第十一話
「――――――――死屍累々」
「が、ぁぁぁぁァあああああああアアアアアアアアッ!!」
悲鳴が木霊し、薄暗い入り組んだ廊下に響き渡る。 我原とアオが飛ばされた地下は、薄暗く湿気に満ちた場所であった。 その廊下を警戒しながら歩いて行くも、道中には警備らしい人物が一切と存在しない。 ただ居るのは、薄汚れた衣服を纏った奴隷のような者達だけであった。 そしてその者たちは、二人を見るとすぐさま襲い掛かってくる有様である。 まるでそうせざるを得ないように、しかし痛みに反応することから、ただの傀儡ではないことが伺えた。
「なんだここは。 まるで牢獄か、或いは奴隷の収容所だな」
「てかまさにそれじゃないっすかね? どういう意図があってこんな場所を作ってるのかまでは分かんないっすけど……っと」
アオは言いながら、背後に迫った奴隷を文字で捕食する。 パキり、という小気味良い音と共に首から上を失った体は倒れ、辺りに血を撒き散らす。 唸り声を上げてその肉体を貪るのは、アオの出す黒い怪物だ。
「明らかにおかしい感じっすよねー? 自我はなさそうなのに、我原さんの文字が効くってことは痛覚は生きてる……精神操作、ロクドウさんの文字に近い感じっすかね」
「だとしても、明らかに無駄な場所だろう。 操っての警備としても、周囲に置かず地下に置く意味が理解できん。 ここまで多くの感染者を囲う意味はなんだ?」
そう、その奴隷とも言うべき者たちは、全てが感染者であり、何かしらの文字を所有しているのだ。 とは言っても、決して強力なものではなく、まるで役に立ちそうにないものばかりである。 こうして二人で軽々と相手をできる辺り、警備としての役割を果たしてもいない。 その意図が汲み取れない。
「……何かの餌、とか? この地下施設にはとんでもない化け物……そうっすね、ミノタウロスとかが居て、その餌とか!」
「くだらん。 貴様の文字の方がよほど化け物じみているぞ、アオ。 オレの生易しい文字とは違ってな」
「いやいや、我原さんの文字の畜生度の方が半端ないと思うんすけど。 まーそれは冗談として、意味があってのことだと考えて良いと思いますね。 外から見た限りじゃだだっ広い敷地に塔が一つってだけっすけど、その地下がこんな迷路みたいなことになってるんなら頷ける。 そりゃあれだけの敷地が必要ってわけっすよ」
更に言えば、あの少女……ラハマがここへ飛ばしたことにも意味があるとアオは考えている。 言動からして、完全に西洋協会寄りではなく、ラハマは面白いことを見られればそれで良いという快楽主義者的な面がある。 故に、この場所にアオと我原を放り込んだのには意味がある、という考え方だ。
「つまり、この地下には必要不可欠な何かがあるということか」
長い廊下、入り組んだ廊下は時折ある松明だけが頼りだ。 冷たく、しかし湿気のある空気は独特な匂いを含んでおり、あまり長居したいとは思わせない。 アオは頭の中で進んできた道を完璧に把握しており、時折止まってはその地図とでも言うべき思考を組み合わせていく。
右、前、右、前、左、前、前、右、左、左、左、前、右。 方向だけであるならば、それだけのことで多少記憶力が良ければ覚えられるであろう。 が、アオは自らの歩幅からその距離までも導き出しており、脳内には完璧とも言える地図を導き出している。 約一時間ほどの徘徊は、アオの脳内地図とでも言うべきそれを完全な形に仕上げていた。
「我原さん、ここ右っすね」
「ああ」
言われ、我原は三叉路を右へと進む。 その後ろを数歩開け、アオは計測をしながら付いていく。 そして、壁が現れた。
「アオ」
「っと、待ってくださいね。 んー……」
行き止まり。 それが意味するのは、道を間違えた可能性だ。 そのため、アオは念のためにと記憶を辿り、今まで作り上げた地図を一旦白紙へと戻す。 そして一時間前からの記憶を呼び起こし、地図を再構築する。 たった数秒の出来事であったが、アオの思考回路はそれだけあれば充分であった。
