第十八話
「あまり綺麗な場所ではないですが……私がたまに使う部屋なので、ご自由に使ってください」
食事を済ませた雀は、ひとまず琴葉が寝泊まりをできる場所の提供へと踏み込んだ。 今案内したこの部屋は、雀が所有する数ある住居の内のひとつである。 アパートの一室で、良い部屋とは言えないものの暮らす分には不自由のない部屋であった。
「ありがとう雀さん。 あたし泣いちゃいそうだよー」
「そんな大袈裟な……今日は私もここに泊まるので、明日は生活必需品を揃えましょうか」
困ったように笑うと、雀は言った。 琴葉は人と話すというだけで楽しくあり、そして言葉通り涙が出そうにもなっていた。 久し振りとの人との会話は、それだけで琴葉にとっては感動に値するものであった。 言葉を発すれば返事がある、それがどれだけ嬉しいことなのか、琴葉でなければ分からないことである。
「なんか色々して貰って罪悪感が……。 あたしに出来ることあったらなんでも言って! わりとなんでも出来るからっ!」
言われた琴葉はそう返し、雀の両手を握り締める。 雀はそれに対し「分かりました」と告げると、続けた。
「まずは髪を切りましょうか。 今日はまだ時間もあるので、こう見えて散髪は得意なので」
「おお! さっすが雀さんかっくいい! なんか雀さんって何でも出来るお姉さんって感じだよね! 他にも得意なこととかあるの?」
「そうですね、料理や書道などもそれなりには学んでいますが、一番得意なことと言われると……」
雀は顎に手を当て、少しの間思考する。 獅子女から教えてもらった生きるということ、それを活かすために様々なことに手を出している雀であるが、その中でもっとも得意とすることとなると……。
「人間を斬ることですかね?」
「怖いっ!? そう言われるとあれだね、雀さんもおにーさんの仲間なんだなぁって思うかも」
「おにーさんとは、獅子女さんのことですか? まぁ私たちにとって、対策部隊の奴らは殲滅対象です。 そういう集まりなんですよ、私たちは」
「……なんだかダークヒーローって感じだね!」
琴葉は言いながら握り拳を作り、顔の前へと移動させる。 若干興奮している様子もあり、少なくとも雀は本当に理解しているのか疑問に思ったものの、当の本人である琴葉が問題としているのはその部分ではなかった。 琴葉にとって雀とは既に「優しいお姉さん」の枠に収まっており、それが揺らぐことはない。 彼女の心は笑えてくるほどに純粋であった。
「でもでも待って、そしたら助けられたあたしってもしかしてヒロイン……!? そうすると、主人公みたいにズバッと助けてくれたおにーさんのヒロインってことになって……あわわな展開になっちゃうかも!?」
「それは駄目です」
「あ、はい」
ふざけて言った琴葉であったが、雀の顔が怖かった。 冷静に返事をし、琴葉はすぐさま話題を変えることにした。 今後、雀の前では妙なことを言うのは止めようと心に誓って。
「そういえば雀さん、さっき「私たち」って言ってたけど……他にもいるの?」
「全部で十人ですね。 獅子女さんがボスで、他にも私を含めた幹部は九人です。 所属しているという感染者を入れれば百名近くにはなりますが、何かをするときに主に行動するのはその十人ということです。 神人の家、という集まりですね」
「おお、凄い! 悪の組織ってやつだね」
「善悪で考えたことはあまりありませんが……そうなるんですかね?」
「おにーさんって意外と凄い人だったんだねぇ……みんな雀さんみたいに良い人なのかな」
「私とて善人ではありませんよ。 それに、全員が全員……というわけでは」
そこまで口にしたところで、雀は一度目を深く瞑り、開いた。 思考を過ぎったのは一人の男、あまり協力的とは言えず、獅子女の言葉にもっとも牙を剥く男の姿だ。
「いえ、こちらの話でしたね、気にしないでください。 切りに行きましょうか」
「……人を?」
「髪ですよ髪! 今の流れで人を斬るのはおかしいですからね!」
言われた雀は焦って言う。 自分がただの人斬りが趣味の奴だと思われていないかという心配もあった。 そして、そんな雀が面白かったのかクスクスと笑う琴葉であった。
「……と、こんな感じでどうでしょう?」
数十分という時間を掛け、雀は琴葉の髪を切り終えた。 率直に言えば美容師顔負けの腕とセンスがあり、琴葉は鏡を見て思わず息を漏らす。 元々短めの髪型が好きだった彼女にとって、腰よりも長いほどに伸びてしまった髪は鬱陶しくて仕方なかったのだ。 そんな髪が今は肩ほどまでになっており、前髪も目に少しかかる程度になっていた。
「完璧だよ雀さん! あたし雀さんと結婚したいくらいだよ!」
「同性なのでそれは少し難しいですが、満足して頂けたのなら何よりです」
