第十二話
「やめ――――――――」
「却下。 ここも違うか」
ドサリという音と共に、事切れた研究員の体が床に落ちる。 施設内へと入ってから集団で動き、ひとつひとつ虱潰しという方法を取った獅子女たちであったが、十分程度探しても目的の感染者まで辿り着けていなかった。 それこそ桐生院の『花鳥風月』を使えば全ての無駄を省き辿り着けるものの、敵地の中と外では勝手が違うのだ。 花鳥風月はあくまで無駄を省くのみ、その間に生ずる障害などは一切無視される。 つまり、その障害が厄介なものの場合、結果的に時間ロスの可能性もあるのだ。
「手短に済むかと思いましたが、予想以上に厄介な構造ですね……侵入者も想定済みということでしょうか? 中々人間側の技術力も侮れませんね」
「だろうな。 まったく夢の国か何かかよここは」
その言葉と同時、轟音が鳴り響く。 そう、この施設は数分置きに構造が変化している。 だからこそ獅子女は桐生院の文字を使うことを断念したのだ。 使用時点で最短だった道も、構造の変化が起きた場合最長の道となる可能性があるからだ。 変化には対応できない、その都度文字を使うというのも、桐生院の負担から考えて控えたいことであった。
「んでも侵入してるにしてはやけに静かっすね。 敵さんにはバレてるんすよね? これ」
「んんー、そうだね。 バレていなければ研究員たちが武装している理由にはならないよ。 敵が来たら迎え撃つ、様式美というのは美しいものだ」
アオの言葉に桐生院は長めの髪を手で流しながら言う。 その言葉通り、施設内に居る研究員たちは皆、待ち構えるように武装をしていたのだ。 獅子女たちの侵入を知らなければそれはできないはずであり、そのことから襲撃のことは既に全研究員が知るところであろう。 当然、対策部隊の耳にも既に入っていると考えて良い。 あまり時間をかければ取り囲まれる可能性もある。
「さてどうすっかな。 雀、なんか良い案あるか?」
「そうですね……あまり気は進みませんが、適当な研究員を捕らえて尋問をするのが最適かと。 少なくとも何も知らない私たちより、内部に居る人間の方が詳しいでしょうし。 現状では最善の策かと」
「え、僕嫌っすよ尋問とか。 雀さんの言うそれって痛めつけてーってことっすよね? グロイのあんま好きじゃないんで僕は遠慮っす」
「お前自分であんな化け物出す文字使ってて良く言うよな……。 まぁ良いよ、桐生院もどうせパスだろ? 俺がやる」
「んむ、非常に申し訳ないが私も尋問、拷問の類は美しくないと思う身な者でね。 獅子女くんに任せるとしよう」
というわけで、当然のように雀の案を却下したアオと桐生院のことを尊重し、獅子女は自らそれを行うことになるのであった。 神人の家のメンバーにとって、獅子女という存在はボスであるのと同時、友人のようにも思える関係となっている。
「それじゃその研究員探すか……っと、あん?」
言う獅子女の眼前で、弾が落ちる。 発砲音はなく、そして獅子女たちの視界上には誰も存在しない。 室内の設備からして更衣室かと思えるその中には、事切れた研究員以外は誰も存在しなかったのだ。 だが、たった今明らかに獅子女は撃たれた。 何が起きたのか、その場に居る誰もがその瞬間理解することは叶わない。
「……なんだ?」
落ちた銃弾を手でつまみ、その形状を見る。 至って普通の銃弾であり、見たところ変わった様子はなかった。 だが、たった今確かに獅子女の顔を狙い放たれたのだ。 壁に仕掛けがあるわけでもない、まるで異空間から飛び出してきたかのように、突如として現れた弾丸だ。
「罠ってわけでもないっすか。 怪奇現象? 僕ホラーも苦手っすよ……呪われてんじゃないすか、この施設」
「この銃弾自体、特に変化はないですね。 あと考えられるとしたら――――――――ッ!!」
直後、雀はその場で刀を振るう。 同時、空間は断たれた。 そして、そこに吸い込まれるように銃弾が二つ消え去っていく。 今度はアオと雀、その二人を狙ったものだ。
通常では確実にあり得ない現象。 そして、不可視の攻撃。 考え得る可能性はこの時点で一つだけとなる。
「文字刈りか。 はは、良かったよ。 それなら都合が良い、人を探す手間も省けたな」
獅子女は立ち上がり、何もない空間へ銃弾を投げ捨て、言う。 見えない敵との戦いが、始まった。
――――――――四条琴葉の独房――――――――
「なんか、騒がしい?」
暗い部屋の中、琴葉は一人呟く。 窓もなく外の景色が全く分からないここでは、その騒がしさの原因が何かという特定は不可能だ。 だが、時折鳴り響く轟音の頻度が今日に限って極端に多かった。 何か起きているのか、それとも自分の処分が始まっているのか、理由は分からない。 分かることと言えば何かの変化が起きている、ということだけだ。
