第二十六話
チェイスギャング。 獅子女たちが拠点としている街からは少々距離がある旧歓楽街を中心とした感染者集団である。 その数は優に千を超え、拠点は数多く存在している。 幹部メンバー以上は神人の家の幹部にも劣らない文字を持っており、主に人身売買、臓器売買、密輸、麻薬取引などを資金源としているマフィアに近い組織だ。 裏の世界を知っている者であれば、名前くらいは聞いたことがあるだろう。 それほど巨大な組織であり、闇を牛耳っているとも言われている。
彼らに置いては感染者対策部隊ですら容易に手出しをすることはしない。 一般的には存在しない組織とされているチェイスギャング、彼らは過激なテロ行為、犯罪行為を行うことは滅多にないからだ。 放置している限りマフィアと大して変わらない組織、そう認識されている。 よって、神人の家のように明確な敵意を向けることはしてない。 良くも悪くも無干渉、裏でどのような繋がりがあるかは分からないが、チェイスギャングと対策部隊が交戦することは滅多にない。
それはチェイスギャングも同様で、感染者でありながら人間よりも良い生活を送れていることから、無闇矢鱈に一般人を巻き込むことはない。 もっともそれは上層部のみで、下部構成員が身勝手な行動をすることは多く存在している。 今回のことで言えば、我原をターゲットとしたのも下部構成員の仕業だろう。 我原のことを知っている者ならば手出しは普通しない、だが手を出したということは新人辺りの仕業と思える。 身勝手な行動、そう言い切れる出来事だ。
しかし、彼らの絆はその辺りの組織とは比べ物にならない。 一度起きた出来事を徹底的に追い詰め、清算させる。 それがチェイスギャングがチェイスギャングと名乗る由縁だ。 特に過激派ともなれば何事もなく終わるということは決してない。
「って感じっすね。 僕らにとっちゃかなーり厄介で面倒な相手っす、何より相手は僕らよりでっかい組織っすから」
説明を終えたアオはソファーへと座り、コップに入ったジュースを飲む。 毎度のことであるものの、アオの情報網は底を知らない。 元よりある程度知識はあったものと思われるが、詳細部分まで調べ上げてくる辺りは流石としか言いようがないだろう。
「我原が揉めたってのは旧歓楽街の南側だな。 だったらロイスの連中だろう、面倒な奴だ」
それを聞き、口を開いたのは獅子女だ。 ロイスという名を上げ、広げられた地図の一部を丸で囲う。
「この辺りがロイスの管轄だ。 小さな拠点はもっとあると思うけど、とりあえず本拠地って意味でな」
その囲われた部分を見た後、獅子女の顔を見て尋ねるのは琴葉である。
「ロイスって?」
「チェイスギャングは一枚岩じゃねえ。 旧歓楽街の中心部にチェイスギャングのボス、二階堂師道及びその配下が居て、東西南北にはそれぞれ管轄している幹部が居る。 んで南側って言えばロイスって奴の管轄だ。 興味本位で行くなよ、琴葉。 あいつは性格が捻くれてる」
ロイス=ミネルト。 二十代後半の男であり、厄介な文字を持つ感染者だというところまでは獅子女も知っている。 紳士風の立ち振舞いを好む変わり者だ。 一度会ったことはあるものの、獅子女が好むタイプの男ではなかった。
「でも結局同じ組織っしょ? なら関係ないんじゃないの? そいつらのこと良く知らないけどさー」
それを聞き、次に口を開いたのはシズルであった。 窓枠の上でバランス良く胡座を掻きながら尋ねて来る。
「そうでもありません。 あくまでも管轄下での揉め事はその管轄内でどうにかするという傾向がありますから……恐らく、今回の件で出てくるのもロイスの管轄のみでしょう」
「うっし、んじゃ俺が行ってその南部? とかロイス? って野郎をまとめてぶっ飛ばせば良いっつうことだな。 簡単な話じゃねえか」
「待ちたまえ軽井沢くん。 君は全くいつもそう考えが短絡的なのだから、そういうのは美しくないと言えよう。 良いかい? 彼らは攻勢を得意とし守勢を得意としないのだよ」
「えっと……なら、尚更攻めちゃった方が……」
