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感染者のことは  作者: 獅子師詩史
第一章
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第十七話

「公園、懐かしいな。 なんだか夢みたいだ」


 誰も居なくなった公園で少女は呟く。 四条琴葉は行き先に困り、途方に暮れつつも先行きに不安は全く感じていなかった。 右を見れば知らない風景があり、前を向いても知らない風景があり、左を向いても知らない風景が広がっている。 上を見れば綺麗な夕暮れ、赤い色の空がこれでもかと視界いっぱいに入り、下を見ても映るのは冷たいコンクリートの床ではなく、砂で覆われた地面だ。


 たったそれだけのことが、琴葉にとっては何より新鮮で、何より嬉しいものだった。


「へへ、えへへ……。 自由、自由なんだ、あたし」


 言いながら、座っていたベンチで横になった。 外は冬で気温は低かったが、それでも暖かく感じる空気があった。 外の空気は体を突き抜けるように新鮮で、先ほどまでの逃走劇がまるで夢のようにも感じてしまう。 ここに来てようやく実感でき、ようやく体感できたそれは笑顔となって琴葉の表情を作り出していた。


「……うーん、とりあえず休めそうなところ行こうかな。 今でもホテルとかってあるよね?」


 誰に聞いたわけでもなく、琴葉は呟く。 本来であればその言葉は冬の乾燥した空気の中に消えていくはずだった。


 そう、本来であれば。 つまり、今は例外ということ。


「お困りですか、琴葉さん」


「へ!? きゃ!!」


 突如として顔を覗き込まれ、声がかかった。 目に入ってきたのは黒髪長髪の美人、凛とした顔立ちで、まつげが長く目がくっきりとし、クールでビューティーな人であった。 全く見知らぬ人であり、琴葉は勢い良く起き上がると振り返る。


「突然すいません、怪しい者ではないので」


「あ、え、えと……」


 そう言われても、益村のことがあった所為もあり、動揺してしまう。 琴葉は目を泳がせ、どうするべきなのかを思考した。 自分の名前を知っており、いきなり声を掛けてきたこの人物にどう対処するか。 何か怪しい勧誘か、宗教の類か、そうも思ったことから、琴葉は言う。


「ま、間に合ってますので……」


「……何がですか? あ、自己紹介がまだでしたね。 私は柴崎雀、獅子女さんから依頼を受けて、少しの間ですがお付き合いさせて頂きます。 いきなり一人でというのも中々難しいと思いますし」


 言われて、ようやく気付いた。 護送車が両断されたとき、その前に付いていた救急車に乗っていた人物だと。 スズメの面を付けていた所為で顔が分からなかったが、受ける雰囲気は間違いなくこの人物だ。


「……えっと」


 だが、それでも困惑してしまう。 いくら誰か分かったとしても見知らぬ人ということには変わりない。 本当に信頼していいのか、けれど獅子女の依頼ということは信頼して大丈夫そうでもある。 いずれにせよ、自身を助けてくれた内の一人なのだから。


「とりあえず、着替えを持ってきたのでどうぞ。 趣味に合うかは分かりませんが……」


「あ、ありがとうございますっ!」


 言われて、ようやく自分の格好を思い出した。 まるでボロ雑巾のような布切れ、それは女子としてあまりしていたい格好ではない。 琴葉は雀に差し出された服を受け取り、ひとまずは着替えを済ませることにしたのだった。




「あの、ありがとうございます」


 近くにあったトイレにて着替えを済ませた琴葉は、ベンチに座っていた雀へと声をかけた。 遠くから見た雀はやはり凛としており、ただ座っているだけだというのに絵になりそうなほど姿勢も表情も雰囲気も、同じ感染者とは思えないほどである。 絵を描くのが好きな姉がモデルにしたいと言い出しそうだな、と琴葉は思う。


「敬語なんて使わなくて良いですよ。 ちなみに、私のこれは癖のようなものなので気にしないでください」


「……じゃあ、そうさせてもらおっかな! ひひ、あたしもこっちの方が楽だから」


 いたずらっぽく笑い、琴葉は言う。 その格好は大きな熊が描かれたトレーナーとデニムだ。 正直な話、琴葉は「なんだか子供っぽい」という感想を抱いたものの、さすがにそれを口に出すことはない。


「ええ、分かりました。 それで、今後のことですが……あ、先ほど私は「獅子女さんに依頼をされて」と言いましたが、あれは獅子女さんには秘密でお願いします。 俺が言ったというのは黙っといてくれ、と言われていたので」


「それ、言っちゃって大丈夫だったの……?」


「だから秘密なんですよ。 獅子女さんは一見冷たいと思われがちなので……私が勘違いをして欲しくなかった、というのが大きいのかもしれません」


 それを聞いた琴葉は、この人は優しい人なんだな、と感じた。 そして同時に、獅子女のことを尊敬しているのだとも感じた。 自分が獅子女のことを勘違いしないように、それを伝えたかったのだろう。 心配せずともそうは思わないよ、そう言おうとしたものの、言わないでおいた。


