」
獅子女は言うと、ため息を吐く。 生憎、昼食は買ってきていない。 そして琴葉が昼食を作るということを思い出してからというもの、最早外に再び繰り出す気にもなれなかった。
「皿とフォーク、戸棚に入ってるから持って来い」
「……へ?」
「真面目にやったんだろ、なら捨てるわけにもいかないし、何より他に食べ物なんてないしな。 いざというときはこの何かから出てる毒を殺せば大丈夫だろ」
「そんな危険物じゃないし!!」
そう言うものの、琴葉はどこか嬉しそうに笑い、獅子女に言われた戸棚へと小走りで駆けて行く。 そんな姿を視界に収め、獅子女はため息と共に小さく笑うのであった。