第二話
「全員居るな」
獅子女は廃ビルの屋上に居た。 そして、獅子女の前には十名ほどの人影がいる。 その全てが感染者、そしてその全てが神人の家の構成員だ。 それらを纏めるのは一人の少年、十六にして感染者たちに恐れられる感染者の少年……獅子女結城だった。
「アオが調べてくれたけど、今この地区には政府の人間がわんさか居る。 拠点も多く設置され、全部で十五の拠点がある。 簡易式のテントが張られ、感染者対策部隊って書かれてるからひと目で分かるだろうな。 俺からの命令はただ一つ、全員ぶっ殺せだ」
「りょーかいっす。 担当とかあるんすかね?」
最初に反応したのは、銀髪の少女だった。 見た目で言えば獅子女とそう変わらない年齢かと思われる。 和服を着ており、欠伸をしながら言う。
「ないよ。 アオ、お前の文字は対多数向けだしそっちのほうが良いだろ?」
「んー、まぁぶっちゃけどっちでも良いんすけどね。 僕の文字食らったくらいで死ぬ人、こんなかにいないっしょ」
アオと呼ばれた少女は周りを見渡しながら言う。 その言葉は煽る意味など含まれていない、純粋な想いからくる言葉であった。 当たったくらいで死ぬ人はいないという、ある意味での信頼とも取れる言葉だ。
「手加減なしで良いのか?」
次に獅子女の言葉に反応を示したのは、金髪の髪を後ろで一つに纏めている男だった。 獅子女よりも年齢は上、口にはタバコを咥えている。
そう、この男こそ先日までの通り魔爆破事件を起こした張本人。 軽井沢という男だ。 文字名、一触即発。 火を付けたタバコを任意で地面へ触れさせることで爆破を起こす文字だ。
「お前が人間どもにそんな情けをかける気持ちを持ってればな。 好きなようにやれ」
「くははっ! 良いね良いね、それでこそ獅子女さんだぜ。 了解」
軽井沢は笑い、その廃ビルから降りて行く。 一際残虐な性格をしている軽井沢にとって、一刻も早く行動を起こしたいのだろう。
「特に質問なけりゃ行くぞ。 それとロクドウ、お前は俺と来い」
「シシくんがどうしてもって言うなら良いけど。 でも、シシくんに好かれてたのは意外かな」
ロクドウと呼ばれたのは、幼い少女だった。 背丈は140ほどしかなく、またその身なりも少女めいたものであった。 フリルが付いたメイド服のようなものを着ており、蒼い目と金色の髪は西洋人形を思い浮かばせる。
「引くってことを知らねえから言ってんの……」
「またまた、そんなこと言って」
「……あーもう良い。 そろそろ行くぞ、軽井沢はもう行っちまったみたいだけど、取り敢えず文字刈りに会ったら俺に連絡寄越せ」
獅子女は言うと、ビルから飛び降りる。 それに続くように、ロクドウもまた飛び降りた。 こうして、長い長い夜は始まる。
「あ、お味噌切らしちゃった……香織ー、悪いんだけどお味噌買って来てくれない?」
「えぇ、今から? もう今日は室内モードなんだけど」
「そう言わずにさ、お駄賃あげるから。 ね?」
四条香織はソファーで寝転びながら絵を描いていた。 そんな姿勢で描くなと怒られそうなものであったが、四条にとっては一番描きやすい姿勢で描くというのがモットーであった。 そしてその最中、キッチンに居た母親から声がかかった次第である。
普段ならば丁寧に断っている案件であったものの、四条はお駄賃という言葉に釣られ、渋々ソファーから起き上がった。
「……今度結城にクレープ奢らないとだしなぁ。 仕方ないか」
「あら、獅子女くんとデート?」
「そ、そんなんじゃないって! ただの友達、お友達ッ! それにあいつ、絶対恋愛とか興味ないから」
「うふふ、そうね。 それじゃあこれ、気を付けてね」
母親は四条に紙幣を渡すと、笑顔で四条の頭を撫でた。 四条は自身のことでありながら、他よりも人一倍優しい母親だと感じている。 こういう家庭に生まれてきたことを何度感謝したことか、数え切れないほどだ。 気がかりがないとは言えないものの、母親と父親に関しては感謝している。
「うん、行って来ます」
「行ってらっしゃい」
そうして四条は家を出ていく。 が、家を一歩出た瞬間に何かを感じ取った。 冬で外は冷気に満ちているが、それとは違う何かだ。
