第三十話
「……は? おい獅子女、お前何言ってんだ。 つうか本当に獅子女か?」
『良いか龍宮寺、お前の仲間の笹枝紡は既に死んでいる。 エドワーズって奴に殺されてるんだ』
「いやいや、言ってる意味がわかんねっつの。 誰だよそいつは……死んでるって、お前な」
さすがに話が飛躍しすぎているのか、真也は真に受けず、笑いさえしていた。 だが、その会話を聞いていたもう一人は違和感を受ける。
笹枝紡は間違いなく夏井が見張っているはずだ。 これ以上侵入者の気配はない上、夏井とてそう簡単に殺られる者でもない。 加え、一番違和感を受けたのは獅子女が口にした「エドワーズ」という名前だ。
「……どういうことだ。 エドワーズにだと?」
『ああそっかお前は聞こえるのか、神藤総司』
自らのことを知っている、言い方からして文字のことも声の主である獅子女には割れているのだろう。 どういう手を使ったかは定かではないが、今この状況では逆にやりやすい。
「エドワーズは、お前らの仲間じゃないのか」
『いーや違うね。 そういう文字でそう思い込まされていたらしいけど、詳細は不明。 龍宮寺よりお前のが話しやすそうだな』
「あ!?」
獅子女の言葉に対し、龍宮寺は怒鳴りつけるように言うも、獅子女はまるで意に返さずに続ける。
『エドワーズは西洋協会の奴だ。 で、今俺と桐沢、東雲がそいつと戦っている。 エドワーズの文字は権謀術数、殺した奴を操る文字ってことは知ってるか?』
「ああ、東雲から聞いている。 それで、笹枝を殺せというのはどういうことだ」
『……龍宮寺、笹枝の文字は『四百四病』だったな。 その内容まで俺は聞いてないけど、とある条件を満たした奴に幻覚を見せる文字ってとこか?』
言われた龍宮寺は、一瞬目を見開く。 その反応から、獅子女の言葉が的中しているのは明白だった。
「それがどうした」
『その条件は会話ってところか。 更に最初に感染した奴からの感染もあり得る、笹枝が元で東雲と桐沢に感染し、接触した俺と琴葉にも感染している。 どうだ?』
「……ああ、だからそれがどうしたってんだよ」
『ってことは、個人差があんのもそういうことか。 時間の経過で進行する……ってことだな』
それは真也に向けられた言葉ではないだろう。 一人納得するように獅子女は言うも、苛立っているのか、声を荒らげるのは真也だ。
「だからなんだっつってんだよ獅子女ッ!! 紡を助けるために俺はここに来てんだよッ!!」
『笹枝は既に死んでる。 琴葉の文字は話してあったよな、その琴葉の文字で笹枝の今を視ることはできなかったんだよ。 琴葉の文字は、死人の今を視ることはできねえ』
聞いた真也は、拳を握り締める。 深く立てられた爪によってそこからは血が流れ落ち、床に落ちた瞬間に凍り付いていた。
『今話した通りだ。 お前らが捕まえた笹枝紡は、既にエドワーズの人形になっている。 あいつの文字は殺した奴が感染者だった場合、ある程度の範囲でそいつの文字も使えるみたいだ』
「大体の話は分かった。 つまり、俺たちと龍宮寺たちが争っていたのも、そいつの仕業ということか」
獅子女の言葉に、神藤は返す。 今、冷静に状況を判断できるのは神藤総司であるのは間違いない。
『ああ、全てあいつの企みどおりってことだな。 んで、そっちにいる笹枝を始末しないと桐沢と東雲が死ぬ。 別に俺はどっちでも構わないけど、どうする?』
「龍宮寺に任せる。 俺が決めることじゃない」
『……は? 二人が死んでも良いってこと?』
その神藤の返答は、獅子女にとっては予想外のものであった。 二人の名前を出せば、例え龍宮寺が決断できなかったとしても、神藤が終わらせてくれるだろうとの判断から口にした言葉であったが、神藤の答えは獅子女の狙いを容易に裏切るものである。
「それでもしも東雲たちが死ぬようなことがあれば、俺はお前を必ず殺す。 それが嫌なら精々二人を守れ、神人の家のボス」
『……はは、あはは! あーったく……人権維持機構って俺の想像以上に愉快な奴が多いな。 んじゃそっちは任せる、終わったら連絡寄越せ』
そこで、通信は切れた。 残されたのは未だに拳を強く握り締める真也と、身動きの取れない神藤だ。
「クソが……ッ! 紡が死んでるだと? 適当なことを言いやがって、獅子女の奴め」
混乱している、というのがもっとも適切だろう。 それも無理はないことだと神藤は思い、しかし何も言わず事の結末をただ待ち続ける。 一度は死を覚悟した身だ、この際、長い間敵として戦い続けてきた真也にそれを委ねるというのも悪くはない。
「……ボケがッ!!」
真也はしばしの沈黙の後、思い立ったように勢い良く壁を殴り付ける。 氷によって覆われた壁は、その一撃によってひび割れた。 血は流れ、その筋はたちまち凍っていく。
そして、次の瞬間だ。 部屋の床、壁、天井……更には神藤を捉えていた全ての氷が、まるで霧のように飛散した。 粉々に砕けた氷は雪のように室内を舞い、幻想的な光景となり神藤の目に映る。
「紡のとこに案内しろ、神藤。 俺は俺の目で見て確かめる、考えんのはそっからだ」
「やけに聞き分けが良いな、龍宮寺」
自由を取り戻した腕と足を動かし、皮肉混じりに神藤はそう言った。 それによって真也が再度攻撃してきてもおかしくはないのだが、その状況は神藤の予想もまた裏切るものである。
「獅子女の言うことが本当なら、テメェらを攻撃する理由がなくなった。 だったら殺す必要も殺り合う必要もねぇし、テメェのことは嫌いだが、もしも何かの間違いだったらブッ殺すことだけは覚えとけ」
「間違いじゃなかったら?」
「そんときはそんときだ。 ただし、響のことを馬鹿にした罪でテメェだけは死刑だ」
「そうかよ、そりゃ残念だ」
神藤は言うと、自らの文字を使い扉を開く。 既に大半の氷は溶かされており、室内の気温もある程度だが戻っていた。 とは言っても、龍宮寺が抑えているだけであり、通常よりもぐんと低い温度となっているのは変わらない。
真也から感じる殺気はない。 意外にも状況を冷静に判断できる男なのかもしれないと、神藤は思う。 が、それは同時に厄介な敵になり兼ねないことも意味している。 先ほどの力、あれはあまりにも規格外すぎる力だ。 それを証明するかの如く、神藤は真也ですら気付いてないであろう出来事の一つに気付いている。
自らが付けている腕時計。 これは電波を受信し正確無比な時間を表している。 その時計が、数秒ではあるものの遅れていたのだ。 文字のおかげでそれを知ることができ、更に面白いことに真也が文字を和らげた途端、その時間は元に戻ったのだ。
考えられる一つの可能性。 絶対零度というおよそ一つの到達点であるそこに至ることができる男。 もしも、その世界が超越した何かであるならば。
――――――――時間停止。
それを引き起こすことすら、この龍宮寺真也という男には可能なのかもしれない。