「出口なさそうっすね。 なんか仕掛けとかあるんじゃないっすか? それとも本当に出口がない迷宮とか」
「最悪、壁を掘り進むべきか? 壁に空洞はなし、上は……」
我原は言うと、落ちていた小石を天井へと投げつける。 が、石は甲高い音と共に粉々に砕けた。
「駄目らしいな。 さて、他に考えられることは」
「……構造的に、ぶち破って何かありそうな壁もないっすからね。 天井も壁も駄目、八方塞がり?」
「八方、か。 アオ、まだ見ていないところがあるな」
我原が不敵に笑う。 その意味をアオはすぐさま理解し、若干戸惑った。 可能性の一つとして、なくはない。 だが、それはあまりにもデメリットが大きすぎる賭けとも言える。
「いやぁ、我原さんそれは」
「急がば回れということだ。 一体今、この場がどれほどの地下なのかが分からない以上、多少これより落ちたとしても構わないだろう?」
床を足で叩き、我原は言う。 返ってくる音は軽い音で、そこに空洞が確かに存在していることを表していた。 そんな我原の行動にアオは半ば諦めるようにため息を吐き、我原の顔をジッと見つめる。 がしかし、我原の提案ももっともだ。 これ以上ここに居ても進展がない、であれば進むべき道が他にある以上、そちらへ進むしか選択肢がない。
だが、それは罠としか思えない道だ。 目指すべきは地上であり、地下ではない。 その更に奥へ進むとなれば、罠でなくなんだと言うのだ。 まるでそこへ行けと言っているかのように、隠しているようで隠されていない地下が、ある。
「上を向いて藻掻くか、下に堕ちて行くか、好きな方を選べというわけだ」
「……で、我原さんは堕ちるってことっすか?」
「いいや、オレには最早堕ちる道などない。 故に迷うこともない。 貴様とて同じだろう? 感染者だという時点で、オレたちは人であって人ではない」
我原はそれを知っている。 自らが感染者であったがために、起きた出来事たち。 そしてアオもまた、それは知っていた。 だからこそ、人と敵対する道を選んだ。 対策部隊と戦える場所を選んだ。 他でもない、それを纏める獅子女結城という存在があったからこそ、心置きなく戦える。
ならばもう、答えなど分かりきっている。 アオはようやく覚悟を決め、口を開いた。
「はいはい分かりましたよ! ここまで来たら我原さんの勘に賭けるっす!」
「良い答えだ。 さて、鬼が出るか蛇が出るか……いずれにせよ、オレはオレ自身の言葉に責は持つ」
「へ? それってどういう――――――――」
アオが言葉にする前に、我原は自らの足元に拳を打ち下ろした。 身体能力だけで言えばずば抜けた我原の繰り出す拳は、脆い床を砕くには充分過ぎる威力を持っている。 床は容易く砕け、二人の体は宙に投げ出される。 アオは慌てて姿勢を立て直し、下を見た。
……大きな空洞、ドームにも近い形状をしている。 その巨大な空間とでも言うべき場所は、ただの空間と表現するには異様な姿形をしていた。
「っと」
「……」
二人は地に足を付け、辺りを見回す。 その直後、二人の視界を光が覆う。 視界が奪われ、その警戒心を感覚へと移す二人であったが、すぐさまそれは無用だと悟ることになる。
『レディイイイイイイイイスアーーーーーーンドォオオオオオオオジェントルメェエエエエエエン!! ようこそ! ようこそ我がお家へ!! さてさて、今日のイベントは神人の家から二名様のご招待でございます!! はい初めまして、私ことロイ=ラ=ルレイの本日の演目をご紹介致しましょう! あ、親しい方はロイラと呼んでくれているので、是非是非アナタ様たちもそうお呼びくださいね』
無数の照明、そして高らかな声が響き渡る。 姿は見えず、どこからか監視しているだろうとしか知り得ない。 やがて目が慣れた二人の視界に映ったのは、巨大な正方形の舞台であった。 四方は鉄格子で囲まれ、およそ百メートル四方の舞台だ。
「やっぱり罠ってことっすか。 どうします? 我原さん」
「聞き難い気色の悪い声だ。 悲鳴であれば多少は聞けたものだがな」
