第十五話
「きー!! ムカつくムカつくムッカつく!! なんで死なないのよあんた!!」
「やかましいなぁ。 そういう君だって一緒だろう?」
殺し、とまではいかないものの、ロクドウは先程から何度かリリーの体には触れており、その都度、六道輪廻は使用していた。 が、結果は芳しくない。
いくら使おうと、リリーには一切変化が訪れないどころか、平然と戦っている。 六道輪廻は強力な精神干渉を引き起こす文字、確かに通用しない者には通用しないものの、一切の変化がないというのは考えづらい。 多少の目眩やら吐き気やら頭痛やら、それらを感じないというのはあり得ないことだ。 仮に能力が効いており、リリーにそれを乗り越えるだけの精神力がある、という考えもまた違う。
超えられる素質があるのなら、発動と同時に精神世界へと放り込まれる。 それがない以上、能力そのものが効いていないというのがもっとも正しい解釈となる。
そして何より、例えばの話……リリーの持つ文字が、そういった類の精神干渉系を無効にする文字だったとして、だ。
「しッ!」
ロクドウの側面からの攻撃を必要最低限の挙動で回避し、その頬に蹴りを放つ。 時間にしてコンマ数秒、完全に見切った形での反撃をリリーは行っている。
そう、この身体能力こそがあり得ない。 明らかに何かしらの文字による影響を受けており、ただのV.A.L.V含有率で考えたときのレベルを超えている。 我原と同レベルか、もしくはそれ以上の身体能力をリリーは持っているのだ。
「痛いなぁ、君には幼い少女に優しくするって考えがないのかい」
折れ、だらんと下がった腕を見つめ、ロクドウは言う。 それもほんの数秒のことで、ロクドウの腕はすぐさま元の状態へと修復される。
「きっもちわっるーい!! キモすぎ! あんたの体どうなってるわけ!?」
「馬鹿力少女には言われたくないなぁ。 どうせなら、その体で超大きな武器とか持った方が映像映えするっていうのに、分かってないよね」
あり得ないのであれば、考えられるのは一つ。 文字の無効化、そして身体能力の異常な上昇、それら二つの内どちらかが、または両方共にリリーのものではないということだ。 考えられるのはリリーの後ろで待機しているアリス、その者の文字だということ。
「正面からというのはシシ君の得意技だけれど、わたしのようなか弱いコは愚策を使わなければね」
その考えに至ったロクドウは、狙いをリリーからアリスへと変える。 もちろん、それをリリーに悟られないように実行しなければならない。 事前に悟られれば間違いなく、リリーの突出した身体能力によって妨害されることは明らかだ。 狙いはアリス、確実な不意打ちで絶命させる。 それがロクドウの取るべき最善の行動だ。 万が一、アリスは本当にただのモノだったとしても、それこそ大した問題ではなくなる。 不安要素が消えたということは、リリーに対してだけ集中することができるからだ。 故に、ここでアリスを放置するメリットというのが存在しない。
問題はどのように行動に移すか、というものに絞られる。 確実に絶対に確殺しなければならない、失敗すれば次にチャンスがいつ訪れるかが分からない。 殺すルートを頭に入れろ、獅子女がよく口にしている言葉だ。
外部から仲間を呼ぶ手段はなし。 先程、門前に居た男を殺すために体内に仕込んだ爆弾を作動させており、その衝撃で通信機も衣服もまとめて吹き飛んでしまっている。 その辺りに落ちていた布を纏うことで一応は裸で戦うという格好が付かないことにはなっていないものの。
そうなれば援軍は期待できない。 元よりそのつもりはロクドウになかったが、シズルと連絡が取れさえすれば超長距離からの援護を要請もできた。 が、生憎その手段を今のロクドウは持ち合わせていない。 方法としては自力でどうにかするしかない。
「わたしは本来タイマンが強いわけでもないしなぁ。 ただ死なずに、ただ心をグチャグチャにすることしかできないというのに」
「何ぐだぐだ言ってんのよ、バケモノ。 戦ってる最中に考え事って随分余裕ね」
