第十三話
「うぅ……! はぁ……はぁ……!」
「ったく面倒なことさせやがって」
獅子女の前には男が壁に背中を預け、憔悴しきっていた。 男は文字刈りであり、決して力がなかったわけではない。 ただただ相手が悪すぎた、それだけのことだ。 これがもしも雀だけであったり、アオだけであったり、桐生院だけであったり、或いはその三人だけであれば、可能性は僅かながらでもあったかもしれない。 だが、獅子女という人物が居るだけで、可能性はゼロになる。 小数点の可能性すら存在せず、その時点で男には勝ち目がなかったとしか言えない。
「無色透明、便利な文字っすね。 僕もそれが良かったなぁ」
「お前はそういう器用系なのは向いてないよ、アオ」
その男の持つ武器は拳銃。 そして加工された文字は『無色透明』というものだ。 獅子女たちはそれがどれほどのものかまでは把握していないが、簡潔明瞭に透明人間になれるものだと認識していた。 実際のところ、それには条件があるのだが、既に獅子女によって文字を殺された今、関係のないことである。
獅子女がしたことは単純なものだ。 姿が見えないこと、そして攻撃が別方向から飛んできたことを踏まえた上で、大方の予想をまず付けた。 透明になれる、意識を消せる、或いは別空間からの攻撃。 大まかに分けてその三つで、まずは手短に確認できる方法から試す。 透明であれば、要するにそれに色が付けば再度文字を使わなければそれまでは見ることが可能だろう、と。
後は簡単な話、色を付ければ良い。 幸いなことに、良い着色剤は部屋の片隅に転がっていた。 獅子女はそれを破裂させ、飛散させた。 そうすることで赤い色の着色は部屋を埋め、室内に居た男を炙り出す。 文字が使えなくなった男は最大の武器を失ったのだ。 これが獅子女以外の相手であれば善戦はできるはずであり、たった一つの想定外があまりにも大きすぎただけの話だ。
「えぇ! でもほら、透明人間っていろいろやりたい放題じゃないっすか? 女風呂入ったり、着替え覗いたり、むふふなことし放題っすよ! なんかこうワクワクしません?」
「何故私を見ながら言うんですかっ! もしやアオさん、私をそういう目で見ているんですか……?」
「近くに居たからっすよ!? 他意はないっすよ!?」
アオのことを見ながら後ずさる雀と、必死にそれを否定するアオ。 二人には緊迫感というものはなかった。
「てか問題はそこじゃない気もするけど……。 まぁ良いや、それより君さ、そのままだと死んじゃうけどどうすんの?」
口を挟みたい衝動を抑え、獅子女は男の方へ向き直り、問いかける。 男の右腕は切断されており、獅子女は男の持っていた銃を手で遊んでいた。 切断された腕からはおびただしい量の血が流れ出しており、このままでは男の命は長くは持たない。
「俺の文字は生殺与奪、ありとあらゆる現象を生かし殺す文字だ。 君が知っていることを話してくれれば君の出血を止めることだってできる。 どうする? 黙って死ぬならそれも良い、あんたが死んだところで俺たちは新しい人間を探すだけだしな」
「はぁ……はぁ……わ、分かった。 話す、全部話す」
「オーケー」
獅子女は言い、文字を使う。 その瞬間、男の腕からの出血はぴたりと止まった。 それどころか、腕に感じていた激しい痛みも止まった。 まるで魔法か何かかのようなそれを受け、男は驚いたように獅子女を見ている。
感染者の持つ文字というのは、これほどまでに強力なのか。 そう言いたげな顔であった。
「それじゃあまず、俺たちはここに囚われている四条琴葉って感染者を探している。 場所は?」
「人探しの感染者か……場所は、俺にも分からない」
「人探し?」
「それを得意とする感染者だと、俺は聞いている。 く、詳しくは知らないが」
「では用済みですね。 ボス、下がってください」
言い放ったのは雀だ。 刀を抜き、男の首を落とすと言わんばかりに構えている。
「ま、待て!! この施設は形状が常に変わっている、それは知っているだろ!? 感染者の文字を応用した構造で、そのパターンは無数にあって、その日のパターンは当直にしか知らされないんだ!」
「なるほど、だから今日は今日のパターンがあるってことか。 そんで、他には何か知ってるか?」
