第三十三話
「詰みだ、エドワーズ」
言い放ったのは桐沢だ。 今さっき神藤から獅子女へ連絡があり、言われた通りに笹枝紡を殺したとの話だった。
その桐沢の横に立つのは獅子女で、彼は血まみれになりながらも立っている。 が、もちろんそれは獅子女の血ではない。 獅子女が殺した死体の返り血、東雲へ蹴られ少々の間膨大な数の死体を殺し続けた結果である。
その東雲は体力の限界が来たのか、後方で座り込んでいる。 やはり体はまだ完治していないだけあり、最早動ける状態でもない。 だが、桐沢と獅子女はまだ戦える状態であるのは間違いない。 桐沢に関してはなんとか、といった具合であるものの、獅子女の方は余裕を持て余すほどには余力がある。
「あ、が、ががががががががががぁあああアアアアアアアアアアアッ!!!!」
言われ、そして自らの権謀術数による力がなくなったことは理解しているのは、下水の丁度中央に立つエドワーズは、奇声を発しながら自らの顔を掻き毟る。 血が滲み、掻いた後がハッキリと残るほどに力強く行われたそれは、傍目から見れば異常者にしか見えない。
「おいおい、殺す前に自殺とかすんなよ。 折角地道なルートでコツコツ進めてんのに、最後に殺されるべきお前が自殺とか、アオ風に言やぁそりゃクソゲーだぜ」
「……ひひ、あひひひ! ワタクシが、このワタクシが、西洋協会のこのエドワーズ=ヨークがッ!!!! 死ねと、命を捧げろトッ!! その儚き愚かな命を使い果たせと告げているのニッ!! あなた方はどうしてどうしてどうして何故ッ!!!! そうまでして逆らい歯向かい立ち上がるのですカッ!? ああ、あああ、ああそうだそうだソウデシタ……ならばワタクシに残された選択はただヒトツ!!」
尚も笑い、そして怒り、狂いながらエドワーズは両手を大仰に広げる。 次の瞬間、気配を感じたのは獅子女と桐沢の背後だ。 二人はほぼ同時にエドワーズの目的というものを理解する。
「まずは、まずはまずはまず、ハッ!! 弱者のお掃除といきましょうかね?」
エドワーズの狙いは絞られた。 この場に置いて、戦闘能力に長けているのは今現在では二人しかいない。 桐沢宗馬と獅子女結城、その二人がエドワーズにとっては厄介な存在だ。 そして、その二人についてはエドワーズ自身、権謀術数で操っていた笹枝の文字がなくなった以上、勝ち目が殆ど希薄になったことは分かっている。
ならば、取れる行動は何か。 今現在で二人にダメージを与える方法は何か。 それは最早、自身のための行動ではない。 西洋協会という、自身が身を置き信仰する組織のための行動だ。
狙いは四条琴葉、そして東雲由々。 有り体に言ってしまえば、獅子女が桐沢及び東雲と戦った際に取った戦略と同じである。 弱者から狙い、その頭数を減らしていく。 理に適った方法、というわけである。
琴葉の目の前、そして焦燥しきった東雲の下に死体が現れる。 それに即座に動いたのは、桐沢であった。
「さっきから汚え手ばかり使いやがって……!! 人の命をなんだと思ってんだッ!!」
やはり、誰かのために動く場合の桐沢は獅子女の予想というものを軽々と超える動きを見せている。 今もそう、東雲のために、そして意外なことに桐沢は琴葉のことも助けたのだ。
僅か一秒足らずで、二人の下に現れた死体は桐沢によって倒される。 東雲は顔を少しだけ上げ、笑みを浮かべていた。 琴葉は何が起こったのかすら分かっていない様子で桐沢のことを見ている。
「人の命、なんだと、思っているとは果たして一体どういう意味でしょう……? あなた方の命に一体どれほどの価値があるとお思いで……? ない、ナイナイナイナイナイッ!! このワタクシに、西洋協会に歯向かうなどそれ即ち叛逆も同然ッ!!!! 故にワタクシは正義の鉄槌をあなた方愚民に打ち下ろさなければならない、ナラナイッ!!!!」
「やれるもんならやってみろ!! てめぇの企みなんて俺が全部ぶっ壊して……ッ」
桐沢は自身に喝を入れるように、そして決意を固めるように言い放つ。 だが、それでも限界というのは無慈悲に訪れるものだ。 度重なる文字の行使、そして獅子女結城という感染者の文字を押さえ込むということに、本人ですら気付かない間に膨大な体力を消費していた。 桐沢は意思とは無関係に倒れる体に疑問を抱きつつも、立ち上がろうと足に力を入れる。 しかし、その全てはまるで空気を蹴るかの如く抜けていく。
「く、そ……」
「おや? オヤオヤオヤ? ああなんと可哀想に、ニッ!! 劣等種の者が欲張る故に……嘆かわしいッ!!」
エドワーズは笑う。 しかし、桐沢の体はいくら動かそうとしても動かなかった。 感じるのは下水の鼻を突くような臭いと、死体から発せられる腐敗臭、そして血の匂いのみだ。 視界に見えるのは、手を広げ高らかに笑うエドワーズだ。
だが、その場では笑うもう一人が存在する。
「あー、やっと肩の荷が下りたって感じだな。 てか最初から倒れんなら倒れとけよ、結局そっちの方が早いじゃねえか」
獅子女結城。 彼は笑いながらエドワーズと向かい合う。 今の今まで、桐沢の文字によりある程度抑え込まれていた文字が、全てその抑えから放たれた。 桐沢が満足に戦えなくなることで、意識せずとも誇大妄想が切れた形だ。
そうなれば、獅子女結城は自身の生殺与奪を余すことなく使うことができる。 それが意味することは、エドワーズ以外の全員が理解していた。
