第二十三話
四条琴葉を救出してから数日が経過した。 学校が終わり、いつもの日課でアジトを訪れた獅子女は相変わらずの光景を見ながら次のことを考える。 雀は本を読んでおり、アオはソファーで寝転びゲームをし、桐生院はクラシック音楽を聴きながら鼻歌、軽井沢は漫画を読みつつタバコを吸って、我原とロクドウはそれぞれどこかへ出かけており、シズルはどこから持ってきたのかダーツをやっており、村雨は部屋の掃除、楠木は別の部屋へ閉じ籠もって……といういつもの光景だ。
「ねね、おにーさん、暇だしあそぼーよ。 トランプとかどう?」
そう、ただ一つの例外を除いて。
数日前、断定して言えば丁度二日前、このアジトに一人の少女が来訪した。 それをたまたま外に居た我原が見つけ、捕まえ連れて来たところ、琴葉だったというわけだ。 どうしてここが分かったのかという問いには「あたしの文字だよ、おにーさん忘れたの?」という返事で、何をしに来たという問いには「手助けしてくれるって言ったじゃん、おにーさんの傍に置いて!」という元気の良い答えが返ってきたというわけである。 そのときに思い出すのは、その前日に雀とアオから伝えられていた言葉だ。 もし琴葉が自分から入りたいと言ったら、その意思を汲んで欲しいというもの。 そして実際にその流れとなったとき「やられた」と思った獅子女である。 知らぬところで、雀やアオと琴葉は随分仲が良くなっていたようだ。
しかし「別に良いよ」と、一度そう言った手前、獅子女も無碍には出来ずとりあえず一旦アジトに置いておくことにした。 意外なことに神人の家の幹部たちは特に拒否することはなく、琴葉のことを受け入れたのだ。
「お、なんすかなんすかトランプっすか? 僕も混ぜてくださいよ、トランプ超得意っすよ」
「トランプやんの!? 獅子女さんが!? ぷは、それチョーウケんだけど。 俺も混ぜてよ良いっしょ?」
「お! アオさんとシズルさんもやろうやろう! トランプみんなでやると楽しいよ!」
そして、仲良くなっている者たちさえいる。 琴葉の明るい性格は神人の家の空気を明るくしており、アオやシズルのようなノリの良いメンバーにとっては嬉しい知らせであったのだ。
そんな琴葉は髪を肩よりも少し長い程度まで切り、左耳の上辺りには熊のキャラクターのヘアピンが付いている。 どうやら全て雀の手によって整えてもらったらしく、良くも悪くも面倒見が良い雀は妹のような琴葉の身の回りの面倒を見ているのだ。 少々子供っぽくないか? と獅子女は思うも、琴葉の趣味なのかもしれないと思い、口にはしなかった。
「……騒がしくなったな」
言いながら、獅子女は外を見る。 今日も今日とて変わらぬ景色は外だけであり、室内ではメンバーが騒がしいほどに遊んでいた。
「ほらほらおにーさんも早く! 雀さんもっ!」
「わ、私もですか。 実のところ、トランプでは神経衰弱くらいのものしか、ルールを知らないのですが」
「……いやさすがに冗談っすよね? 雀さん」
「冗談に決まってるでしょー。 いやいやさすがに雀ちゃんでもそこまで世間知らずなわけないしーみたいな? でしょ? 雀ちゃん?」
そんな会話が獅子女の耳に入る。 そして、向かおうとしていた足が止まった。 思い直し、再び獅子女はその場にある椅子へ座り込む。
「ちょっとおにーさん! はーやーくー!」
が、琴葉はそれを許さないと言わんばかりに獅子女の下へとやって来ると、腕を引っ張り無理やり立たせた。 元々元気であった琴葉だが、しっかりとした食事と環境になってからその元気さが二倍にも三倍にもなったようにさえ感じる。
「……いやでも、俺トランプとかやったことないんだけど」
「上には上が!? おにーさんそれやばいよ! 緊急事態だよ!」
