第二十八話
「おーう、よく上手いことずらしたな、神藤よぉ」
「てめぇ……ああヒントをやるよ、お前は今から殺しますって空気を出しすぎだ」
機構アジト内、少々広い訓練室で龍宮寺真也と神藤総司は向かい合っていた。 不意打ちを食らった神藤がここへ逃げ込んだ形ではあったが、神藤が負った傷は浅い。 背後からの氷槍による一撃を神藤は反応して見せたのだ。
「そりゃどうも、今後の参考にしておくわ。 人生最後の言葉がそんなんで良いのか?」
「こっちのセリフだ。 参考にできねぇことを教えて悪かった」
力関係としては、龍宮寺真也の方が勝っていると言って良い。 文字として見ても、V.A.L.V含有率として見ても、神藤は真也に劣っている。 真也の文字は絶対零度、体から放たれる冷気を操作し、空気中の水分を氷結させる力だ。 それは自分自身ですら制御できず、数十キロという膨大な範囲に影響を与える代物でもある。 攻撃、防御面においても当然優れており、生半可な攻撃では真也の出す氷壁を突破することは叶わない。
対する神藤の文字は、辺り一帯の電子機器を操作できるというもの。 神藤の目にはその流れが見えており、悪く言えばそれだけだ。 電子機器を用いて攻撃してくる相手であれば優位は取れるが、真也はそういう類の者でもない。
「その先に紡がいんのは分かってんだよ。 テメェらがどんな恨みあって俺らを攻撃すんのかは知らねえけど、仲間は返させてもらうぜ」
「……やれるもんならやってみろ。 俺にも退けねえ理由がある、お前もそれは一緒だろ? なら後のことは分かり切ってる」
「クク、クハハッ! 冗談キツイぜ神藤ちゃんよぉ! テメェみたいなクソザコクソカスクソ野郎な感染者が俺様と殺り合うってかぁ!? 今日は金魚の糞もいねぇようだしな、一人のテメェに何ができんだよ、おっさん」
「それはお前も一緒だろ、龍宮寺。 それとも今日は足手纏いがいなくて楽か?」
言われた真也は、数秒固まる。 神藤が口にした言葉の意味を理解し、咀嚼した。 その次の瞬間、真也から発せられるのは刺すような、肌を貫くような冷たい殺気だ。
「――――――――ブッ殺す」
彼にとって、妹である響は唯一の肉親だ。 感染者は皆、そのような関係を大切に想っている。 人と人との繋がりを大切にするのは、恐らく人間よりも感染者の方だろう。 世間から外され、多くの者から敵とみなされ、いつ死ぬかも分からないというのが感染者たちであり、だからこそ彼らはそのような関係をより大切にする傾向にある。
獅子女が仲間を集めたように。 チェイスギャングが大組織となったように。 他の感染者たちも集まり、仲間内で行動するのが殆どだ。 それだけ、感染者にとって他者との繋がりというのには深い意味がある。
それは龍宮寺真也とて同様だ。 彼の場合、感染者となったことが切っ掛けで両親に殺されかけた。 そして、殺し返した。 その結果残された響だけが、彼の家族であり彼の理解者でもあった。
真也を激昂させるには単純な方法がある。 それが、響を罵倒するということだ。
「あいつを馬鹿にすんのは誰であろうと許さねぇ。 テメェが例え神様仏様だったとしても、俺の前で響を馬鹿にする奴は地獄の果てまで行ってもぶっ殺してぶっ殺してぶっ殺してやる……!!」
腕に力を込め、真也は自らの顔を掴む。 充血した眼は怒りに染まっており、煮えたぎるような熱さも見える。 が、それに反して室内の温度は低下していく。 空気中の水分が凍り、床や壁を固めていく。 感情の起伏のみでそれが起こる辺り、真也の文字の凶悪性を見せ付けられているようだ。
「だったら言ってやるよ、龍宮寺。 お前の妹はお前同様、クズだ」
「っ……テメェ、楽に死ねると思うなよッ!!!!」
真也の怒声と共に、室内の気温は更に低下する。 パキリという音と共に空気中の水分が氷結する。 形成されるは無数の氷、鋭利に形取られ、まるでナイフのような形状をした切っ先が全て神藤へと向けられた。
「テメェが俺様に一度でも勝ったことがあんのかぁ!? ああん!?」
「一度でも? 一度だけで充分だ、それを今にすれば良い」
「死ねや、クソ雑魚が」