視界の隅にリリーが入る。 その瞬間、ロクドウの右顔面が吹き飛んだ。
「……痛い痛い、君はわたしが痛みを感じると分かっていてイジメてくるのかい? 酷い話だよ」
言いつつ、ロクドウは一切動揺しない。 死に直結する痛みなど、最早呼吸をするかの如く慣れている。 今この状況で痛みに関して鈍感というのは、対策部隊に感謝をするべきかもしれない、などと思っていた。
そして、修復されていく顔でリリーのことを見つつ、ロクドウはとある一つのことに気付いた。 単純かつ明快、普通であればできないやり方、ロクドウだからこそ成せる方法を。
「そろそろ真面目にやろっかな」
言うと、ロクドウは口角を釣り上げた。
「クソガキがよぉ! てめぇちょこまかちょこまか逃げてんじゃねえぞ!!」
「おにーさんを捕まえるの、骨が折れるんだよ。 その内疲れて動けなくなるまで逃げようって算段かな。 ボクの頭脳戦」
佐嶋の動きはさながら地を這う稲妻の如く速い。 それこそ彼の持つ文字、疾風迅雷の能力だ。 自らの体に電流を纏わせ、脳に直接電気信号を流し込み、強引に体を動かしている。 その分疲労も多く蓄積されるが、それは能力を切った直後に訪れるため戦闘中であれば問題などない。
対するレミリアは、迫る佐嶋の攻撃を影の中へ身を落とすことで躱していた。 悪鬼羅刹、その文字の力ということは明白であり、レミリアは影から影へ、瞬時にその身を移動させることができる。 それこそがレミリアを周囲の探索、及び警戒の任務に当てている理由とも言えるだろう。
もちろん、レミリアの文字がただそれだけのものではない。 それに警戒はしている佐嶋と陽介であるが、陽介の方はことさら戦闘に介入する気はなかった。
「てめぇのちーさな脳味噌で考えた作戦なんてゴミだゴミ! イラつくガキだぜ」
「別におにーさんがイライラしようとどうでも良いよ。 それより、先に攻撃してきたのそっちになってるけど良いの? チェイスギャング? だっけ? 状況の観察に回ってたんじゃなかったっけ」
「そんな殺気まみれで「先に攻撃してきた」は通用しないでしょ、お嬢ちゃん。 世の中には、正当防衛って言葉があるんだよ」
レミリアの言葉に返事をしたのは佐嶋ではなく、陽介だった。 壁に背中を預け、ただ静かに状況を見ていた彼は静かに言葉を紡ぐ。
「それ、ボクたちも使える言葉だよね。 攻撃されてきたから正当防衛でやり返すって。 良いの? 西洋協会とやり合うことになるけど」
「構わないよ。 俺たちチェイスギャングは、仲間に被害が出たらどこまで追っても清算させる。 それが海の向こう側に居たとしても関係ない。 ひとつ、勘違いを正そう」
陽介は言うと、薄っすらと笑みを浮かべる。 言いようのない悪寒、それをレミリアは感じ、警戒した。 この男は底知れぬ何かがある、先程もそうだったがただただ強い者とは何かが違う。
「俺たちは君たちが思っている以上に手強いよ。 特にうちの頭領は、見たところ君の十倍くらいは強いんじゃないかな」
「ふーん……あっそ、どうでもいいよ、そんなの」
素っ気なくレミリアは言い放つ。 が、その言葉遣いに苛立ちを隠すことはできておらず、存外子供らしい性格をしていることが見て取れた。 しかしそれでもレミリアの実力も高いことは確かである。 いくら影の中に身を隠せるといっても、それは攻撃に反応できれば意味がない。 そのため、佐嶋の攻撃を先ほどから立て続けに躱しているのはレミリア自身の実力が高いことを表している。
「……あまり時間をかけても、か。 喜助、俺も手伝うよ。 相性悪そうだしね」
「チッ……! てめぇそれわかってんなら最初から手伝えっての……!」
「そう怒らないでくれ――――――――桜花爛漫」
言う陽介の手には一振りの刀が出現する。 美しく、ガラス細工か何かのようなうつくしい刀だ。 そんな刀を握り締め、構え、レミリアに視線を向ける。
「俺の文字は強くはない」
「……お兄さん、嘘が下手そうだね。 悪いけど僕は油断とかしないから」
