第十八話
「…………」
「チッ……なんなのよっ!!」
ロクドウとアリス、リリーの戦いの形勢は逆転したと言っても良い。 先程までとはまるで別人、知性や理性の類を失ったかのようにロクドウの攻撃は苛烈を極めていた。 ただ腕を振るっただけで空間は裂け、その一振りを避けたとしても風圧のみで裂傷を負うほどだ。 もちろんその傷こそリリーにとっては問題にすらならないが、内心では焦燥感に襲われている。 長引くのはマズイ、リリーにとっての戦いというのは早期に決着をつけなければ支障が生じてしまう。
「っていうか………反則もいいとこでしょ」
今の状態は一言で言ってしまえばそれに尽きる。 ロクドウの不死こそかなりのものであるが、無力化さえしてしまえば全く問題にならないものだ。 しかし厄介なのはロクドウのもう一つの文字……リリーは戦いの最中にロクドウが二文字持ちということには察しが付いていたが、その二つの文字が生み出す力が計り知れない。 片方が使い物にならない文字であれば良かったのだが、生憎なことにその二つは単体で見ても強力なそれだ。 ひとつは不死、そしてひとつは強力な精神干渉を引き起こす文字。 数回に渡りロクドウの文字に触れたリリーはそれに気付いている。
自分にこそ影響はない。 自身が持つ文字はアリスと共にいることで最強とも呼べる文字だ。 しかし逆にアリスが居なければ成立しない文字でもある。
リリーとアリスは双子である。 同じ時に生まれ落ち、同じ時を歩んできた双子だ。 その性格、髪の色や眼の色こそ違いはあれ、やろうと思えば入れ替わることすらできるほどに瓜二つの見た目を持っている。 が、お互いが持った文字はある意味で呪いでもあった。
リリーの持つ文字は『応報』。 そしてアリスが持つ文字は『因果は』だ。 二人が合わさり初めて一つの文字となるそれは、二人が双子だったからこそあり得たことなのだろう。
因果は因果、繋がりは強固に断ち切れない。 アリスの因果は「他者が受けるものを自身が負う」というものだ。 つまりアリスはリリーが戦闘において負うべきである痛み、傷の全てを肩代わりしている。 ならば何故アリスは平然としているか、その答えはリリーの文字にある。
リリーの持つ応報は、アリスの負った痛み、傷の類を自身の力として循環させることができる。 アリスの文字は他者にも使えるのに対し、リリーの文字は完全にアリスに依存している。 アリスにしか使用ができず、そしてアリスが近くにいなければままならない最強の文字だ。 だが、その制約があるからこそ強力な文字となっている。
「アリス! 時間は!?」
ロクドウが発したのは唸り声。 たったそれだけだというのに防御態勢を取らなければ吹き飛ばされそうなほどだ。 それを腕を構えて耐え、リリーはアリスに向けて声を上げる。 本来であれば欠点ともなるそこをここまでの声量で話すことはない。 しかし、今のロクドウの状態であればその必要もないという考えだ。
「十分」
「ちっ……!」
端的に告げられたそれを受け、リリーは舌打ちをしながらロクドウへと視線を向ける。 それこそが二人の文字の欠点……いや、正確に言えば欠点ではない、が……リリーがリリーであるからこそ、そしてアリスがアリスであるからこそ欠点となるものだ。
アリスの因果は言わば代償を引き受ける形となる。 その受けた痛みや傷はそのほとんどはリリーの力になって変換される仕組みだ。
……そう、ほとんど。 つまりそれは全てではなく、その一部はアリスが確実に負うことになる一部だ。 それ自体で死ぬということはない。 だが、やがて訪れるのは蓄積された膨大な痛みに他ならない。 そしてリリーは自分の分身とも言えるアリスがその状態になることを望まない。
