第二十四話
「ァァァァアアアアアアッ!! 罪が、罪が滅せられ罰が浄化されルッ!! ああ、ああなんと美しいなんと優雅なんと美麗!! 火が、炎が、業火が罪人をショウキャク!!!!」
その声は、二人に取って聞き慣れた声だった。 枝分かれした下水路の一つから、足音と声が同時に響き渡る。 聞きたくなかった声、しかし聞かなければならない声。
「オヒサシブリでございますお二方! このエドワーズ=ヨーク、僭越ながら親友の友人の想い人の窮地を救うため、庇うためッ!!!! 馳せ参じましたッ!!」
「……会いたかったぜ、クソ野郎ッ!!!!」
「一体何が……宗馬くん、何か変です」
今にも飛び出しそうな桐沢を手で制し、東雲は状況を分析する。
まず、この場にエドワーズが現れたこと事態はおかしくはない。 鴉の一人として、人権維持機構に対する攻撃に加わるのはなんの変哲もないこと、言ってしまえば当たり前のことだ。
だが、エドワーズの行動は明らかにおかしい。 もしそうであるならば、今現在手を組んでいるとも言える獅子女を攻撃した理由が分からないのだ。
「……何故、裏切るようなことを」
「ウラギリッ!? 裏切りと申しますカッ!? イヤハヤハヤハヤ、それはとんだ見当違い勘違い筋違いでございマス! マスッ!! ワタクシはただただ、タダタダタダタダ恩人である桐沢宗馬様のピンチ大ピンチを救いタク……」
「相変わらず話が通じねえようだな、エドワーズッ!!」
「イヤハヤ、だってそうでショウ? ワタクシをあそこまで愉快に奇怪に深く深くフカク愉しませてクレタ、恩人ではないですカッ!? アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!! ああ失敬笑いスギテ顎が……ハイ!! ではご静粛にッ!! ワタクシの目的はただ一つ、一つッキリにてございます、マスッ!!」
狂ったように笑ったかと思えば、何事もなかったように静かに語り、そして下水に響き渡るほどの大声でエドワーズは語る。 下水内の刺す冷たさは、エドワーズの存在により粘り付くような陰気さを醸し出していた。
「この世に存在スル、有象無象の排除にてぇええええええございます、マスッ!! そのための第一歩がハイ! そちらで綺麗にショウキャクされましたオトコノコにてございます、マスッ!! あ、もちろん次はあなた方が対象と残念ながら無念ながら情念ながら相成ってしまうのでスガ……ぁあなんという悲しみ、哀れみッ!!!! このような薄暗く狭く心寂しい場所で死に行くナド……本当にお似合いデスネ!! アッヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!」
エドワーズは腹を抱え、笑う。 嗤う、笑う、嗤う嗤う嗤う嗤う嗤う嗤う嗤う嗤う嗤う嗤う、嗤い、笑う。
狂喜に満ちた笑い声を聞き、桐沢と東雲は警戒を怠らない。 前回のことからいって、エドワーズの思考回路は完全に狂っているものだ。 この下水ごと爆破されてもおかしくはなく、そうなればタダで済まないのは明白だ。 後手に回ってしまうのは止むを得まい。
「ああそうですソウデシタ、最早死に行くことがメイハクであり自明であるのナラッ!!!! ネタバラシをしても我が主我が神はお許ししてくれるでショウ!! デスヨネ!? ……オヤオヤオヤ? ところでソチラのお子様はドチラで?」
「ひっ……」
エドワーズは琴葉へ視線を向けるも、小さな悲鳴を上げ琴葉は数歩後ずさる。 その反応から琴葉に力がないことをすぐに悟ったのか、興味をなくしまるで居ないもののように目を逸らす。 エドワーズにとって興味のあるものは、面白いものに他ならない。
「改めましてッ!! イヤハヤ数年、トテモトテモ愉快なモノを見させて頂き光栄でございます、マスッ!! 鴉のエドワーズ=ヨーク、改めまして――――――――西洋協会戦闘部隊部隊員、エドワーズ=ヨークにてございマスッ!!!!」
「なっ――――――――西洋協会!?」
「知ってるのか? 東雲」
「……海外に位置する感染者組織、この日本の対策部隊と関わりがあるとは風の噂で聞いたことがありますが……そのような組織が、何故」
「とてもとてもトテモ滑稽かつブザマでございまシタよ。 くく、ひひひ……見事に騙され、見事に翻弄され、見事に弄ばれていたともシラズに、起こるはずのナカッタ戦いをするアナタ方は……ひひひ、ヒャヒャヒャヒャヒャ!! ああオモシロい」
腹を抱え、唾液を垂らし、エドワーズは笑う。 今までの出来事を思い出し、堪能し、嗤う。
「最初から……嵌められていた?」