「ならば私が教えますよ! トランプ!」
「お前さっき神経衰弱? しか知らないって言ってたじゃん……なんでそんな自信満々なんだよ」
雀の謎の自信に得体の知れない恐怖を感じつつ、獅子女は数人が待つ場所へと琴葉に引っ張られて行くのであった。
「テメェよくも……!」
「くだらん、貴様らの行動は酷く不愉快だ。 このオレに楯突くのがどういうことか身を持って知れ」
神人の家のアジトからは遠く離れた地に、我原鞍馬は居た。 ふらりと出かけ、必要最低限のときにしかアジトへ足を運ばない彼にとって、街を意味なく徘徊するというのは日常の一部であった。
そして今日に限り、路地裏を歩いていた我原は三人の男に囲まれた。 その男たちは三人共に感染者であり、身なりの整った衣服を着ている我原を一般人だと思い、取り囲んでしまったのだ。 三人共、頬には首を持った死神の入れ墨があることから、恐らくこの街のギャングか何かだろうと我原は推測した。 同時、くだらないと感じた。
最初こそ男たちは我原に金品を出せと言っていたものの、我原がそれを一蹴したため殴りかかった。 が、我原はそれを軽くいなし、既に二人の男が地に伏している。
「オレの文字は死屍累々。 地獄の痛みを知りたくなければ去れ、オレは人を殺すと食欲が削がれる、故に人殺しは好まない、加えてその死に果たして意味があるかを考えろ。 くだらんことを何度も言わせるなよ、ゴミめ」
「っざけてんじゃねえぞッ!!」
「……馬鹿な奴め。 オレは忠告はした、それを聞かずに手を出したのは貴様だ。 であれば仕方なし――――――――死屍累々」
「は、ぐ、ぁああああああアアアアアアアアアアッッッ!?」
「痛みとは時に凶悪な武器となる。 貴様は既に左頬の切り傷、右足の打撲、腹部の打撲だ。 オレが与えた痛み、しかと受け止めよ。 オレの痛みに泣き叫べ、そして死に至れ」
「いた、ぁああああッッ!! た、たすけ、痛い痛い痛い痛いイタいッ!! がぁあああああああアアアアアッ!!」
狂ったようにのたうち回り、男は白目を向き口からは泡を吹く。 感じたことない激痛、意識を失い死んだ方がマシとも思える激痛は顔、足、腹部を襲う。
「直に死ぬ、すれば貴様とて助かるだろう。 では、オレは行く。 さらばだ」
「ぁああああああアアアアアアアアアアアッッッ!!!!」
縋るように我原の足を掴もうとも、痛みからそれは叶わない。 我原の文字、死屍累々は屍を築き上げる力だ。 自身が与えた痛み、それを数十倍、数百倍にまで引き上げるという残虐な文字。 更にその痛みによって死に至ることはあれど、それは脳の死であり体の死ではない。 故にその痛みは脳の容量が壊れるまで続き、意識を失うことも痛みが和らぐこともない。
獅子女たちが暮らす街で、逆らうなと言われている二人。 一人は獅子女で、そしてもう一人がこの男なのだ。 我原鞍馬――――――――獅子女を除けば最強とも言われる男である。 情けのなさで言えば獅子女以上とも言われ、もしも彼に楯突いたのであればそこからは数時間悲鳴が止むことはない。 何より凶悪なのは、その文字に合わさった彼の身体能力である。
我原はかつて、一度だけ死の先を超えた痛みを見た。 それが起因か、我原のV.A.L.Vの濃度は極めて高く、それ故の身体能力の高さを持っている。 その能力は雀の斬撃を見てから回避できるほどであり、単純な文字なしでの戦い、そして思考や思想を抜いての単純な戦闘能力で言えば、彼に勝てる者は存在しない。 彼のV.A.L.V含有量、それは雀や獅子女ですら上回る……90パーセントという膨大な数字のV.A.L.Vが、彼の血液には含まれている。
「……食欲が失せた。 つまらん街だな、ここも」
その言葉は白い息となり、暗くなりつつある空へ消えていく。 我原はそのまま空を見上げると、白い粒が空を舞っていた。
