第二十六話
「来たぞッ!!」
「だろうね、あなたは夏井さんたちに伝えてきて。 ここは私たちが守る」
正面口より少し先で待機していた男が、逃げるように機構アジトへと戻ってくる。 それを受け、水無は短く指示を飛ばすと前方から歩いてくる者たちを見つめた。
「準備万端といった感じのお出迎えですね。 やはり、私たちが正面突破をしてくるということは読んでいましたか」
「ったく、お前らのボスさんはどんだけ力押しが好きなんだよ。 付き合う俺の身にもなれって」
柴崎雀、そして龍宮寺真也は人権維持機構が擁する建物、その目の前へと居た。 この建物自体、周囲は森林に覆われているものの、その中心に存在するこの施設は最新鋭の設備が整えられている。 リーダーである夏井の資金提供により、一組織としては充分すぎる装備だろう。
「……改めて見ると面白いですね」
「あ? 何が」
「いえ、なんでも。 それより龍宮寺真也、あなたの都合で私たちはここに居る。 元より仲間ではないということ、そして獅子女さんへの罵詈雑言はこの私が許さないことを覚えておいてください」
雀は言うと、迷うことなく刀を龍宮寺の喉元へ突きつけた。 それを受け、真也は両手を上げ、数歩後退りながら口を開く。
「お、オーケーオーケー、分かったから落ち着いてって雀ちゃん?」
「……まぁ良いです。 それより準備は良いですか、相手もここには相当な戦力を割いています、私たちが突破することに意味がある」
刀を振るい、雀はその切っ先を正面で待ち受ける数人に移す。 その数は三人、冬馬信二、水無由里、そしてミーニャ=イリヤ=トルスタヤの三名だ。 雀と真也の戦力を考えるに、あまりにも心細い戦力ではある。 が、それが違和感を生み用意に手出しできない状態を作り出していた。
「アオさんの情報に寄れば、脱出路は下水くらいのもの。 そこで獅子女さんが行ってくれましたが、私たちがここで負ければここからの脱出も可能となってしまう。 簡単には倒されないでくださいね」
「誰に言ってんだよ。 この俺様がたかだか雑魚にやられるわけがねーって」
「それだけ自信があれば充分です」
視線を前へ。 足元を確かめ、手先を確かめ、周囲の空気を確かめる。 精神は落ち着き、意思は統一されていく。 雀の文字、一刀両断はありとあらゆる物を断つ一閃だ。 それがどんな硬度であろうと、空間であろうと、関係なしに両断する力を持つ。
そして距離もまた、雀にとっては無意味なもの。 雀の一刀両断の攻撃範囲は、雀の視界内そのものであるが故に。
「良いんですか、その立ち位置で」
雀は言い、刀を振るう。 それこそ決して早くはない速度であるが、振られた太刀筋は空間を裂き、門前へ立つ三人へ飛ばされた。
「ここだから良いんだよ、お姉さん」
水無が言い放つ。 直後、雀の眼には信じ難い光景が映った。 雀は幾度とない鍛錬において、自らの太刀筋は正確無比に把握をしており、その太刀筋を見ることが可能である。 それ故、たった今起きたことを訝るしかなかった。
雀の切り払った一閃は、三人を斬り伏せるのには充分な威力と範囲を伴っている。 しかし、その一閃は水無たちの目前で歪み、まるで空間に飲み込まれるように消えたのだ。
「……やはり面倒ですね。 対策部隊よりもよほど」
「お褒めいただき光栄って言っておけば良いかな? 君にとってはピンチのようだけどね」
雀の言葉に返したのは、水無の右手に立つ男だ。 雀の見た限り、それほど強い人物とは思えない。 だが、警戒するに越したことはないだろう。
人権維持機構は決して強くはない。 組織規模で見ても、単純な個々の戦力においても対策部隊や神人の家などに遅れを取ってしまう。 桐沢の加入により全体の戦力は大幅に上がったものの、個々に置いては変わりはない。
だが、だからこそ厄介な相手となり得る。 自らの弱さを理解し、そして敵の強さを理解している彼らだからこそ、一切の抜かりなく戦略を組み立ててくるのだ。 その点、雀のような純粋な戦闘で強さを発揮するような者にとっては厄介極まりない。
これが対策部隊だった場合、正面からの戦闘で捻じ伏せにくるだろう。 その方が余程楽だと雀は感じる。
「評価を改めるべきですかね、人権維持機構。 お名前を伺っておきましょうか」
