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感染者のことは  作者: 獅子師詩史
第四章
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第二十五話

「っ……」


 重い体を起こす。 雨が降っており、服と髪は水浸しになっていた。 強い雨はアスファルトの地面を叩き、単調な音を延々と奏でている。 ぼやけた視界はすぐさま現実に引き戻され、四条琴葉は辺りを見回した。


 見知らぬ土地、とは言っても自分はそこまで街のことを知っているわけではない。 ビルが雑多に並び、その間に挟まれるようなところ……簡単に言ってしまえば路地裏に琴葉はいた。 背中が少し痛むが、目立った怪我はない。 動く分にも問題は何もなさそうだ。


「あれ……あたし」


 最後の記憶では、雀の運転する車内で気を失ったところだ。 あまりにも雀の運転は荒く、神人の家の中でも恐れられているということを身を以て知ったのが最後の記憶。 だが、今自分が居る場所はどう見ても外で、どう考えても何かが起きたとしか思えない。 人の気配は恐ろしいほどになく、別世界に放り込まれたのではと一瞬考えるも、頭を振って否定する。


 琴葉はポケットを弄り、携帯を取り出す。 獅子女から連絡用にないと困るだろと渡されたそれだ。 しかし、どこかで衝撃を受けたのか、電池が切れてしまったのか、携帯の画面は暗く何も映し出さない。


「……そだ」


 だが、琴葉には他の者がどうしているか見る方法がある。 琴葉の持つ文字、心象風景であれば顔と名前さえ分かればその者の今を視ることができる。 琴葉はすぐさま文字を使い、まずは獅子女の今を視た。 映し出された光景はどこかの廃墟の前、そこに獅子女と雀の姿が見える。 二人の場所は不明なものの、無事は確認できる。 どうやら何か会話をしている様子だ。


 次に琴葉は楠木に対して文字を使った。 楠木の姿は映し出されない、真っ暗で何も映し出されない。 まさか何かにやられたのか、それともまだ気を失っているのか、そのどちらかなのは明白だが、すぐに獅子女に伝えなければと琴葉は思う。


「琴葉!」


 声がした。 琴葉は瞑っていた目を開ける。 その声は、もう随分と聞いていない声だった。 そして、聞けるはずのない声だった。 呼ばれるはずのない名前、もう会えないと思った声、それは突然に訪れる。


「――――――――お姉ちゃん」


 そう、顔を見ずとも声だけで分かった。 琴葉は振り返る、そして、その顔を見た。


 ああ、何も変わってはいない。 少し大人びたけど、あの頃のままだ。 ひと目見てすぐに分かる、紛れもなく変わらずそこに居る。 自らの姉、自分がもっとも会いたかった人。 四条香織がそこにはいたのだ。


「琴葉、琴葉ッ!!」


 四条は琴葉の体を抱き締める。 琴葉は何が起こったのかすぐに理解することはできなかったものの、抱き締められた体はとても暖かいものを感じることができた。 雨で冷えた体になっていた所為か、別の何かか。


「……お姉ちゃん?」


「そうだよ、琴葉……もう、会えないのかと思ってた」


 四条は体を一度離し、琴葉の両肩を掴む。 そして琴葉の顔を見る。 涙なのか雨なのか、ぐしゃぐしゃになった顔で笑い泣きのような表情をし、四条は琴葉の名を何度も呼ぶ。


「お姉ちゃん、あたし」


 どう、何を話そうかと琴葉は迷った。 感染者となって連れて行かれ、その日は対策部隊が自宅を訪れ、自分を連れて行った。 そこには母親と姉もいて、自分はその姉に向かって酷い言葉を口にしたのだ。 雪の降る日は良いことがある、きっと自分が何かで落ち込んでいるときに励まそうとしてくれた言葉を思い出して。


「謝らなくて良いよ、琴葉。 無事で良かった、本当に」


 しかし、そんな四条は琴葉の想いに気付いているかのように言うと、琴葉の頭を撫でた。 自らの頭に乗せられた手を両手で掴み、琴葉はそれを拒否しようとする。 そんな優しい言葉をかけられるほどの価値はない、頭を撫でてもらう資格などない、そう言わんばかりに。


 だが、どうしてもその手を退けることはできなかった。 四条の腕を掴んだ手は震え、力がどうにも入らなかった。 今度は顔を上げて言葉で伝えようとする、雨は次第に強くなり、二人を打ち続けている。


「おねえ、ちゃん」


 ようやく、それだけ言葉にできた。 それを聞いた四条は優しく、優しく笑って琴葉の頭を撫でる。


 伝えようとしても言葉にできない。 自分に一体どれほどの価値があるのだろうか、未だに四条の妹として居て許されるのだろうか、感染者の自分が人間と接して良かったのだろうか。


 伝えたいことは沢山ある、言葉にしたい想いは数え切れない、しかしそのどれも上手く伝えられず、思い通りに言葉にできない。 喉から出そうな言葉は全て飲み込まれていき、どんな言葉でも今の想いを伝えきることなんて不可能だ。 それに、四条と目が合っただけでもうどうしようもないと分かってしまったのだ。


 自分がなんと言おうと、なんと伝えようと、四条は全てを許して自分を受け止めてくれると。 それがどれほどの救いか、どれほどの幸福か、それだけで琴葉は何もかも報われたような、そのような感覚を受ける。


