第十九話
「環境に影響を与えるほどか、少しはマシか?」
「試してみるか? クソ金髪野郎」
「試すという言葉の意味から教えるべきかね。 試されるのは君の方だよ」
ラックスはため息を吐き、髪を搔き上げるような仕草を取る。 それを見て明らかな隙だと感じ取った真也はすぐさま文字を使った。 もちろん待ってもいい、ラックスが攻撃を仕掛けてくるのをだ。
だが、そんなことをして勝てる相手だとは思えなかった。 少なくとも先ほどまで戦いが行われていたここは、生半可な傷跡ではなくなっている。 後ろで倒れている少女もかなりの強さを持っているのだろう、少なくとも普通の戦いをしてここまでのことになるとは思えない。 そう考えると、神人の家という組織そのものが如何に強力なのかが感じ取れた。 そしてそんな神人の家の一員を圧倒的な力でねじ伏せてきたラックスは言わずもがな。
「氷……利便性は高そうだな」
真也の周囲に浮かぶのは無数の氷槍だ。 真也は初手、この方法を取ることが多い。 理由は単純に相手の力量というのを測れることができ、更に距離を取っての攻撃なのでデメリットが殆どない。 防御に回す分にも余裕はあり、最善の一手だと自負している。 それらは切っ先をラックスへと向けると、すぐさま撃ち放たれた。 弾丸の如く射出されたそれらを見て、ラックスは笑う。
「だが、言ってしまえばそれだけだ」
「な……に!?」
ラックスの動作はひどく単純なものだった。 先ほどまで髪をかきあげていた左手を軽く払っただけ。 たったそれだけの動作で、真也が放った全ての氷は呆気なく粉々に吹き飛ぶ。 圧倒的な力、そう表現するのがもっとも近い。 少なくとも簡単に振り払えるものではないことは真也が一番よく理解している、速度も強度も威力も、申し分ないはずなのだ。 今までかなりの人数と戦闘をしてきた真也だったが、一番の強敵と感じたのは我原鞍馬……しかし、ラックスはそれすら容易に上回る力を見せつけてきた。 あの我原ですら、真也の氷を全て一撃の下に葬ることはできなかったのだから。
「ひとつ、教えてやる。 氷使いの男、世の中には少なからず不条理というものが存在する。感染者であるならば理解は及ぶと思うがな……その感染者という枠の中でも、不条理は存在するのだよ」
砕けた氷はまるで雪氷のようにラックスの周囲を舞っていた。 その中でラックスは小さく笑うと、歯を食いしばる真也に顔を向ける。
「試してみるかよクソ野郎ッ……!」
「ああ、好きなだけ試すと良い」
言われ、真也は即座に文字を発動させた。 氷槍で駄目ならば今度は地からいくつもの氷柱を出現させ、ラックスの周囲を覆うように囲った。 そのまま囲った氷柱を絞り、絞り、絞っていく。 氷と氷がぶつかり合い、鈍い音が周囲に響き渡る。
「ッ……」
手応えはあった。 確実に氷の圧縮によってラックスの体を押し潰した。 だが、それでもラックスの声は響き渡る。
「それは中々面白い、が所詮は子供のお遊戯会での話だな。 発表会をここでするつもりか? くく、ハッハッハッ!」
「テメェ……何をしやがった!」
氷柱は砕け散る、先ほどと同様に氷の破片は辺りに飛び散り、その中でラックスは変わらず笑っている。 全てが無駄だと言わんばかりに、全てが無意味だと言わんばかりに、全てがなんの意味もないもの、それだけの力をラックスは持っており、それだけの強さをラックスは既に見せている。 真也の氷による攻撃は意図も簡単に防がれてしまったのだ。
「何をした、見ての通りだよ。 虫が鬱陶しく飛んでいれば叩き潰すだろう? 煙たければそれを払うだろう? それと同じことをしたまでだ。 例えば、そうだな」
「く、ぁッ!」
その場に立っていたラックスは姿を消したと同時、真也の目の前に現れた。 そしてそのまま拳をまるで扉をノックするかのように、真也の顔に当てる。
動作はたったそれだけだ。 たったそれだけで真也は甚大なダメージを負う。 体が吹き飛び、血が吹き出、その衝撃だけで骨の数本が折れたかのような衝撃だ。
「げほ、ゲホッ……クソが……!」
数メートルは吹き飛ばされ、地に手を付けながらなんとか顔を上げる。 本来であれば真也に危害を加える攻撃というのは自動防御が発動し、氷壁によって防がれるはずだ。 それが一切機能しなかった、それこそあの桐沢に全てを無効化されたかのように。 だとすれば、ラックスの文字は。
「……文字の無効化ってところか。 テメェの力は」