雀は笑うと、琴葉の首から下を覆っていたカットクロスを取り外す。 その動作も手慣れたもので、本職ではないのかと琴葉は疑うほどであった。
「前髪は多少あるので、もし嫌でなければヘアピンもありますよ。 使いますか?」
「使う使う! いやっほー!」
自分好みの髪型になったということで、今の琴葉のテンションは最高潮である。 故に何を言われても取り敢えずは肯定というように、琴葉は笑顔でそう言った。
そしてそれを聞いた雀は引き出しからヘアピンを取り出す。 それを琴葉の髪に取り付けるのもやはり手慣れており、もっとも似合う位置、耳の上辺りに数秒で付けた。 再び鏡で再確認、琴葉は思ったことを素直に言う。
「雀さんって、熊が好きなの?」
「ッ! そんなわけありません! たまたまです、たまたま!」
付けられていたヘアピンは、可愛らしい熊のキャラクター型のヘアピンであった。 幸いなことにそんな子供らしいものであっても琴葉には外見も相まって似合っていたのだが、指摘された雀は狼狽える。 何を隠そう、熊のキャラクター物が好きで集めさえしている雀であった。
「あたしは好きだよ! 熊もパンダも。 動物可愛いよね、へへ」
「……そうですね」
屈託のない笑顔に、そう返すしかなくなってしまった雀は、諦めにも似た笑みを浮かべて言う。 琴葉には敵わないなと思いながら、自分よりも幼く、純粋無垢という言葉が似合いそうな琴葉の面倒を見るということに嫌悪感は全くなかった。
「ふぃー、お風呂気持ち良かったぁ」
風呂から出た琴葉はソファーへと腰掛ける。 施設での風呂は水を浴びるようなものだけで、暖かい風呂というのは実に人間であったとき以来のことだ。 その一つ一つに感動、感謝をしながら琴葉は天井を見る。 何もない天井が広がっていて、だがいつも見る天井とは違ったそれが、楽しかった。
「琴葉さん、少し用事ができてしまったので出かけて来ます。 もし何かあったら、この携帯で私に連絡をしてください」
ソファーでボーッとしていたところ、横で髪をまとめていた雀が目の前に携帯を置いた。 用事というのは、恐らく神人の家での用事だろう。
「気を付けてね、雀さん」
「そう言って頂ければ、何事もなく済みますね。 では……あ、冷蔵庫にアイスや飲み物は入っているので、ご自由にどうぞ」
言いながら、雀は家を後にする。 一人で残された空間は大きくも感じたが、寂しさというのは不思議と感じなかった。 待っていれば誰かが帰ってくる、それも数年という単位ではなく、それが分かるだけで、一人というのはこれほど気楽なのだと思った。
……だが、これからのことというのは嫌でも考えなければならない。 いつまでも雀に迷惑をかけるわけにもいかず、いつかはどうにかしなければいけないことだ。 それは分かっているものの、そこで琴葉に襲いかかるのは五年間という時間だ。 本来であれば、心を育てるべき時期で彼女は狭い部屋に閉じ込められた。 そこで全ては止まり、そこで受けた待遇によって小さな心はとっくに死んでいてもおかしくはなかったのだ。
それでも彼女が無事でいられたのは、彼女の持つ文字の力が大きい。 それだけが唯一の繋ぎであり、唯一の拠り所であった。 故に今の琴葉が外に出たとしても満足に生きていけるか、と問われれば答えはノーというものになる。
獅子女はそれを理解しており、雀へ少しの間面倒を見るように頼んでいた。 結局のところ、その行動は正解だったと言えよう。
「うーん、とりあえずは恩返しだよね……恩返し、恩返し……よっし、良いこと思いついた!」
琴葉は一人呟くと、その思い付いたことを行動へと移す。 自分に今できること、それをやらずにはいられなかった。
――――――――このときはまだ、誰一人として気付いていない。 四条琴葉という一人の少女が、獅子女結城に与えていく影響というものを。
「……もう寝てますよね?」
数時間後、雀は神人の家での仕事を終え、琴葉が待つ家へと帰宅していた。 今回で言えば対策部隊の動きについての情報共有であったが、移動で随分な時間を取られてしまった。 車が欲しいところであるものの、どうしてか獅子女に「絶対やめろ」と言われていることもあり、所有するには至っていない。
「布団を一応用意してはおいたんですが……」
ソファーに座り、テーブルに突っ伏すように眠る琴葉の姿が目に入った。 苦笑いをした雀は、琴葉の下へと行き、その体を布団の上へ移すべく抱き抱える。
そんなとき、一枚の紙が目に入った。 どうやら部屋に置いてあったメモ帳の一枚のようで、横には使われたと思われるペンも置いてあった。 琴葉らしい、可愛らしい文字たちが目に入る。
「……家に帰ると人が居る。 案外、悪いことではないですね」
笑い、呟き、雀は琴葉を布団へと寝かせるのであった。