それぞれの会話の中、琴葉もたどたどしくはあるものの参加をしていた。 それを見ながら獅子女は不思議に思うも、どこか天然が入っている琴葉だから仕方ないと完結させる。 自身らのやり方に賛同は出来ないと言いつつ、何故か協力的な琴葉だ。
「いや駄目っすねそれは。 例えばの話っすけど、琴葉ちゃんは明日のテストでこの漢字出しますーって先生に言われたらどうするっすか?」
「頑張る!! あたし、漢字は苦手だけど頑張るよ!」
「……それは頼もしいっすけど、そういう話じゃないんすよね。 大多数はそれに対し『対策』を講じるんすよ。 んで、チェイスギャングも当然その対策を講じて来ます。 具体的に言えば、戦闘になる可能性が起きた時点で、ロイスたちは拠点を一時的に移しているってことっすよ」
考えてみれば、当然の話であった。 わざわざ広く知られている拠点で待ち構える必要はない。 チェイスギャングの本分は追って殺すであり、待ち伏せて殺すではないのだ。 そしてそれらを遂行するために身を隠す術を彼らは知っている。
「アオ、その拠点は特定できるのか?」
「んー、やってみないとなんともっすね。 ただ、一日二日じゃ間違いなく無理っすよ、獅子女さん。 もちろん調べた結果分からなかったってことも充分あり得るっすね、奴ら相手なら」
アオですらそれだけの時間を要するとなると、本格的にこちらは守り側となるだろうとの予測を獅子女は立てる。 もしもチェイスギャングが仕掛けてくるとしたら、アオが調べきる間にチェイスギャングの攻撃を耐え忍ぶことができるか、という勝負になってくるだろう。
「オーケー分かった、今日から二人一組で行動しろ。 シズルと桐生院、村雨とアオ、楠木と軽井沢、俺と琴葉、そんで我原と雀だ。 まとまって行動した方が良いかも知れないけど、窮屈だし疲れるだろうしな」
獅子女の言葉に、一同は息を飲む。 雀と我原の仲の悪さは全員が知るところであり、当然別々かと思われた二人が一緒にされたのだ。 そのペア行動については誰も文句を言わない一方、獅子女の采配は正気と思われるものではない。 下手をすれば仲間割れすら起きかねない選択だ。
「中々面白いねシシくん。 ところでわたしは? 忘れてない?」
「お前は一人でも問題ないだろ、ロクドウ。 けどそこを制限するわけじゃないし、誰かと一緒に居たいなら好きにしろ。 連絡は一応いつでも取れるようにな」
「適当だなぁわたしの扱い。 ま良いんだけどね、わたしはわたしの好きなように日常を謳歌させてもらうよ、くふふ」
ロクドウは笑い声だけを上げると、ふらりと室内から出ていった。 神人の家においてもっとも行動を制約するのが難しい人物がロクドウだ。 普段の行動から何をしているかすら定かではない彼女だが、確かな力と知恵、そして組織として動くときは必ず居るということから、獅子女はそう言った。
「……獅子女さん、本気ですか」
「悪いがオレも同意見だ。 獅子女さん、さすがに冗談がキツイと言わざるを得ないな。 この女とオレでは相容れないことくらいあなたも分かっているだろう。 正気とは思えん」
そして、やはり苦情が出るのは我原、雀のペアからであった。 我原はともかくとして、雀がこうして獅子女の案に意見するのは大変珍しいことである。 つまりそれは、獅子女の案がそれほど良案とは思えなかったからだ。
「丁度良いし仲良くしてくれよ。 このままずっと揉めてばかりだと先行き不安だしな」
「……分かりました。 では、私自身の気持ちを押し殺し、嫌々渋々我原さんと行動を共にしましょう」
「ガキか貴様は。 オレとて貴様との行動など吐き気を催すが仕方あるまい。 さりとてオレの邪魔だけはしてくれるなよ」
「そっくりそのままお言葉を返しましょう。 あなたの身勝手に私を巻き込まないことを祈ります」
そして、睨み合う二人。 再度の言い合いを見越した他の面子はぞろぞろと室内から去って行く。 アオが情報を調べきるまでの間、いつどこでチェイスギャングに襲われるかは分からない。 戦力の均衡化、それが守勢の場合の最善手だ。 どの組み合わせも返り討ちに出来るほどの戦力はあり、強いて言うなら雀及び我原の組み合わせは過剰とも言える戦力だ。 二人だけで一つの街など簡単に壊滅させられるほどの戦闘能力を有している。