「……マイナス思考はダメダメ。 ポジティブに、だよ!」
頬を一度叩き、自分へ活を入れる。 生きる希望はまだある、だから諦めてしまうことだけは絶対に駄目だと言い聞かせる。 自分の文字は少々変わっており、その希少性から殺さずに生かされているのだ。 そんな文字を自分へ与えてくれた神様のためにも、死を見ることだけは駄目だ。 いつでも前向きに、彼女は思う。
「そう、そうだ! もしかしたら最近頑張ってるから、ご褒美のご飯とか……!」
目を輝かせて立ち上がった。 だが、直後に鳴り響いた轟音によって驚き、尻餅を付いてしまう。 耳を抑え、轟音が鳴り止むのを待った。
「……あービックリした。 もしかしてあたしの言葉聞いて怒ったとか……? いやぁ、まさかねぇ、冗談だよ? 冗談」
だが、冷静に考えてご褒美でご飯をくれることなんて考えられない。 そう思い直し、琴葉は再度思考する。 一体何が原因なのか、あまりにも同じサイクルだった日々から違うことが起きていて、それを気に留めないということは不可能であった。
「ううん、もしかしたらヒーローさんが助けに来てくれたとか……!」
再度立ち上がる。 今度はそのタイミングで轟音が鳴ることはなかったが、絶対にないことだと思い、再び座り込んだ。 あり得ない、不可能なことだ。 それに感染者を助け出すヒーローなど、居たらそれはヒーローではないとしか思えない。
この部屋での生活でもっとも苦痛なのは時間である。 ただ何もせず、一日数分で終わる仕事のためだけに生活をしなければならない。 暇潰しをするものは当然ない、本やテレビでもあれば良かったと何度思ったことか。 しかしそれを口にすれば当然、殴られ蹴られするのは分かっていた。 何もしていなくてもストレス発散とばかりに殴られ蹴られているのだから、当然だ。 余計なことは言わない、ただひたすらに全てを受け入れる、それが賢いことだと琴葉は分かっていた。
感染者は人間ではない。 人間にとって感染者とは悪であり、捕らえられた感染者は家畜も同然だ。 自分の待遇はそれでも他の感染者にとっては恵まれているものだろう。 そう考えるときもあり、琴葉はそう考える度に他の感染者に「ごめんなさい」と謝っていた。 自分がこんな恵まれていて、ごめんなさいと。
「……寒いなぁ」
今日はどうしてか、独り言が多い気がした。 なんでもない一日のはずなのに、何故か胸騒ぎがしていた。 そしてここに連れてこられてから一番、姉の顔が浮かんできた。 もう会えないと思っている姉の顔が何度も何度も浮かんできた。 何故かは、分からなかった。
だが、そんなとき――――――――たった一度しか聞いたことのない音が響き渡る。 それはもう数年も前のこと、この部屋へ入れられるときに聞いた音。 食事が入れられる小さな窓が開く音でもなければ、轟音でもない。 それは、ドアを開く音だ。
「……へ?」
琴葉は思わずドアの方を見る。 幻聴でも幻覚でもなく、ドアはゆっくりと開かれていく。 自分が用済みになったのか、それとも何らかのことが原因で開かれたのか、それを知る術を琴葉は持たない。 だが、何百回と続いていたサイクルが外れたというのがどうしようもなく興奮した。 違う何かが起きたということに喜びを感じてしまうほど、ここでの生活は同じでしかなかったのだ。
しかし、それは果たして良いことか。 そう問われれば、その質問に答えられる者は扉を開いた張本人でしかないだろう。 現時点で、それを知っているのはその人物だけなのだから。
「やあ、初めまして。 感染者、四条琴葉クンだね。 優しい優しいこのワタシが迎えに来てあげたよ」
初老の男はニタリと笑い、そう告げる。 第一印象では、良い人物には見えなかった。
「は、初めまして……」
「ワタシは君の名前を知っているのに、君はワタシの名前を知らないというのは少々不公平だねぇ。 ワタシは益村幸次、君を助けに来たんだ」
「助けに……?」
その言葉を聞き、琴葉は顔をパッとあげる。 願いが、絶対にないと思ったことが、現実になった。 嬉しくて、嬉しくて、目には涙が溜まった。 目の前に居る男が神様のようにも思えた。
だが、益村は告げる。
「なーんてね、嘘嘘。 はっは、ナイスジョークだろぉ? とりあえずオヤスミ、感染者クン」
「へ……あ」
益村は言うと、懐から拳銃型の麻酔銃を取り出す。 そして躊躇うことなく、琴葉の体へと撃ち込んだ。 自分の体に刺さった針を見て、琴葉は益村の顔を見る。 だが、どんな表情をしていたかは分からないほどに意識は一瞬で闇へと落ちていった。