「それで本題に入りたいのですが、その前にご飯でも食べますか。 お腹は空いていますよね?」


「えへへ、まぁ、それなりには」


 照れ笑いをし、琴葉は言う。 感染者が施設で受ける待遇というのを雀は知っているのか、それに気を利かせてくれたのだろう。 とは言っても、琴葉にとっては外に居るということこそが何よりも嬉しく、我侭を言うつもりもなかったのだが。


「では、行きますか」


 数年経ち、自分が見知っているはずの街の風景は変わっていた。 あったはずの建物は消えており、更地だった場所には目新しい建物が建っている。 道路も風景も変わった街は新鮮な感じを受け、同時にどこか寂しさも感じてしまう。 まるで自分だけ、数年間の時を飛ばされてしまった気分にもなっていた。


 だからこそ、雀の親切な対応は嬉しかった。




「タバコは……吸いませんよね?」


「吸わない吸わないっ! 未成年だし!」


「ですよね。 禁煙席で」


 それから二人が訪れたのは近場にあったファミリーレストランだ。 夕方ではあるものの夕飯時とは言えない時間帯、あまり店内に人の姿は見えない。


 店員は琴葉と雀を見て姉妹だとでも思ったのか、ニコニコと笑顔を浮かべながら席まで案内をすると、二人の前へ水を置いた。


「支払いは私がしますので、お好きなのをお好きなだけどうぞ」


 雀は言い、開かれたメニューを琴葉へと手渡した。 琴葉は礼を述べつつ受け取り、羅列された品目を眺めていく。


「琴葉さんは、外の情報というのはどれだけご存知ですか?」


「あんまり……かな。 でも、文字のおかげで少しは知れてるよ」


「文字……ああ、そう言えば文字を聞いていませんでしたね。 私の文字は『一刀両断』です。 今は持っていませんが、刀を使いどんなものでも両断できるという文字です。 一応刃物であれば何でも使えますが、切れ味などの問題もあって……」


「刀! わぁ……カッコいい!」


 年相応というべきか、雀が言い終わる前に刀という単語に琴葉は目を輝かせる。


「か、カッコいい……ですか。 そんなことはないですよ、本当に」


 雀は目を逸らし、言う。 褒められるということにはあまり慣れておらず、琴葉が出す真っ直ぐで嘘偽りない言葉が存外照れ臭かったのだ。


「それで、琴葉さんの文字は?」


「えっとね、あたしのは『心象風景』。 顔と名前が分かれば、その人の今を視ることができるんだ」


「精神系の文字ですか、それは凄いですね。 なるほど、それで対策部隊はそれを利用して……」


「うん、まぁ……そんな感じ」


 詳細なことを知らなかった雀は、そこでようやく琴葉の持つ文字、及び待遇を理解した。 感染者として捕らわれたのみ関わらず、生かされているということは果たして喜ぶべきことなのか、そう思わなくもない。 生き地獄、という言葉もこの世の中には存在するのだ。


「まぁ、堅苦しいお話は食べながらにしましょうか。 その方が話しやすいと思うので」


「おっけー! なら、あたしはこれかな」


 明るい子だな、と雀は琴葉の受け答えを見て思う。 捕まった感染者が良い待遇など受けられないのは誰もが知っている。 きっとそれは生き地獄で、死んだ方が楽だと言えるかもしれないことだ。 だと言うのに、目の前に居る少女の笑顔は綺麗で、心もまた綺麗なものだ。 とてつもない強さを持った子だ、そう思った。


「パン、ですか?」


「うん! トーストパンね、トーストパン。 焼いてあるかどうか大事だから!」


「了解です。 飲み物はどうします?」


「飲み物? 水があるよ、雀さん」


 それを聞き、雀は察した。 常識が常識ではなくなる、それが施設での生活だと。 他の常識というのは全て消え失せてしまうのだ。 例えば、琴葉が数あるメニューからわざわざパンを選んだように。 飲み物を聞かれ、水があると当然の如く言ったように。 それらは琴葉の中で常識として確立しており、他のものは常識外ということで考えるまでいかないのだ。 雀が「好きなものを」と伝えたとしても、琴葉には端から一つしか見えていない、それ以外は選ばないのではなく、選べない。


「……私に任せたのはそういうことですか、獅子女さん」


 ふと笑い、雀は呟く。 まるで、昔の自分を見ているようであった。 そして、そんな自分は獅子女によって救われたのだ。 だからこそ今度は自分がその役割ということだ。


「へ? 雀さん?」


 琴葉は不思議そうな顔で雀を見る。 突然、自身の手を雀が握ってきたのだ。 小さく、痩せ細った手を包む雀の手は暖かい。


「決めました。 しばらくの間、私が琴葉さんに付き添います。 これは要望ではなく決定です」


「え、え?」


 意図が読み取れず、琴葉は困惑する。 突然のその申し出は琴葉にとって想定外のことであり、かと言って「決定」と言われた以上、断るという選択もなくなっていたのであった。

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