第四話
「全く最悪だな、あの日から天に見捨てられたとしか思えねえよ俺は」
「我々の失態です、責任を取るのは当然かと、神童隊長」
二人の文字刈りは十二月事件に置いての尻尾切りとされ、責任を問い質された挙句、半年の謹慎を言い渡されていた。 しかし対策部隊に置いての謹慎処分は一般的な謹慎とは異なり、成果を上げることにより復帰も可能というものだ。 もちろん、その謹慎中に手を出した案件に置いて、対策部隊は如何なる場合においても責任を取ることはない。 全てが自己責任、そういう立場でのみ、動くことが許されている。
そして、謹慎中である神童礼と四条栞がこうして話をしているのも、その成果を狙ってのこと。 神人の家の一人でも捕らえることができれば、復帰も容易いだろう。
「お待たせ致しました、ホットケーキセットのお客様」
「私です」
レストランの店員は二人の席へとやってくると、栞の前へと皿を置く。 無表情でナイフとフォークを手に取り、一緒に手渡されたメイプルシロップをかけ、栞は口を開く。
「奴らの所在を掴むのは容易ではありません。 踏み込めば必ず踏み込んだ以上の攻撃を喰らう、奴らが出てくるのを待つ方が無難でしょう。 例としてスズメの面を付けた感染者の女、奴の強さは駆逐隊の文字刈りにも匹敵し兼ねないかと」
「それはもっともだ。 だが静観することもできねえ、なんでもこの前、とある感染者が神人の家の手によって施設から逃げ出したらしい。 名前は四条琴葉、文字は『心象風景』だ。 感染者を捕獲するのに役立っていた奴だが、神人の家の連中に見事やられたってわけだ」
それを聞いても尚、栞は顔色を一つも変えない。 自らの妹であることを知り、そしてその妹の名前を出されたときですら、栞は無表情のままだ。
「お前には難しい話かもしれねえけど……」
「関係ありません。 感染者は感染者、逃げ出したのであれば捕獲し、再び施設へ叩き込むだけです」
「……そうか。 だが、問題は益村大佐がそれに関わってたってことだ。 目の前で対象を取り逃がし、さぞご立腹らしい。 んで、今回とある物が試験導入された」
「とある物?」
「感染者は通常、血中にV.A.L.Vウィルスが混ざっている。 個体値はあれど大体の感染者は10から15パーセント程度が含まれてる。 今回導入されるのは、人工的にV.A.L.Vが注入された実験体だ」
「……そんなことが可能、と? 今までの研究によれば、生まれもった許容量があり、それを超えることは滅多にないというものがあったはずですが」
栞は言うと、ティーカップに注がれた紅茶に口を付ける。 ホットケーキは半分ほどがまだ残っていた。
「それを無理矢理に突破させる。 この前チラッと研究部門の資料を拝借したんだが、あれは正気の沙汰じゃない。 正真正銘の化け物だ」
職権の乱用ではないかと思ったものの、栞は一旦最後まで話に耳を傾けることにした。 少なくとも、栞の立場では絶対に知り得ない情報だ。 それに、多少なりとも興味があった。
「四条、感染者が持つV.A.L.Vは何故、身体能力を向上させる? 奴らが扱う文字はどういう原理で起きている? 分かるか?」
神童は吸っていたタバコを灰皿へと押し付け、肺に溜まっていた空気を煙となって押し出した。 問われた栞は相も変わらず無表情で、口にする。
「身体能力の向上は細胞の活性化、脳を構成している神経細胞の増加によって処理速度の向上、それらが起因となっているかと。 文字については不明瞭な点がまだ多く残されていますが、V.A.L.Vによって引き起こされる活性化が、念動力や透過、それら特殊能力と呼ばれる現象を引き起こす方法を理解させている、と伺っております」