「……無益なものだ。 オレは行く、貴様は獅子女さんの命に従うのであればオレに精々付き纏え」
「獅子女さん、半径何メートルであれば離れていても良いですか?」
「もうちょい仲良くしろって……。 お互いがお互いをカバーできる距離なら任せるよ」
「であれば、視界内に留めることにはします。 構いませんか、我原さん」
「貴様でカバーできる距離がオレにカバーできないわけがない。 好きにしろ」
そんな言い合いをしながらも、二人は室内から去って行く。 短い会話の中で一体どれほど喧嘩の要素を見出していくのか、獅子女は苦笑いをしつつ二人を見送った。 だが、この組み合わせについては後悔はしていない。 個々は強い、だがその合わせ方は知らない二人だ。 雀も我原も単独で戦うことには長けているが、他の者と力を合わせるということは得意としないタイプである。 故に、今回もっとも危険なのは雀と我原のペアなのだ。
ならば何故、獅子女はその組み合わせにしたか。 当然、これを乗り越えさえすれば神人の家は多大なる恩恵を受けるという意味も含まれていた。 だが、同時にここで終わるようであればそれまでだとの考えも持っていた。 待ち受けているのは容易な戦いではない、チェイスギャングとのこともそうだが、それ以降のことも踏まえてのもの。 強大な力を持つ者だからこそ、今一度見直さなければならないと獅子女は考える。
「おにーさんとペアなら安心だね! らっきー!」
「お前が一番危ないから俺が付いてるんだよ。 勝手に道路に飛び出したりするなよ」
「そこまで子供じゃないし!? むう」
頬を膨らませ、琴葉は抗議の意味を含めて獅子女に言う。 が、そんな言葉と仕草は軽くいなされ、獅子女は「行くぞ」と言うだけであった。
「行くって、どこに?」
「ん? 俺の家だよ。 お前は雀のとこに住んでるかもだけど、俺は家帰りたいし。 それにアジトが一番危ないからな、現状」
今現在、琴葉は雀が所有する家の一つに住んでいる。 毎日雀も使っているわけではないものの、獅子女としては自宅がもっとも心安らぐ場所であった。 そのことから獅子女は言う。 そして、アジトが一番危険だということは獅子女だけが思っていることではない。
それを理解しているからこそ、他のメンバーもこのアジトを後にしたのだろう。 だが、言われた琴葉はパッと笑顔となり、こう言った。
「それは朗報だよ! おにーさん!!」
「どこがだよ……」
とびっきりの笑顔に、あまり良い予感がしない獅子女であった。
だが、物事は既に始まってしまっている。 獅子女は思い、歩き出す。
「ともあれ、チェイスギャングは俺たちに手を出した。 あいつらがどう思おうと、それは事実として俺の頭の中に入った」
仲間が襲われ、それに対抗しその者たちを殺した。 過剰防衛、世間ではそう言われる所業だ。 だが、あくまでも獅子女たちが生きるのは一般的な世間ではない。 この世の底、感染者同士という争いは起こすべきではないものの、思想や理想、そして目指すものが違えれば起こるべくして起きてしまう。 通常の人間同士であれば、静かに続く争いだろう。 だが、文字を持つ感染者同士がぶつかるということは何を表すか。
「――――――――戦争の始まりだ」
感染者の集まりにおいて、この日本に置いて最大の組織、それがチェイスギャングだ。 その名は活動拠点としている区域を除いて、広く知れ渡ってはいない、それは彼らが決して弱いというわけではない。 この上なく、身を隠すのが上手いということなのだ。
対するは神人の家。 規模に置いてはチェイスギャングの半分以下であり、幹部以下の感染者は一般人数人分でしかない。 だが、幹部以上の文字においては国家に危険視されるほどの集団である。
今、最大の組織と最強の組織の争いが始まろうとしていた。
以上で第一章終わりとなります。
一章時点でのキャラクターや、おまけを後々投稿予定となります。