同時、氷は放たれる。 銃弾の如く速度を持ち、それ以上の威力が込められた無数の攻撃。 真也が攻撃に使用するのは水分であり、弾切れの心配はない。 圧倒的ともいえる制圧力、それが真也の文字の強みの一つだ。
「挑発すりゃすぐ頭に血が上る、これも俺からのアドバイスだ」
それをかろうじで躱したかに見えた神藤であったが、その表情に焦りはない。 淡々とそう告げると、神藤はそのまま後ろへと飛ぶ。
「あ?」
右、そして左、更には後ろから機械音が聞こえてきた。 真也はすぐさま視線を後ろへと向ける。 そこに現れたのは、黒い鉄の塊……重厚な雰囲気を放つミニガンだ。 視認すると同時、そのミニガンの銃身が回転し、破裂音と共に無数の弾丸が放たれる。 それは左右も同様で、三方向からの同時攻撃だ。 神藤の文字、絶巧棄利による操作は予測も回避も不可能である。 周囲にある電子機器、機械の操作を行えるそれは、この根城とも言える人権維持機構の中では最大限の力を発揮することができるのだ。
「おいおい冗談キツイぜ神藤ちゃんよぉ、こんなオモチャで俺様を殺せると本気で思ってんのか?」
「良いことを教えてやる、龍宮寺」
「……ッ!」
振り向くと、目の前に神藤の姿がある。 その手にはいつ取り出したのか、巨大な剣だ。 神藤の長身でさえも上回る巨剣を軽々と片手で持ち、振りかぶっている。
「お前の氷壁は明らかに攻撃の質量より多くの質量を使っている。 三方向にそれを展開したとき、この一撃は満足に防げない。 これが長い間お前と戦って俺が出した答えだ――――――――粉骨砕身ッ!!」
「二文字だと……クッ!?」
龍宮寺は前方に氷壁が展開されるのを見る。 だが、直感で理解した。 この氷壁は間違いなく破られる、と。 ならばこの状況での最善手は、左右及び後方からの銃撃を防ぎつつ後退するといった方法だ。
結果として、それは正解だったと言える。 苦し紛れの後退、そして削られる氷壁は僅かながらもその防御に隙が生まれる。 銃弾の雨の数発は壁を破り、龍宮寺の肌を掠めていく。 しかしそれでも致命傷を避けられたのは、龍宮寺の直感が神藤の策を上回ったと言って良いだろう。
とは言っても、神藤の攻撃は策というには少々語弊がある。 真也の目の前で起きたのは、圧倒的なまでの破壊だ。 ミニガンですら傷付かなかった強固な床、自らの氷槍ですら砕けなかった床を神藤の一撃は粉砕した。 破壊的な破壊、武器の所為か、或いは。
「クッソが……! そういやテメェらにはそういう武器があったな」
尚も続くミニガンでの攻撃を防ぎながら龍宮寺は顔を上げる。 巨大な剣を振り下ろした姿の神藤が目に映るも、攻撃に転じられない。 氷槍を出せば更なる質量を使い、防御がまともに機能しなくなることは先程学んだ。 緻密な計算、長年による戦いにおいて、神藤だからこそできる戦い方だ。
「だったら必要な防御を減らしゃ良いんだよッ!!」
真也の叫び声と共に、防御として使われていた氷壁の一部が形を作り放たれる。 向かう先は左右のミニガン、そして後方にあるミニガンだ。 強度としては重火器ですら用意に防ぐ真也の氷は、武器としても優れたものである。 風を切り放たれた氷槍は容易くミニガンを破壊し、壁へと突き刺さった。
「こそこそちまちま鬱陶しいったらありゃしねぇ……ぶっ殺す」
「この剣は触れた物を吹き飛ばす。 気を付けろよ、痛いぞ」
真也は視界に神藤を捉える。 巨剣を構え直し、その視線に迷いはない。 確固たる意思で真也を倒すべく殺意を持っている。 だが、攻撃であれば及第点を与えられるものであったとしても、防御は果たしてどうか。
「凍り死ね、ゴミ野郎が」
先程の倍はあろう氷槍が出現する。 真也が氷槍を生み出すとき、それに伴い周囲の空気は一段と温度を下げていく。 死の前兆であるかのようなそれは、受ける者にとっては恐怖以外の何物でもない。
「受けて立ってやる、来い」
「どこまでその態度が維持できんのか、見せてみろやッ!!」
声と共に氷槍が放たれた。 一斉にではなく、まずは数発だ。 対象は当然神藤で、その狙いは正確無比とも言えるもの。 動きを止めることを狙ったのか、足に向け放たれる。