雀は振り切った刀を下へ降ろし、改めて顔を向ける。 対策部隊が相手ではないことから、いつもは付けているスズメの面は付けていない。
「須川信二。 丁寧に挨拶をすれば感染者の須川信二ってところかな」
おだやかな表情と、柔らかい雰囲気を放つ男は言う。 続けて口を開いたのは、中心に立つ水無だ。
「私は水無、人間だよ」
可愛らしいタイプの女、という認識を雀は持つ。 人間ということは、予め真也に聞いていた武器を持っている可能性が高い。 どう入手しているかは不明であるが、人権維持機構に所属する人間は文字狩りたちが持つ武器を複数所有しているとのことだ。
「ミーニャです。 というか自己紹介って必要ですか? 早いとこ引き上げたいんですけど」
最後に口を開いたのは、金髪碧眼の少女だ。 背は琴葉ほどにしかないものの、放つ雰囲気は非常に鋭いものを持っている。 この中でもっとも危険な人物は誰かと問われれば、この少女だという答えに行き着くほどに。
『……雀さんから見て左は感染者、真ん中は人間、右は感染者』
「どうも」
耳に付けてある無線機から、真也の妹である響の声が聞こえてきた。 戦闘向きではないものの、サポート面で言えばかなり役には立てる能力を持っている。 広範囲における感染者の索敵は、こういう戦いの場合は非常に便利なものだ。
「帰りたいのでしたらご自由にどうぞ。 そうして逃げるというのも、間違った選択ではありません」
「……はぁ? 逃げる? わたしが? 寝惚けてるんですか、お前」
「私に勝てると?」
言われた雀は切っ先をミーニャへと向け、問う。 するとミーニャは面倒臭そうに腕組みをし、そんな挑発的な雀を鼻で笑う。
「いやいや勝つつもりなんてないですよ。 わたしたちの目的はあなたたちの足止め兼防衛ライン、要するにここで睨み合いを続けさえすれば良いってことです」
そう、人権維持機構としてはそれだけで良い。 この防衛ラインを維持し、笹枝の下にまで柴崎雀と龍宮寺真也を辿り着かせなければ、それで良いのだ。 下水路では桐沢宗馬、そして東雲由々が通路を押さえ、地上では完璧な防衛を築き上げる。 それが人権維持機構の狙いだ。
だが、それは雀とて分かっていることだ。 重要、かつ最優先すべきは人質である笹枝の救助であり、人権維持機構と戦うことではない。 敵はどうやら仕掛けてくる気はなし、となれば雀の選択肢は自ずと一つに絞られる。 この防衛ラインの突破、その一つに。
「……専守となれば更に厄介ですね」
それだけを目的とし、鼻からこちらを倒す気はない。 それがあるからこそ、絶対に崩れない防御を組み上げることが可能になっている。
「そこまで自信があるのなら、試してみましょう……ッ!!」
地を蹴り距離を詰める。 遠くからの一閃は不可思議な現象によって防がれた、通じぬ手を何度も繰り返すのは愚の骨頂、ならば近距離で直接叩き切れば良い。
その行為に一番驚かされたのは、ミーニャであった。 遠距離攻撃は無意味だと悟ったのは懸命で、判断が早いといえる。 しかし、その判断から次の判断……近づき攻撃を加えるというものになるまでの間が、早すぎる。 恐れも躊躇いも戸惑いも、柴崎雀には迷いというものが一切ない。 手痛い反撃を喰らう可能性はあるというのに、そのリスクを負ってまでこの正面玄関を突破しようと試みている。
恐ろしいという他ない。 まるで心を持たぬ機械のようだと、ミーニャは戦慄する。
だが、それとこれとは話が別だ。 確かに柴崎雀の判断は、もっとも効率良くもっとも最短なルートであろう。 しかし、この戦いはそもそもそういう類のものではない。
ミーニャ=イリヤ=トルスタヤ。 文字名『試行錯誤』。 ありとあらゆる場合、事象、現象に対して万全な防御を可能とする。 彼女の文字にかかれば、ただのダンボール小屋ですら難攻不落の要塞ともなり得る。 彼女の視界内で突破するのは、不可能とも言えるだろう。
冬馬信二。 文字名『日進月歩』。 指定した空間の位置を捻じ曲げる、という能力を持つ。 捻じ曲げる方向は決まっており、それは「1000分の999だけ位置関係を巻き戻す」というものに限られる。 つまり、彼の空間を抜けるには通常の千回分の行動が必要になる。 唯一の欠点は文字を解除しない限り、自らも能力の対象となってしまうことだ。
防御に特化した文字と人材。 それが、夏井の指示した正面口防衛班の力である。