「良い心構えだ。 敬意を表し、俺の文字を教えてやる。 桜花爛漫は「この世でもっとも切れ味のいい刀を出現させる」ただそれだけの文字。 特殊な力もない、ただそれだけの文字だ」
その文字はあまりにも脆い。 感染者が一般的に持つ特異な能力というのが皆無なのだ。 唯一ある力は、たった今陽介が口にしたように一振りの刀を出現させるものでしかない。 陽介は説明を省いたが、その刀は一本しか存在しない。
……つまり、同時に複数本出現させることすらできない。 ただ手元に刀を出現させるだけ、それが獅子女陽介が持つ文字だ。
「なにそれ冗談のつもり? つまんなーい」
「試してみれば良い」
陽介はレミリアを見る。 レミリアはそれを受け、ただ一歩だけ後退った。 その行動はレミリアが全く意識していなかったもので、どうして自分は一歩退いたのか、という混乱を招く。 何かを感じ取ったのか、それとも単なる偶然なのか、それとも……恐怖した? 自分が、ただの感染者相手に? あり得ない、結論はすぐさま出て、レミリアの心は言い様のない感情に埋め尽くされた。
だが、それでも体が動かない。 攻撃を加えようと隙を窺うも、それが全くと言って良いほどに陽介には存在しなかった。
「――――――――」
陽介が動く。 決して早い動作ではない、佐嶋と比べればかなりゆったりとした動作だ。 だが、動けない。 まるで四方を壁で囲まれ、その壁全てが迫り来るような圧迫感だ。 逃げるための道、というのは存在しなかった。 影に隠れるというのも駄目だ、それをした瞬間に死ぬ予感がレミリアにはあった。 理由など、分かるわけがない。
「今ので三回は殺せているよ。 お嬢ちゃん」
耳元で、囁くような声がする。 近づかれたことすら気付かない、やはりこれは陽介の文字の影響か。
レミリアはそう思うも、それは決して陽介の文字の影響ではない。 彼の特異性というのは、人智を超越しているとも言える戦闘技術に集約されているのだ。 気配の消し方から隙のない動き、かつ接触した敵の構造を細部まで把握することに突き詰められている。 筋肉の動き、骨格の有り様、そこから予想される動き――――――――。
具体的に言ってしまえば、相手がどのように動くか、どう動けばそれを止められるか、隙を作れるか、隙を生まずに行動できるか、それらを限りなく高い練度で陽介は行うことができる。 たった今行われたのはそれの一部に他ならない、レミリアがどの程度まで反応できるか、それを陽介は先ほどの佐嶋との戦いでの動きを観察し、正確無比に割り出していた。
が、当然ながらそれは一日二日で到達できる場所ではない。 彼の弟、獅子女結城が天性の物を持つのに対し、獅子女陽介が持った文字は平凡以下とも言える文字だ。 それを補う……否、それを最大限活用するために、彼は血の滲むような道を通ってきた。 この世で最も切れ味の良い刀を出現させる文字、それだけでしかない文字を持ちながら、大規模感染者組織、チェイスギャングのナンバー2になったのだ。
「ッ……」
「動かないで、ここで殺すのは勿体ない。 だから――――――――」
陽介はその姿勢のまま、レミリアに何事かを呟く。 それを聞いたレミリアは目を見開き、そして見開いた目を瞑り、小さく息を吐き出した。
「……はいはい、僕の負けだね」
「話が早くて助かるよ」
レミリアは苦笑する。 そして次の瞬間、その影の中へと身を落とす。 それは次なる攻撃のためではなく、一時的に撤退するためだ。 それを陽介も分かっており、影の中に消えたレミリアを確認した後、手に持っていた刀を消す。
「……あん? おい陽介よ、なんつったんだ?」
「お互いにここで終わらせるのは不利益だと伝えただけだよ。 彼女を放っておけば神人の家に被害が出るかもでしょ? 今の俺たちにとって一番の障害は彼たちさ、戦力が削がれるのなら俺たちにとって有益にもなる。 だから逃した」
「はっ、お前らしいな。 ま、そーいうとこを爺は買ってんのかもな」
佐嶋の言葉に対し、陽介は笑って返事をする。 そして再び、何事もなかったかのように歩き出したのだった。