『おやおやそう言わずに。 はいでは、まずはこの演目の説明を致しましょう! 私ことロイ=ラ=ルレイの文字は『胡蝶之夢』というものでして、対象者の心を針でチクチク! とするようなものです。 大雑把に言ってしまえば、トラウマを呼び起こすみたいなものですかね?』
「……自ら文字を明かすとは、西洋協会は馬鹿の集まりか? くだらんな」
『でーすーかーらー! そう言わずに、我原様の怒りもごもっともですが……あ、私ことロイ=ラ=ルレイは趣味を人間観察としておりまして、こうしてお二人のことをよーくお調べして、よーく観察して、ご招待したのですよ? あ、とは言いましてもお二人は勝手に入ってきた不法侵入者! というわけなのですが。 ところでお二人様、一体全体どのように私のお家へ?』
「答える義理はない。 良いからとっとと姿を出せ、貴様の口からここから出る方法を聞かねばならん」
『はい! それが一つのルールです! ここから出る方法は一つ二つ三つほどありまして、一つは私を殺すこと。 私を殺せば高らかなファンファーレと共に向かって右手にありますエレベーターの鍵が天井から落ちてくるシステムにてございます! まぁそれは私が出る気がない以上不可能なので、他の方法を選んでもらうわけになるのですが……うえっごほごほっ!!』
早口でまくし立てるように、甲高い声の男は告げる。 一度に言葉を話し過ぎたためか、大きく咳払いをし、更に言葉を続けた。
『他にはですね! あなた方のどちらかが死ぬ、またはお二人とも死ねば晴れて死体となり外の世界へポイです! というわけで文字の説明続けさせていただきますよ? はい。 よくよく考えたら脱出方法はその二つでしたので、訂正させて頂きますねごめんなさい』
我原は苛立って来たのか、腕を組み床を足で叩き始める。 それを受け、アオはいつキレるのかとヒヤヒヤしながら男の説明を聞いていた。 頭に血が上ったときの我原の戦う姿というのは何度も見たことがあるが、その戦い方は苛烈を極める。 普段は大人しく、対策部隊以外であればそこまで殺すことに積極的ではない我原だが、一度怒りに身を任せると周りに被害が及びかねない。
『私の文字である胡蝶之夢ですが、一度発動すれば心をググッと鷲掴み! 中々どうして掴んだら離さないものなのですが、ひとーつだけ文字を解除する方法がございます! それというのも、そのチクチクされているトラウマを乗り越えることです! 類まれなる精神力で! その壁を乗り越えたときに素晴らしい解放が待っている! はい、このような文字となっております』
「極論、精神干渉の文字は大概その手のが多いっすけどね。 んで、それを僕たちに話すメリットってなんすか? ただ馬鹿が弱味を晒しているようにしか見えないっすよ」
『弱味! はい、弱味ですね。 弱味はそうですねぇ……私自身はなーんの力もなく、更に相手が見えていないと使えず、更に更に対象者が二人でなければいけないことですかね? 一人でも三人でもダメ、二人でなければダメなところでしょうかねぇ……』
「ということは、簡単な話、この室内にあるカメラを壊せば良いということだな」
『ご名答! ご存知の通りカメラは私でも感知してないほど無数にございますが、私の視界外になれば文字は問答無用で解除でございます! いやはや、というかそろそろ始めないとボロがでそうなので、誠に勝手ながら進行させていただきますよ? 私の文字、発動にはそれはそれは面倒な手順がありまして、それというのもひとーつ!』
アオはそこで、勘付いた。 だが、既にその気付きは遅過ぎた。
『私が私の文字を説明すること! 文字の影響から解除方法まで! ふたーつ! 対象者が口にする質問には嘘偽りなく答えなければいけない! みーっつ! 全ての説明後、文字名を口にすることによって文字の発動とする! はい、というわけで今宵の夢へとご招待ーーーーーーーー胡蝶之夢』
アオにとって、我原にとって、その最悪の戦いの幕は開かれた。