口から溢れる血を腕で拭いながら立ち上がり、口内に溜まった口を吐き出した。 吐いた血すらすぐさま凍りつく、精神状態から文字がうまく制御出来ていない。 先の攻撃で脳もかなり揺さぶられ、真也の視界は揺らいでいる。 正直に言って、たった一撃で真也は追い詰められていた。
「浅すぎるな、君の思考は。 考えてみれば分かるだろう? もしも仮に俺の力が文字の無効化だとしたら、今君が使っている文字は一体なんなのだ、と。 これだから単細胞は困ってしまう、あまり俺を失望させないでくれないか」
尚も涼しい顔で、ラックスは目頭をつまむ。 呆れているような仕草に見えた。
「冥土の土産に良いことを教えてやる。 今の俺は……この辺りでは有名らしい神人の家のボスよりも強い。 状況と状態は既にかなり整った。 奴が今更現れたところで俺には勝てんよ、これは予想や予測の類ではない、絶対だ」
その言葉は嘘とは思えない。 だとすれば考えられることはラックスが己の力を過信しているか、見誤っているか、それとも……その言葉が事実か、そのどれかだ。
「貴様らが俺を倒そうとすればするほど、俺の状況は整っていく。 抗うことが如何に無意味なものか、知るのにそう時間はかからない」
「……へっ! それだけ聞けりゃ十分だ。 後は頭のいー奴に任せるとするわ」
「ここまで話してただで帰すと?」
明らかな殺意と共に、ラックスは再び姿を真也の目の前へと移した。 それを真也は確認する。
――――――――そう、確認した。 それだけで十分だったのだ。 ラックスの攻撃が来るということだけ分かればそれで良い。
「……ん?」
違和感を覚えたのはラックスだ。 自らの攻撃に対し、真也はただ薄っすらと笑みを浮かべた。 それは予め用意されたかのようなもので、一瞬だったが寒気を覚える。 しかし、それとこれとは全くの別物でしかない。 例え攻撃し反撃を喰らおうと、ラックスにとっては無意味なものだ。 その判断を下し、ラックスは後ろに振りかぶった拳をそのまま真也へと振り下ろす。
コンマ数秒の世界。 それに反応できる者は一握りしか存在しない。 だが、その反応というのも攻撃に対して反応できるか、というものなのだ。
「ここは引いてやるよ、ラックス=リーライ。 けど首洗って待っとけよ、クソ野郎が」
「……なるほど、これは一杯食わされたな」
真也は攻撃が当たるその瞬間に地を蹴り体を後ろへと飛ばす。 そのおかげでラックスの拳の入りは浅くなり、更に氷壁での防御を事前に組み立てておいた。 最も、それがあっても尚ラックスの攻撃はかなりのものだ。 真也は血を吐きながら吹き飛ばされる。
しかし、それだけで終わりはしない。 真也は攻撃を食らった瞬間、来る衝撃に備えるのではなく意識を完全に左手へと向けていた。 行動に移すのはもちろん氷の操作、空気中の水分を氷結させロクドウの体を包み込む。 不死身だからとは言われているものの、置いていくのは男が廃るという考えだ。
「ぐ、はぁッ」
「……ふふ、ハッハッハッ! 面白い男がいるものだ、中々良い暇潰しにはなったな」
まるで砲台から打ち出されたかのような速度で真也は吹き飛ばされる。 数百メートルという単位で吹き飛ばされた真也を追いかけるというのは些か面倒にもなる。 その手には既にロクドウの体も収められており、ラックスにとっては些細なものであったが、得られるはずのものを全て取り去られてしまった。 それもまたよしと考えるものの、ラックスは笑う。
「……いや、失ったものより得たものの方が大きいか。 リリー、戻るぞ。 汗を掻いて気持ち悪いだろう? 一緒にシャワーを浴びようではないか」
「いえ、それは嫌です」
「釣れない子だ。 まぁ良い、それより各方面の状況は?」
ラックスは言いながら服の乱れを直す。 戦った時間は限りなく短いものであったが、ラックスの服には埃ひとつですら付いていない。 ここへ来た当初のようにその服装は綺麗に整っている。
「まだ不明なことも多いですが……陣地内に侵入者が二人ほどです。 ダンが見張りを散りばめていますので、ダンが一番状況を理解しているんじゃないですか」
「それは名案だ! よし、それでは部屋に戻ってダンに状況を尋ねるとするか」
「侵入した敵はどうしますか?」
「放っておけ。 俺のところに辿り着いたとしても辿り着けたとしても、結末は変わらんよ」
髪を掻き上げ、笑って見せ、西洋の感染者は言う。 そこにあるのは絶対の自信、そして誰しもが自分には決して及ばないという確固たる事実であった。