「あなた一人で何ができると? オッシャイます? 見たところ、裂傷火傷に骨にも損傷が行っているかと思われます、ますが? ひひ、アひひ!!」
「診察どーも、診察代払った方が良いのか? それ」
獅子女の雰囲気は明らかに違った。 文字が満足に使える、たったそれだけの違いだというのに、そこに立つ男はまるで別人だ。
「俺一人で何ができるかって言ったよな――――――――なんでもできるんだよ」
「イッ!?」
一瞬でエドワーズとの距離を獅子女は詰める。 それに対し、まるで予想していなかったのか、エドワーズは咄嗟に自身の顔を庇った。 庇ったつもりだった。 両手を上げ、顔の前へ上げたつもりであった。
しかし、エドワーズの視界に映るのは片腕のみだ。 次の瞬間、右腕に激痛が走り、視線を落とす。 そこには既に、あるはずの腕が存在しない。
「うで、腕腕腕腕腕ウデウデウデウデッ!!!! ワタクシの、腕がッ!?」
「一々うるせえな、今から面白いもの見せてやるから静かにしてろよ」
獅子女は言うと、今さっき千切った腕を投げ捨てる。 そして息を短く吸い込み、目を閉じ、少しの間を置いて開いた。
「獅子女結城様のマジックショーを見せてやる。 ここにあるは少々の水、なんの変哲もないただの水だ」
まるで真也のように言い、獅子女は足元を流れる水を掬った。 エドワーズはいきなりの行動に警戒しつつも、腕を走る激痛に耐えるように荒く肩を動かしている。
「さっき言ったよな? 俺にはなんでもできるって。 この水に俺が手を触れれば、お前にとって良いことが起きる」
言い、獅子女は掬った水に人差し指を付ける。 すると、エドワーズの身に異変が起きた。 思わず、エドワーズは自身の引き千切られた腕を見る。
「……一体、一体一体何が……? ワタクシの身に?」
痛みが消えた。 流れ落ちていた血も止まった。 エドワーズにとって、それは自身の常識を覆すかのように信じられない出来事だ。 強烈な熱を当て続けられているかのように走っていた激痛が、獅子女の言葉と行動によりピタリと止まったからだ。
「ぁああ……あああ……もしや、もしやもしやもしやッ!! あなたはワタクシに施しを……? そして、そしてそしてッ!! あなたは、あなたはワタクシに救いを与える者……なのです、カ……」
エドワーズは辿々しい足取りで、目の前へ立つ獅子女に向け歩き出す。 そして、残された左手を縋るように獅子女へと向けて伸ばす。 狂いに狂ったエドワーズにとって、そして幻覚と右腕を奪われ追い詰められた彼にとって、獅子女のその行為は神からの享受だとも感じた。 最早そこには敵や味方かの概念などは存在せず、ただただあるのは崇拝というひと言に過ぎない。 エドワーズにとって、或いはそれは神にも等しい存在のようにも見えていた。
だがしかし、そこに立つ男は明らかにそれとは異なる別種の生き物だ。
「悪いけど、俺は男にはモテたくねえな」
獅子女は言い放ち、縋るように迫るエドワーズへ向け、手の平に貯めていた水を放った。 払うような仕草で行われたそれは、傍目から見ればただ水を投げ捨てたかのようにも見える。
「か、ひ?」
しかし、実際に起きたのは圧倒的な暴力だ。 まるでショットガンでも放ったかのような音と威力で、獅子女の放った水はエドワーズの体を撃ち抜く。 体中を無数に貫かれ、エドワーズは下水の中に倒れ込む。 首も貫かれており、声は出ずに息は掠れて風のような音しかでない。
だが、訪れるはずの痛みがない。 そして、流れるはずの血が流れない。
「生憎、俺はあいつほどユーモアがあるわけじゃなさそうだ」
獅子女は言い、再度水を掬う。 その水を見つめて笑うと、エドワーズへと顔を向けた。
「俺の生殺与奪はありとあらゆるものを殺して生かす。 折角いろいろやってきたってのに、結局あいつがぶっ倒れて、速攻お前を殺すってのも味気ないしさ」
確信した。 そのとき、エドワーズは自らの視界に入ったものを見て、確信した。 そして、人のように恐怖した。
この者は神などではない、ましてや悪魔など単純な言葉で片付くものでもない。 もしも言葉として例えるならば、この男は災厄だ。 存在そのものが他の生物にとっての脅威、居るというだけで恐怖を撒き散らす災厄だ。
正気というものを思い出す。 それは図らずとも、エドワーズが我に返ったとも言って良い。 何故か。
「お前がどこまで生きてられんのか、試してみようぜ」
自分よりも余程狂った者、そして狂気に満ちた者。 それを目の当たりにしたことが切っ掛けだというのは、エドワーズにしか分からないことであった。 そして、放たれた水はエドワーズの体を容易く貫く。 最早、体の自由はない。 人形のように動かず、しかし意識だけはハッキリとしている。
自らの体が徐々に壊されていく恐怖は、残された脳に着々と刻み込まれていく。 そんな中、獅子女結城という男は笑い、玩具で遊ぶかのように水を放っている。 その度、エドワーズの体は力なく跳ね上がる。
「まぁ喜べよ、お前が逝ってもすぐに仲間も全員送ってやる」
それに対してエドワーズは何かを言うも、既に口からは奇妙な音しかでなかった。
遅れ遅れで申し訳ありません。 これにて三章本編終了となります。
数話、小話を投稿致しまして、四章の投稿へと移行させて頂きます。