「……風邪ひいた? 帰ったら早いとこ寝ようかな」
しかし、特に気にすることもなく四条は近場にあるスーパーへと向かって歩き出す。 街中では、いつもより街灯は照らされて、更にいつもより人も多く点在していた。 警戒中であるからそれは当然としても、見慣れている光景と少し違うそれは、なんだか不気味であった。
「あそだ。 あいつもう仕事終わってるかな? 暇だし電話しちゃお」
思い立ったが吉日。 そんなことを考え、四条はポケットから携帯を取り出した。 最近、特に忙しそうであまり構ってもらっていない。 そのことからの当て付けという意味も少なからず含まれていたものの、四条はその内心に気付かない。 そして、電話帳から獅子女の名前を呼び出し、通話ボタンを押す。
「……」
数回のコール音、四条は出るのを期待しつつ、スーパーに向かって歩いて行く。
「……」
更に数回のコール音。 やはり仕事中なのか、ちょっと迷惑だったかもしれない。 そんなことを思い始める。
「……あ」
そろそろ切ろうかと思ったそのときだった。 コール音が止み、電話の奥から環境音が聞こえてくる。 どうやら、繋がったようだ。
『四条か? どうした』
「あ、ごめんね急に。 いやさ、ちょっと暇で」
『俺は暇じゃないんだけど』
「……たはは。 だよねー」
『……』
「……」
『……もしもし? そんで、暇潰しさせろってことだろ? だったらなんか話せよ』
「う、あ……ごめんごめん。 切られるのかと思った」
『俺をそんな薄情な奴だと思ってんのかお前。 まぁ良いけど、ちょっと立て込んでるから急に切れたらごめんな』
獅子女はよく、自分のことを優しい奴だと言ってくれる。 だが、それを聞いていつも思うのだ。 獅子女の方がよっぽど優しいよ、と。 今日に至るまで、それを伝えられたことはないが。
「ほんと、忙しいときにごめんね。 なんかさー、お母さんがお味噌切らしちゃって、こんな時間に買って来てーって頼まれちゃって。 その八つ当たり」
冗談交じりで言う。 獅子女であれば絶対に面白い返しをしてくれると、いつものようにそう思っていた。 だが、それを聞いた獅子女はいつもとはまるで違う声色で言った。
『……四条、お前今外に居るのか?』
「へ? あ、うん。 そうだけど」
『そうか。 いや、今日はなんか外が慌ただしいからさ、なんかあるかもしれないって思ったんだ。 出来る限り早く帰れよ』
「分かってるって。 クレープ屋もやってないし、寄り道するところなんて――――――――へ?」
笑いながら言ったそのときだった。 自分の顔に、何かが飛び散った。 それは暖かく、ヌメリ気があり、少し、鉄臭く。 何かと思い、頬に触れる。 少量であったが、何かが付いたのは間違いないようで、触れた手に何かは付いた。 そして、ゆっくりとそれを確認する。
「なに、なにこれ」
どす黒く、まるでそれは……人の血だ。 自分が知っているような赤いものではなく、大怪我を負ったときに溢れるような、どす黒い血だ。
「おお、上物! おいお前ら、こいつ攫おうぜ」
「え? え?」
若い男が数人、目の前に居た。 見るからにガラの悪そうな連中で、男たちの足元には顔から血を流した中年の男が居た。
『おい、四条? どうした?』
「いや、いやぁあああああああああああああああッ!!!!」
「おい暴れんなよ。 ヒデ、車」
「あいあい」
『四条? おい、返事――――――――』
携帯は踏まれ、通話は途切れる。 男たちは街の状況が厳戒態勢に近いということに便乗し、犯罪を繰り返し行っている連中だ。 政府側が敷く『感染者対策部隊』は、感染者に関することでしか動かない。 感染者にしか興味がないとも言い切ることができ、それを理解している連中にとっては絶好の機会なのだ。 警察が介入できなくなるこの時期、時間帯は一般犯罪が盛んとなる。 それを知る者たちは決して多くはない。
「や、やめて! お願い、やめて!」
「薬薬、眠らせろこいつ。 うるさくて仕方ねえ」
リーダーと思われる男が言うと、近くに居た男が布切れを口に押し当てた。 すると、すぐさま意識は遠のいていく。 逃げるという意思も、力も、たったそれだけで全てが闇に沈んでいった。