 それでも恐る恐る手を伸ばす。 四条は何も言わず、琴葉の行動を笑顔で見守っていた。 琴葉の全てを理解しているように、何年経ったとしても姉は姉だったのだ。


「お姉ちゃんッ!!」


 姉の体を抱き締めた。 四条はそれを受け、再度琴葉の体を抱き締める。 雨は変わらず強く降り続けていたものの、そんなことなど二人にとってはどうでも良いことだったのだろう。 琴葉は涙を流しつつも破顔した。 数年という月日は若い二人にはとても長く、そして片方が感染者であったという事実はあまりにも残酷に過ぎたのだ。 だから琴葉にとっても、四条にとっても、この再会は奇跡とでも言える出来事だった。


 その二人の姉妹は、それから数分間、今までの溝を埋めるように静かに、静かに抱き合った。




「お姉ちゃん、どうしてここに?」


 落ち着きを取り戻した琴葉は、横に座る姉に向けて言う。 雨は未だに強く降っていたが、大して気にはならなかった。 最早二人共服はずぶ濡れで、しかし濡れた髪から滴る水滴は気持ちよくも感じられた。 長過ぎる空白の時間を埋めるように、二人は言葉を交わしていく。


「それは私の台詞だと思うんだけど」


 四条は笑って前置きをするように言うと、続ける。


「分かんない。 なんか危ない人たちが来てるってみんな言ってて、結城を探してたらいつの間にかこんなところにいたんだ。 いきなりこう……知らないところに居たみたいな? 気付いたらここにいて……」


 結城、というのが獅子女のことを指しているのはすぐに分かった。 獅子女は学校で姉との交友関係がある、だから自分は助けてもらうことができたし、奇妙な繋がりだと思っている。 この場面では獅子女に迷惑がかからないように、名前は伏せておいたほうが良さそうだ。


「たぶん、誰かの仕業だと思う。 あたしも感染者だからわかるけど……危ない人は、沢山いるから」


「……大丈夫? 今は一人なの?」


 琴葉の頭に手を置き、四条は言う。 それを受け、琴葉は笑って答える。


「大丈夫だよ。 今ははぐれちゃってるけど、頼りになる人と一緒なんだ。 いつかね、お姉ちゃんたちとまた暮らせるように頑張り中です! ……あれ、でもお姉ちゃん、どうしてあたしのこと分かったの?」


「って言うと? 妹なんだから、何年経っても分かるに決まってるじゃん」


 四条琴葉という存在は、獅子女によって四条琴葉であるという概念を殺してもらっている。 故に琴葉を琴葉だと認識できる状態ができなければ、それを認識するというのは困難を極める。 その旨くらいは説明しても差し支えないと思い、琴葉は四条にその能力について知らせた。 しかし、四条から返ってきた答えはあまりにも単純なものだった。


「なんかいろいろあるんだね。 けど、琴葉のことがわかんないようだったら姉なんて務まらないよ。 お姉ちゃんナメんな! ってことかな」


「あはは、お姉ちゃんらしい。 頼りになるねぇ!」


「変わらないね、琴葉。 いつも元気で、私を励ましてくれたっけ」


 懐かしい話だ。 そんなこともあった気がするが、掘り返されるのは少し照れくさい。 琴葉は話題を変えるように口を開く。


「あたしはね、とっても強い人が助けてくれたの。 少し意地悪であたしのことをいつも子供扱いするんだけど……でも、カッコイイんだ」


「おお、琴葉にも春が来たんだ」


「ちがっ! もう!」


「あはは、冗談。 けど良かった、琴葉の味方になってくれる人がいてくれて。 私じゃ力になれないからさ」


「そんなことはないよ」


 本当に、心の底からそう思った。 姉がいてくれるだけで琴葉にとってはかけがえのない幸せなのだ。 それだけで、いつか家族でもう一度暮らすという願いも叶ってしまいそうで……だから何もできないなんてことは絶対にない、強くそう思う。 今日という日まで頑張れたのも、耐えられたのも、四条香織という大切な大切な姉がいたからなのだ。 そして今日、こうして会えたことに対して感謝しなければならない。 偶然だとしても、巡り会えたことに運命すら感じる。


「お姉ちゃん、あたし夢があるんだ。 いつかね――――――――」


 琴葉がそれを口にしようとしたそのときだった。 路地の奥から、声が聞こえる。


「助けてッ!!」


 顔を向けた。 そこに居たのは楠木莉莉だった。 何かから逃げるように、混乱しているように、その顔は恐怖に満ちている。 琴葉にとって楠木莉莉は臆病な人で、しかし文字を使っているときはその人物に性格ですら変わってしまうような人物だ。 その楠木は、何かから逃げていて。


 そして、()()()()


「アー」


 怪物が、そこには居た。 いつか見たバケモノ、いつか見た怪物、ソレは楠木を頭から喰らい、辺りに血を撒き散らす。 雨の匂いに混じり、鉄の生臭い臭いが充満する。 楠木の亡骸をまるで雑巾か何かのように、壁へと向かって投げつけた。


「楠木、さん?」


「ッ……! 琴葉、逃げるよッ!!」


「アハ、アハハハハ! オイオイ、ニゲルナヨ?」


 V.A.L.Vの怪物は、嗤う。 数メートルほどの巨体に骨と皮だけのような手足。 鉤爪のように変化しているそれらを地に付け、腕には無数の目玉が蠢いている。 最早、元が人間であったのかすら分からないほどに醜悪な見た目だ。 かろうじで聞き取れる声を放ち、怪物は琴葉と四条を視界に捉えた。


 その能力こそ厄介なものだ。 飛行をし、桁外れな攻撃と防御力を備えている。 そして人を喰らい貪る、人類の天敵とも言える。 だが、何より厄介なのはその者には知性がしっかりと残されているということだ。


「アソボウゼー! ワタシガオニで、オマエラガエサ! アッハハ!アッハッハッハッハ!!」


 静かな街の中、雨と怪物の笑い声だけが周囲に響き渡っていた。

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