制限時間は一時間。 それを過ぎればその間にリリーの受けたダメージの一部がアリスを襲う。 もしも仮に戦闘中、アリスが痛みにのたうち回ることになればリリーは何を差し置いてでもアリスの介抱に当たるだろう。 だからこそ、一時間というのが彼女の制限時間なのだ。
「……っ!?」
その時間までにアリスの気を失わせるという必要がある。 文字自体を強制的に切らなければそれを止めることができない。 そして、リリーが文字を使い戦闘能力を大幅に上げている今、力加減を見誤ればアリスを殺しかねない。 よってリリーは文字を一度切る必要があり、しかし戦闘中にそれをするのは自殺行為だ。
そんなタイムリミットが迫った今、一刻も早くロクドウを倒す必要がある。 しかし、見失った。
先程までそこにあったロクドウの姿がない。 どこへ消えた、目を離してはいない、したのはまばたきのみ。 それも一瞬で、たったその隙間で姿をくらましたというのか……。
「リリー!」
「アリスっ!?」
アリスの声を受け、リリーは顔を向ける。 そこにいたのはロクドウで、腕を振りかぶった状態の姿だ。 マズイ、と直感的にリリーは悟るも、それは最早手遅れだということをリリーは悟っていた。 何をしようとあの攻撃を止めることはできない、万が一にでも間に割って入ることができたとしても、自身の上からロクドウは容易くアリスを殺すだろう。 これは恐らくや多分などの曖昧なものではなく、確実に言えることだ。
また、助けられないのか。 また、目を瞑るこたしかできないのか。 自分はどれほどの積み重ねをしたとしても、変わっていないではないか。
轟音と暴風がリリーを襲う。 まるで空爆でも起きたかのような強大な一撃は地形をも変えかねない一撃だ。 それによって土は舞い上がり、視界がくらむ。
「……手こずっているのか? 神人の家にも割りとまともな奴はいるということか」
「……ラックス様!」
ロクドウの力、それは計り知れないものがある。 リリーもアリスも共に、ロクドウの底力を完全に見誤っており、そしてそこに気付くのが遅すぎたのは明白だ。
だが、どうだろう。 果たしてそれは二人にだけ言えることなのだろうか?
「最早獣だな、人というものを何か理解していない。 そうだろう?」
ラックスはロクドウの一振りを文字通り片腕で止めている。 そしてその表情に焦りはない。 ロクドウは尚も腕を振り抜こうと力を入れていることは見て取れたが、微動だにしていない。 完全に動きを止められた、修羅と化しているロクドウの攻撃をだ。
「人というものは理性を持ち、知性を持ち、思考し行動に移す生き物だ。 俺にとって人とはそういうものだが、君は違うようだな?」
ロクドウの腕が押し上げられる。 ラックスは口角を釣り上げ、最早どこを見ているかも定かではないロクドウの顔を見ていた。
「強者とは何か。 考え行動しそれを結果へと結び付けられるものだ、貴様にはそれがない」
左足を蹴り上げた。 その爪先は正確にロクドウの顎を下から打ち抜く。 ロクドウの体は宙へと浮き上がり、地面へと転がり落ちる。
「弱者とは何か。 平伏し土を貪りただ待つしかできない者のことだ、貴様はそちら側だ」
転んだロクドウの腹部に蹴りを入れる。 声にならない声を上げ、ロクドウの体は容易く吹き飛ばされた。 血が辺りに飛び散り、ラックスの頬にその一滴が付着する。
「王とは何か。 人々を従え国を創り上げる者だ、俺のような」
ロクドウはそれでも尚、力尽きることなく立ち上がるとラックスへと襲いかかる。 しかし、そんなロクドウの攻撃を片腕一本でいなし、勢い良く地面を滑ったロクドウを見る、少しだけ乱れた服装を直しつつ口角を吊り上げた顔には汗ひとつですら浮かんでいない。
「よって俺はこの国を貰うことにした、そしてここを俺の国へとしてやろう。 優秀な感染者が多ければ多いほど、それを従える俺の価値も上がるというもの。 その点、この国は実に良い……俺に相応しい場所だ」
