表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
感染者のことは  作者: 獅子師詩史
第一章
14/145

第十四話

 ……目が、覚めた。 そこは知らないところで、下から聞こえてくるのはあまり静かな音ではない。 何かを滑っているような、そんな音だ。 そして、僅かながら震動もあった。


「っ……ここは」


 目を開けても、暗闇の中だった。 手探りでどこかを探ろうとしたが、手は自由に動かない。 そこで初めて、自分が手錠をされているということに気付いた。 仕方なく立ち上がろうとしたものの、その枷は足にも付けられており、無様にも顔から転んでしまう。 自由というものを完全に奪われていた。 あの独房よりも窮屈な空間で、息苦しさも感じる。


「……」


 四条琴葉は今までにないほど、恐怖を感じていた。 これからどこへ行くのか、ここはどこなのか、そして……あの男は、本当に自身を騙していたのか。 最後に聞いた言葉は、とても助けに来た者の言葉とは思えないもので、けれどまだ心のどこかで期待していた自分が居て。 そうして期待をするのは悪い癖だなとも思ってしまう。


 ……ポジティブすぎるのも、悪いことなのかもしれないと、そう思い始めた。 それが違ったときのショックというのは、数段上がるのだから。


「おお目が覚めたかい? 結構強い麻酔だったはずなんだけどなぁ、子供ってのは毒に強いんだねぇ。 感心感心」


「……あなたは」


 中扉が開き、光がその空間へと入ってくる。 殆ど同時に男の声がし、琴葉はそちらへ顔を向ける。 すると、そこでニヤニヤと笑みを貼り付けていたのは先ほどの男だった。 名前は確か益村……。 益村は座っており、そしてその前には道路が広がっている。 ということは、ここは車の中か。 ようやく自分の居場所を認識した琴葉は、不安感と他の何かを感じていた。


 普通であれば、連れ去られているということに動揺しそうなところである。 だが、生憎なことに琴葉は既に普通とは言えない待遇を受けてきた。 よって、数年ぶりに見た外の景色がただの道路だったとしても、それは感動とも言えるものになっていた。 目に焼き付けるようにその光景、ただ流れるアスファルトの地面を景色として眺める。 新鮮で、懐かしい、そんな感動を遮るように益村は口を開いた。


「元気なのは良いことだよぉ? これからたっぷり可愛がってあげるからねぇ」


 先ほどの声色とはまるで違う。 粘りっけがあり、薄気味悪い声色で益村は琴葉にそう告げる。 琴葉は言葉の意味が分からず、何も言わずにただ道路を眺めていた。


 そして、車を運転しているのは益村とは別の男だ。 サングラスをかけており、その顔は見えないものの若い男に見えた。


「なんで、いきなり」


 ようやく絞り出した言葉はそれであった。 長い間同じ部屋に閉じ込められ、しかし突然の移動は、少なからず琴葉を混乱させていたのだ。 状況が全く飲み込めず、琴葉はそんな疑問を益村へぶつける。 自分にとって少なからず味方ではないと認識した益村に尋ねるしかなかった。


「君を狙っている連中が居るみたいでねぇ、ワタシたち対策部隊の手から奪おうとしているわけなんだよ。 人の所有物を奪おうなんて不届きな連中だよなぁ」


「……物」


「そう! 物だよ物。 だってそうだろう? 長年ワタシたちの道具として君は働いてきた、家畜のように、奴隷のように言うことを聞いてねぇ。 聡明なキミは他の多くの感染者とは違い、殺処分もされずにのうのうと生きてきた。 キミさぁ、他の感染者に申し訳ないと思ったことはあるかい? 自分だけが特別で、自分だけが殺されず、自分だけが生を貪っているという罪悪感はあるかぁい? どんな気持ちかな? 他者を踏み台にして上から見下すというのは」


 まるで責め立てるように、益村は言う。 そして、そんなことは琴葉も分かっていることであった。 だが、自分自身で分かっているのと、他人から言われるというのはまるで違う。 その言葉たちは、表面以上に琴葉の心へと食い込んでいく。 締め付け、離さず、握り潰そうとばかりに心を喰らっていく。


「まぁキミのような感染者は思うんだろうけどねぇ、他の無能とは違って良かったと。 優越感にでも浸っていたのかい?」


「そんなことないっ!! あたしは、あたしは他の人にちゃんと悪いと思ってて……!」


「ハハハッ!! そうだねぇ、口ではなんとでも言える。 ならキミはどうして言わなかった? 一度の協力で一人の感染者を助けてくれって。 たったそれだけ言ってくれればワタシたちも鬼じゃない、交渉に乗ったかもしれないし、キミの意思を汲んだかもしれないのに。 だがキミは言わなかった、言えば暴力を振るわれると思ったからだ。 己の身を案じ、他者を蹴り落とす、キミのような奴をワタシたち人間の中ではゴミとかクズと呼ぶんだよ?」