「雪か、珍しい」
この辺りでの雪は珍しい。 ここ数年で降ったことはあるものの、積もるほど降ることは滅多になかった。 だが、今日は体の芯まで冷えるような気候であり、我原はなんとなく積もる予感がしていた。 あくまでも予測、外れればそれもまた面白いと、我原は想う。
「お、ガハラ君はっけーん。 こんなとこで何してるの? 珍しいね、雪が降っているのに傘も差さずに。 濡れるの嫌いじゃなかった?」
「ロクドウか。 見れば分かるだろう、散歩をしている最中に降ったまでのこと、分かりきったことを聞くな」
「なるほどね。 でも散歩にしてはいい匂いがするけど? クンクン、これはなんの匂いかなぁ? うーん、分かった! 生き物の血の匂いだ! それも感染者、V.A.L.Vが含まれた血の匂い。 くふふ、美味しそうな良い匂い」
「……理由なく襲われたまでの話。 オレとて無駄な殺生は好まん、意味ない死ほど退屈であり愚鈍なものもない。 生き物は皆、何かを目指し死にゆくべきだ。 愛情、友情、夢、希望、それらを目指し、そして心半ばで死するときこそ生が輝く。 オレはそんな殺しをするために歩いている。 決してゴミ掃除をしに来ているわけではない」
神出鬼没とも言えるロクドウは、突如として我原の目の前に現れた。 いつも何をしているのか、それは神人の家でももっともロクドウと付き合いが長い自分ですら知るところではなかった。 そして同時に、興味というのがあるわけでもない。
「殺した、ねぇ。 実はさっきさ、たまたまわたしも死にかけマンを三人見つけたんだよね。 一人は狂ったように叫んでたんだけど」
それは、我原がやった三人と同じだ。 そんなことくらいはロクドウでも分かっているはずで、かと言ってわざわざ面倒な言い方をするのがロクドウという人物であった。 掴みどころがなく、我原相手ですら一切怖気づくことはない。
「あの子たち、チェイスギャングの子たちだね。 可哀想に、殺しちゃった人」
「……どういう意味だ、ロクドウ」
「あれ、興味ある? えっとね、チェイスギャングはこの辺り一帯を仕切ってるマフィアに近い集団。 頬に生首持った死神が彼らのマーク。 一度売られた喧嘩は死の底まで追ってでも清算させる、それが彼らのポリシーだよ。 まったく後先考えない馬鹿がこの世の中には居るんだね。 その子の知り合いも可哀想、絶対巻き込まれるしさー。 その馬鹿は絶対に本名の最初が「が」で始まって、終わりは「ま」だよ、間違いないね。 くふふ」
「分かってて言っているのであれば殺すぞ、ロクドウ。 問題ない、オレ一人で殺し尽くす」
「くふふ、それで済めば良いんだけど。 でもさ、一人で殺るって言ってもわたしはその前に神人の家の一員だしね。 上には報告させてもらうけど良いよね?」
「勝手にしろ。 どのみちアオが居る限り獅子女さんの耳にはすぐ情報が入る」
「潔し。 それでこそガハラ君だよ、良い子良い子。 でも気を付けなよ、ガハラ君。 彼らは個々の力はそれほどではないけど、数はわたしたちより余程多い。 しかも幹部クラスなら強さもわたしたちとそう変わらないはずだしね。 世界は広い! わたしたちだけで回っているわけじゃーないんだよ。 ああ、なんだか楽しくなってきた。 実に百十年振りの楽しみだ」
そう言うロクドウは無表情ながら、まるで笑っているような声色だった。 その場でくるくると回り、舞い落ちる雪と踊っているかのようにロクドウは舞う。 そんなロクドウから一度視線を逸らし空を見ると、雪は勢いを増しているようにも見えた。 そして、再度視線を降ろす。 既にロクドウはどこかへ行ったようで、薄っすらと積もった雪に浮かぶ小さな足跡だけが残されていた。