ラックスは独り言のように言い、ロクドウへと視線を向ける。 禍々しい雰囲気を纏い、同時に獣が持つ鋭い空気を身に纏った一人の少女に。
「……言葉が通じないことほどつまらないものもないな。 もう良い、飽きた」
言い放った瞬間、ロクドウの体はまるで何かに押し潰されたかのように地へと食い込んだ。 それだけではない、ロクドウの周囲のみが押し潰されたようにヘコみ、大きく沈む。 その部分だけ重力が増したというのがもっとも適切な答えだろう。
それはもちろん、ロクドウの体が押し潰されることも意味する。 軽くもあり鈍くもあり、ある意味では軽快にある意味では重厚に、そんな音が周囲に響き渡った。 ラックスは潰れたロクドウの体を冷めた眼で見ると、ポケットから取り出したハンカチで頬に付着した血を拭う。
「リリー、回収しておけ。 確か……対策部隊との研究で人為的に感染者を作るものがあっただろう? ええと、なんだったか」
「感染者製造計画、ですか?」
「ああそう、それだ。 ロベルトに任せている所為で俺はちっとも理解していないがな……良い材料になるかもしれない、その感染者は」
指差す先にいるロクドウの体は既に再生されている。 が、いつもであればすぐに目覚めるはずのロクドウは、気を失ったかのように倒れている。 ラックスもリリーもそれについては大して気にはしなかったものの、これが所謂反動であり、一度死亡したとしてもすぐには行動ができないという欠点が修羅道にはある。 それを差し置いてでも強力な力というのは言うまでもないが。
「了解しました」
ラックスの言葉にリリーは返事をし、それを聞いたラックスはアリスの下へと歩み寄る。 アリスの眼の前でしゃがみ、アリスの頭に手を置いた。
「時間がない、少し痛いかもしれないが」
「大丈夫」
「そうか」
そんなやり取りをリリーは内心嬉しい気持ちで見つつ、あまり表情は変えずにロクドウの下へ足を向ける。 ラックスは冷たい人だと思われがちで、その傲慢とも言える性格から敵も多い人物だ。 しかしその反面、仲間想いであるということはリリーも良く分かっていた。 最近では日本へ送り込んでいたエドワーズの死を聞き、丸一日部屋に籠もり、次の日は眼を真っ赤に染めていたのが記憶に新しいことだ。
ラックス=リーライは自らの道標となる人物だ。 ゴミを漁り過ごす日々を変えてくれた人物だ。 くだらない命を価値ある命だと説いてくれた人物だ。 だからこそ、ラックスには命を使い果たす覚悟で付き従っている。 それこそがラックスが教えてくれた価値ある命の使い方だと信じている。
リリーは思いながらロクドウの体に手を伸ばす。 そして――――――――その手が止まった。
理由は分からない、直感的な何かが働いたと言えば良いのか。 それとほぼ同時、手に違和感を覚え、自身の手の平を見る。
「……霜?」
手に張り付いていたのは、水滴が氷結したかのような霜だった。 いきなりのことで気づかなかったが……周囲の温度が著しく落ちている。 辺りに飛び散った血ですら凍りつき、呼吸をするのが痛いほどに。
「ッ!?」
リリーは目の前に起きた光景から逃れるように、後ろへと飛んだ。 先ほどまで倒れていたロクドウの体を覆うように出現したのは氷だ。 地面からまるで生えるように現れた。 これはロクドウの文字ではない、別の何か。
「ギリギリセーフってとこか? 死なねえから雑に扱っても良いってユキの姐さんは言ってたけどよ……本当に大丈夫かね」
声が聞こえ、リリーはそちらへ視線を向ける。 防寒着を着込み、少し長い前髪の男がそこには立っている。 彼の足元は凍りつき、周囲はいつの間にか極寒の如く痛いほどに寒さを増している。
「なんだか面白いことしてんじゃねーの? 俺も混ぜてくれよ、西洋教会さんよ」
絶対零度の感染者、龍宮寺真也は笑いながらそう言い放った。