手で雀を制し、獅子女は言う。 男はほっと胸を撫で下ろし、落ち着きを取り戻すように言った。
「……数分前に、人探しの感染者……四条琴葉はこの施設を去っている」
「なに?」
「お前らが襲撃してきたって情報が上に行って、駆逐隊の益村大佐が出張ってきたんだ。 それで益村大佐は四条琴葉の下へ行き、もう既に連れ去った後だ。 俺はお前らの足止めを依頼されていて……」
「なんか良く分からない単語が出てきたっすね、駆逐隊とか」
「駆逐隊は言わばエリート部隊だ。 あの人達は正真正銘の化け物で、きっとお前らでも太刀打ちできない。 だから四条琴葉は諦めろ、一応言っておくが、お前らのために言ってるんだぞ」
男は死を救ってもらったということで混乱しており、知っている限りのことを獅子女たちに語った。 そして、痛みと出血が消えたことにより獅子女に感謝すらしていたのだ。 そのことに獅子女も勘付いており、洗いざらいのことを吐かせようと話を引き出していく。
「経路は? どこへ向かった?」
「そ、そこまでは知らされていない。 ただ、輸送なら確実に車を使うはずだ」
「車か。 そういや、この病院はやけに監視カメラが多かったな」
獅子女はその場で口に手を当てる。 琴葉は既にこの中には居ない、男の様子からして嘘ではないだろう。 であれば、四条との約束を果たすためには琴葉を追わなければならない。 その方法を模索する。 現状、最短で確実な方法だ。 今のメンバー、そしてかかる時間、四条琴葉の救出に必要なための全てを思考する。
「雀に、アオに、桐生院。 俺も居るな……よし」
そこで獅子女は立ち上がった。 そしてすぐさま三人の方へと向き直る。
「四条琴葉を追う。 雀、ひとまずここから出て、病院の監視カメラの映像記録を見るぞ。 時間が惜しいから手っ取り早く行く」
「分かりました」
獅子女の言葉の意味を察した雀は直後に刀を引き抜いた。 獅子女の言葉の意味、それは後先考えずに最短で行けということ。 であれば、壁など邪魔な存在でしかない。 全て切り開くのが合理的だ。 目の前に立ち塞がる全てを斬り捨てるために雀の刀は振るわれる。
「桐生院とアオにも頼みたいことがある。 良いか?」
「もちろんオーケイだよ、ボス。 私に出来ることであれば、そしてボスの命令であれば美しいことで間違いない」
「僕も良いっすよ。 そんでこいつどうすんすか? ボスと雀さんは顔割れてないから良いとしても、文字バレちゃってますよね? ボスの名前もバレてるかもだし」
「お前に任せる」
獅子女の言葉にアオはため息を吐く。 そう言われてしまったら、自分に出来ることは一つだけしかない。
「まいっか」
アオが言うと同時、男の方から鈍い音が聞こえた。 音が聞こえたと同時に既に男の上半身は存在せず、アオの影から出ているのは黒い怪物だ。 奇妙な唸り声を上げ、たった今口にしたものをバキバキと音を立てながら咀嚼している。
「あーもうグロいグロい、さっさいきましょ」
「言われずとも。 一刀両断」
若干引きながらアオが言うと、雀は言葉とともに壁を斬る。 すると、コンクリート製の壁はまるで豆腐か何かを斬ったかのように避け、道が現れた。
「では参ろう! この鬱屈とし死臭が漂う美しくない場所からね」
「何故あなたが仕切っているのですか、桐生院さん。 まぁ良いですが……」
神人の家の四人は上を目指す。 見取り図によると、監視カメラの映像は医院の一階にある事務室だ。 そこまでの文字通り最短距離を進むべく、雀は道を切り開いていく。 移り変わる構造も、後先考えなければ彼女にとっては存在しないも同然であった。
「あいつ数分前って言ってたっけ。 念のため、数十分前から探していこう」
辿り着いたと同時、事務室に居た人間は全て殺した。 死体の山の中、四人は監視カメラの映像を確認している。 病院内は既に騒ぎとなっており、外からはサイレンの音も聞こえてきていた。 時間が立てば文字刈りたちも駆けつけてくるだろう、これ以上時間を浪費するわけにもいかず、であれば迅速に次の行動の道標を見つける他ない。