「そんなこと……ない、もん」


 琴葉の瞳からは涙が零れた。 益村の言葉の通り、琴葉は一度もその言葉を口にしなかったのだ。 否、できなかった。 己の身を案じたのも、事実だった。 だからたった今口にした言葉も、咄嗟に出てきた自己保身でしかない。 しかし、琴葉が悪いのかと言われれば大多数は否定するだろう。 そんな常識も、動揺し、心を削られていた琴葉には分からなかった。 自分が悪いのだと思い込んだ。 自分の所為で大勢の感染者が死んだと、思い込んだ。


「心の奥底ではどうせ見下していたのだろぉ? 矮小で傲慢なキミのようなクズは、そうすることで悦に浸るからねぇ。 感染者特有のクズのような思考だよ、まぁキミのような奴は万が一感染者じゃなかったとしても、同じことをしていたんだろう」


「あた、しは……っ」


 溢れ出てくる涙をボロ雑巾のような服の袖で拭う。 いくら拭ったとしても、涙は次から次へと零れ落ちていった。 そして、益村はそんな琴葉を見て楽しそうに笑う。


「そんなクズには躾をしなければねぇ。 これからキミを廃工場へ連れて行く。 ワタシのお気に入りの場所でねぇ……昔は我原クンもあそこで躾けたものだよ。 そして、キミのようなクズを連れ去ろうとしているクズたちに見せてあげるんだ。 お前らが如何に助けようとしても、クズはクズのように死んでいくってね。 キミの文字は希少だけれど、必須というわけでもない。 奴らが来たということはそこに何かの意味があるということ、であればその意味を消すというのが最善の選択だろうねぇ……まぁでも? その前に最後の仕事はしてもらうわけだけどねぇ」


「……ッ」


「怖いかい? 今キミは少なからず動揺した、自分の身に降りかかるコトを想像し、恐れた。 はっはっは! そうかそうか、やっぱりキミは自分の身が一番のゴミクズだよ。 たっぷりと可愛がってあげるから楽しみにしておきなさい。 家畜以下のキミに役目を与えてあげよう、見せしめという大事な大事な役割をねぇ」


 中扉が閉じられた。 訪れたのは、真っ暗な闇だった。 心拍数は高まり、息が苦しい。 自分がどれだけ愚かだったかを思い知らされた気分だ。


 床に蹲り、体を震わせる。 怖いからか、寒いからか、それとも涙が溢れ出ているからか。 どれかは、分からない。 ただただ、心が締め付けられるように苦しかった。 いくら前向きに考えようと、いくらポジティブに行こうとしても、益村の言葉が脳内に響き渡り、阻害する。


 ――――――――益村の言う通り、自分はどれだけ愚かだったのだろう。 感染者であろうにも関わらず、生かされているということに感謝すらしていた。 けれど、その感謝の下でどれだけの感染者が殺されてきたのか。


 ――――――――自分の所為で囚われた感染者も少なからず居る。 自分が持つ文字を使ったことで、協力したことで、殺された感染者も居るはずだ。


 ――――――――そして延々と自分は何もせず、他の者を助けてくれとも言えず、暴力に怯え言葉に怯え、何も言わずにただただ従ってきた。


 ――――――――一日一回支給される食パン一切れと水一杯のために、奴隷のように働いてきた。 その食事をしている間にも、自分と同じ感染者は殺されていたというのに、食事に心の中で文句すら言っていた。


 ――――――――矮小で傲慢。 その通りだ。 今だって何より怖いのは男の言っていた躾けという言葉なのだから、あれだけ言われても言い返せず、そして結局自分の身を案じているだけでしかない自分は、そんな言葉がぴったりだ。


 琴葉は思う。 最早、琴葉の心は暗い闇に覆われかけていた。


 だが、四条琴葉はあくまでも四条琴葉であり、こんな状況でも彼女の心が全て闇に染まることはない。 それが、四条琴葉という人物だ。


 琴葉は思う。




 だから。




 だからせめて。




 最後に一つだけ、ワガママを言ってしまおう。




 そう思い、言葉にした。




「誰か、助けて」




 その言葉は決して誰にも届くはずはなかった。 この暗く狭い空間では、誰にも届くことはない言葉だった。 あの部屋でさえ、誰にも届いたことがない言葉だった。


「ああ、しっかり聞こえたぞ。 もう大丈夫だ」


 だから、そんな言葉が目の前から聞こえたとき。 自分の頭はとうとうおかしくなってしまったんだと思ったんだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