「ッ!」
が、それは予想済みであったのか、神藤は剣を盾にし氷槍を弾く。 氷槍とて並大抵の威力ではないが、神藤の剣も同様だ。 食らい続ければいつかは破壊されるものの、一日二日で済む話ではない。
「おうおう精々頑張れよ神藤ちゃんよぉ!」
それを見つつ、真也は更に氷槍を生み出していく。 防御に氷壁を使わなくて良い分、その全てを攻撃へと回すことができるこの状態は真也にとって好機だ。
しかし攻撃は通らない。 神藤の運動神経もかなりのもので、銃弾とほぼ変わらない速度の氷槍に完全に反応している。 直線での攻撃ということもあり、読みやすいのもまた影響しているのだ。 既に氷槍は数十発という数が打ち込まれたが、その全てを見事に神藤は防いでいる。
が、それはあくまでも直線の攻撃のみであった場合だ。
「逃げろ逃げろ、ハハハッ!!」
「くッ!」
放たれた氷槍。 それは神藤に当たる直前、分離した。 一つの氷槍は二つの氷槍へ、そしてそこから更に氷槍は分離する。
神藤を囲うように分かれた氷槍は、その威力を落とすことなく迫る。 真也の文字は氷を飛ばすものではなく、操作を可能としているのだ。 ほぼ同時に迫る四方からの攻撃は防げない、防ぐ術を神藤は持ち合わせていない。
「チッ……」
神藤は手に持っていた巨剣を放り捨て、横へ飛ぶ。 神藤の腕力であれば容易に扱える剣ではあったものの、素早く避ける必要がある今は邪魔でしかない。
「おー良い反応だな神藤ちゃんよぉ。 でも良いのか? そのオモチャ捨てちまって」
「……どの道、お前には扱えねえよ」
落ちた剣を拾い上げ、真也は笑う。 武器をなくし、部屋に隠してあったミニガンも破壊された今、神藤はかなりのピンチと言っても良い。 更には文字が含まれた武器を持ったのは真也だ。
「あ? 試してみっか? なぁおい神藤ちゃんよぉ!」
切っ先を神藤へと向け、真也は言い放つ。 それを視界に入れ、神藤は数歩後退る。
神藤総司という男は、自身の文字の弱さを理解している男だ。 事前の準備がなければまともに戦うことは困難を極め、だからこそ武器でそれを補強している。 その武器を奪われ、今神藤には真也を攻撃する手段がない。 だから後退る、後ろへ、後ろへ。
「おいおいどこまで逃げんだよ、白けさせんなよ、あんま」
それは逃げか、敗走か。 目の前の敵に敵わないことからくる逃亡か。
――――――――否、違う。
「終わりだ、龍宮寺」
「……あ? てめぇ何言って……いっ!?」
真也は突如、手に持っていた剣を落とす。 そこから発せられた高熱によってだ。 だが、それだけであればなんら問題はない。 真也の文字であればその程度の熱、どうにでもなるものなのだ。
しかし、神藤の狙いは別にある。 剣が熱を発したのは、ある仕掛けを動かしたからでしかない。 その熱はあくまでも副次的なものであり、真の狙いは別にある。
剣の柄が、小気味の良い音と共に割れた。 それとほぼ同時、何かのガスが噴出される。
「……く、そがッ!」
間違いなく毒か何かのガスは、吸えば致命傷になるのは明白だ。 そう判断した真也は咄嗟に入ってきた扉へと飛ぶ。
が、その扉は自動ドア。 つまり、電気系統で管理されているものだ。 それが意味することは。
「てめぇ……クソ野郎がッ!!」
「まともに戦えば勝ち目はない、んなことは分かっている。 だから俺はまともに戦わねえ、もしも俺がまともに戦うと思ってたんなら、最初からお前の負けだ、龍宮寺」
「ぶっ殺す、ぶっ殺すぶっ殺すブッ殺すッ!! クソ野郎がぁぁあああああああああああああ!!」
扉は開かない。 そして、真也からかなりの距離を取っていた神藤の姿は、既に足元しか見えない。 非常時の防火扉、上から降りてきたその扉は分厚く、重々しく閉じられる。
「さて、これでこっちは問題なしだな」
懐から出したタバコに火を点け、閉まった扉に背を向け歩き出す。 水無によれば、表では神人の家の連中との睨み合いの最中らしい。 下手にこちらの情報を漏らさない方が良いだろう。 その判断により、神藤は今現在すべきこと、夏井の護衛のために足を奥へと向けた。