「対策部隊の車両、それも感染者の輸送となれば恐らく護送車っすよね。 形状はワゴンで旧型の白色、対策部隊の使用している車種は長らく変わってないんで特定は難しくないかと」
「サンキュー、じゃあその車種で絞ってく。 その型式で出ていった車を探すぞ」
獅子女の言葉通り、雀と桐生院、そしてアオは監視カメラの映像を流し見していく。 出入り口は全部で五ヶ所存在し、数十箇所にも及ぶ監視カメラの映像を全てだ。
「お、みっけ」
一番最初に言葉を発したのはアオだった。 アオの言葉を聞き、獅子女がその映像を覗き込むと確かにアオの言う車種、それもガラスにスモークフィルムが貼られており、中の様子が見えないということはほぼ確定だろう。
が、その次に声を発したのは雀だ。
「獅子女さん、こちらにも同じ車が」
「……そう来たか。 意外と考える頭はあるのかもな」
全く同じ形状、そしてアオの見た映像の時間よりも少し遅れてこの病院を出ていっている。 別方向、最初の車とは真逆の方向だ。
「獅子女くん、こっちもだよ。 やけに用心深い連中だ」
桐生院が見ている映像もまた、別の車である。 獅子女たちの行動を予測してのことか、数台用意された車は全て別時間、別方向へと向かっていっている。 尾行される可能性を極力下げ、更にはこちらの時間も割く。 桐生院の言葉通り用心深い方法だ。
「ナンバーを書き起こしてくれ。 同じ車種全部」
「了解っす」
その役を買って出たのはアオだ。 次々と映し出される車の情報をいち早く書き起こし、処理するのは普段から情報処理を行っている彼女が最も適任だろう。 事実、アオの情報処理速度は常軌を逸したものがある。
「……外が騒がしいな。 あまり大事にするつもりもなかったんだけどな」
「敵の動きが動きですからね、仕方ありません」
そして数分、やがて全ての車の書き起こしが終わった。 アオによって書き起こされたナンバーは全部で三十を超え、普通であればここから先は手詰まりだ。 せめて車の中まで見ることが出来れば特定は出来たものの、それすら許してはくれていない。 更にアオの情報網を活用したとしても、対策部隊の内部情報までは入手に至らない。
「さて、出揃ったか。 桐生院、行けるか?」
「んん、ああ……なるほど。 そういうことか」
獅子女の言葉を聞き、桐生院は自身がすべきことを理解する。 無数に並べられたナンバーの中、必要最低限の方法で車を特定する。 その無駄を省くということは、桐生院がもっとも得意とすること。 そして獅子女の頼みであれば、彼が動かないということは滅多にない。
「花鳥風月」
言い、桐生院は紙に並べられた文字をなぞる。 動作は決して早くはなかったものの、桐生院であれば確実に無駄を省き、目的となる車を特定できるのだ。
「桐生院さん、マジで超便利っすよね。 羨ましいっすよ」
「その代わり戦闘ではアオくんの方が優秀であろう? 私の文字がいくら美しいと言えど、避けられない攻撃はいくら無駄を省こうと食らってしまうしね」
「お褒め頂き光栄っす。 まー僕とか戦ってる感皆無っすけどね」
そんな会話をしながらでも、桐生院は確実に答えへ迫っていく。 数秒、数十秒、やがて桐生院の手が止まった。
「見つけた。 これだ」
「三五――――――――これっすね。 照合照合っと……みっけ、十分前に南南西方向っす。 ケセラス医院から南南西は……高速道路、その先は港、たぶん湾岸倉庫っすかね? 今はもう使われてない倉庫っすけど」
桐生院の指し示した数桁の文字を読み上げ、それと同一の車の映像記録を呼び起こす。 アオはその車が走り去った時間と方角を特定し、獅子女へと伝える。
「ありがとうアオ。 それじゃ今から適当な車一台借りてくぞ。 雀、運転任せた」
「はい、分かりました」
「えっ雀さんの運転っすか? 留守番って……ありじゃないっすよね」
「……私も実直な感想を述べるとすれば、命の危機を感じるので避けたいところ。 柴崎くんの運転はあまり美しいとは言えない」
「な、私は安全運転主義者です! ですよね、獅子女さん」
「……ああ、そうだな」
ちなみに柴崎雀の運転は、神人の家では「時間か命か」と評されている。 これまで雀が運転してきた車が無事で戻ったことは、ただの一度もないのである。