「ご丁寧にどうも。 その通り、ひっくるめて言っちまえば細胞の活性化だ。 腕力脚力、今言ったような神経細胞の増加による処理速度の向上、それらがあいつらの体内では起きている。 そこで繋がるのが今回導入された実験体だ」
「V.A.L.Vを打ち込み、人工的に感染者を作り出す……ということですか? しかしそれは、感染者対策法で禁じられている。 非人道的という言葉も少なからずあるはずです」
「だから表向きは人間側に付いた感染者ってわけさ。 その実中身は感染者もどき。 もどきつってもV.A.L.Vを大量に打ち込まれたそれらは、最早感染者ですらないかもしれないけどな」
言いながら、神童は栞に向け一枚の写真を渡す。 ピンボケしており、とても鮮明な写真だとは言えなかった。 だが、そこに映し出されているものが普通ではないことは理解できた。 細胞の活性化、そして許容量を超えたV.A.L.V。 それらが作り出すのは、異形とも言える怪物だ。 身長ほどの大きさの腕に、剥き出しの牙、そして骨格を無視した足の構造。 とても、人間だとは思えなかった。
「つってもこりゃ失敗策らしい。 俺が個人的に調べられる限界がここまでっつうわけよ。 まぁこりゃ確かに普通じゃねえしこんな化け物を上手く扱えるとも思えない。 だからこその試験導入、恐らくこれよりは改良されてるだろうよ」
それが、長年の感染者を研究した成果だというのか。 栞は写真を神童へと返し、紅茶を飲み干す。 そして神童に向け、言い放つ。
「万が一にでもこの実験が世間へ知れたら、感染者対策部隊の存続が危ぶまれます。 上への報告は?」
「……お前って本当に頭が堅いよなぁ。 良いか? 俺がお前にだけ話す理由は、お前になら話しても問題はないって分かってるからだ。 それは別に信頼とか信用とか綺麗なものじゃねぇ、知ったところでどうしようもねえからだよ」
神童は言うと、続ける。 その口から出てきた単語は、少なくとも栞に再度聞き返すほどに、疑わしいものであった。
「何度も言わせるな。 この件には『西洋協会』が関わってる。 俺たちの手に負える問題じゃなければ、どうにかできる話でもない。 俺ら下っ端はただただ目の前に出る感染者をぶちのめすしかねえってわけだよ」
西洋協会。 海を超えた遥か向こうに存在する協会だ。 感染者についての研究を主としている感染者の集団であり、公式に認められている存在でもある。 彼らは表向きでは日本の感染者対策方法に肯定的な姿勢を見せており、感染者でありながら感染者を取り締まる立場の者たちなのだ。 そして、対策部隊は研究資金や優秀な学者の提供もされており、感染者対策部隊とは蜜月の関係とも言える集団であるものの、彼らの真の目的というものは誰一人として知ることはない。 対策部隊とて協力関係を築いているものの、いつかは殲滅するべきとして考えているはずだ。
「……あり得ない。 いくら神童隊長の言葉と言えど、少々悪ふざけが過ぎているのでは。 時間の無駄です」
「……やっぱりそう思うか? はは、なら良い冗談だったってわけだ。 俺たちが所属する対策部隊は、そんな実験には加担しておらず、化け物を生み出してもおりません。 感染者の絶滅だけを目指しており、海を超えた向こうにある西洋協会とも関わりなんてございません。 実に良い話だぜ」
タバコを灰皿へ押し付け、残された紫煙を吐き出す。 そして、最後に神童は言った。
「結局のところ、俺たちにできるのは神人の家の連中を捕獲することだ。 余計な話をして悪かったな」
「……いえ」
その話は、奇しくも間違っていた。 神童の話は半分ほどは当たっていたが、残りの半分は的外れだったと言っても良い。 人間を感染者とする実験、それは既に終わりを迎えていたのだ。
そう、つまり――――――――その実験は既に現実的に導入できるほどに完成されている。 神童たちがその事実を知るのは、まだ先の話である。