「そうですそうでございますそのトオオオオオオオオオオオオオオオオオオオリッ!! ザンネンながら老衰でオナクナリになられてしまったのデスが、ワタクシたちの同胞の文字は実に実に愉快極まりナカッタ! 存在し得ない一人を居ると認識してシマイ、アロウコトカ? それをワタクシだと思い込み? 鴉の一員だと思い込み? 人間に対して敵対心がなかった、カレラ、くくく……彼らを攻撃してしまうナンテッ!! ああ、あぁああああなんと罪深いッ! 共存を目指すあなたたちが、それを自ら手放していたなんて……」
「まさか、そんなわけは」
「それがあるんデスヨ困ったコトに!! ワタクシが鴉のダレカと行動を共にしたことってアリマシタァ? どうしてアナタ方はワタクシが鴉だと、ワタクシの言だけで思い込んだノデスカァ? それもこれもあれも全て!! 全て全てスベテ!! ワタクシの同胞、今は老衰で亡くなられたのデスガ……とこの話はつい先ほどシマシタネ?」
「……なんてことを」
東雲由々は、戦い続けた。 数年前、妹がエドワーズに殺されたその日から。
鴉という組織の手により、奪われたただ一人の家族。 その無念を晴らすために、龍宮寺真也を倒すために。 血を吐いても、体中を痛めても、命の危機に瀕しても、来る日も来る日も戦い続けた。 何のために、妹のために。 妹の仇を討つために、人間と感染者が分かり合い分かち合える日を実現させるために。
――――――――その意味を全て否定された。
本来であれば、起こるはずがなかった戦い。 もしも気付けていれば、分かり合えたであろう相手。 今までの全てが、努力の全てが、エドワーズの掌でしかなかった。 踏みにじられ、笑われ、汚される。 数年間という時間を費やし得たものは何か。
東雲の心に生まれるは、虚無感だ。 それは着実に侵食し、東雲の心を犯していく。 絶望と虚無、そんな表情に染まった東雲を見て、笑い声を上げるのはエドワーズであった。 それこそが至福だと、幸福だと、言わんばかりにエドワーズは笑う。
――――――――もしも、東雲が一人だったら彼女は立ち上がることができなかっただろう。
――――――――支えてくれる人が居なければ、彼女は光を失っただろう。
「なに暗い顔してんだよ、東雲」
肩に手が置かれ、東雲は顔を上げる。 そこには、傷だらけではあるが、笑う桐沢の姿があった。
「んなもん考えんのは後だ。 全部終わったら、俺も色々と超落ち込むから、そんとき一緒に落ち込もうぜ。 一人で落ち込むよりも二人で落ち込んだ方がちょっとくらいはマシだろ」
「宗馬くん……」
それが東雲由々の支えであり、光だ。 彼女にとって、その言葉は今感じる何よりも暖かく、前を向かせてくれるものだ。
「俺もあんま人のこと言えないけど……」
言うと、桐沢は気恥ずかしそうに東雲から顔を逸らす。 それも無理はないことで、東雲は思わず小さく笑う。
「いいえ、宗馬くんだから言えるんです。 ありがとうございます」
「そう言ってくれると助かるよ。 そんじゃまぁ……とりあえずあのクソ野郎をぶっ飛ばす、それから色々と考えるぞ、東雲」
「ええ、そうしましょう」
再起した二人を眺め、エドワーズはつまらなさそうに笑うのを止めた。 エドワーズにとって、このようなことは心底つまらないものと感じるようであった。
だが、事態はそれよりも複雑に、入り乱れる。
「なるほどね、西洋協会か。 それを聞いてある程度は筋道が分かった」
「ナニユエ? 何故、何故何故何故何故何故何故何故ッ!! 業火に焼かれ、息絶えたのでは!? デハデハ!?」
獅子女は立ち上がる。 その肌には火傷の跡が残されており、傷を負わなかったというわけではないらしい。 痛々しい姿であるものの、獅子女は笑っている。
「そこの妄想男の所為で文字がうまく使えねえからな。 本来だったらテメェの首は飛んでるとこだよ、良かったな」
「何者デスカ? 普通の極普通の感染者でアレバッ! あれほど至近距離デ? 人間爆弾大爆発でアレバ? 息絶えてもオカシクハないんですがっ!?」
「ああなに? お前俺のこと知らないの?」
桐沢も東雲も、先ほどとはまるで雰囲気が違う獅子女に違和感を感じる。 先ほどまでの獅子女は鋭く、その視線だけで身体を刺されるような気配を持っていた。 だが、今の獅子女から感じるのは圧迫されるような、押し潰されるような圧倒的な存在感だ。
「神だよ神。 お前がさっきからうるせえ神様。 見た目からしてそうだろ?」
へらへらと笑い、獅子女は言う。 それを受け、目を見開き怒りを露にするのはエドワーズだ。
「ぁあああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!!! 神は、神は神は神は神は神は神は神は神は神は神は神は神は神は神は神は神は貴様ではナイッ!!!! 我が神は一人、我が神はラックス様その人のみッ!!!! 貴様は、貴様は貴様は貴様は貴様は貴様は貴様は貴様は貴様は貴様は貴様は貴様は貴様ハッ!!!! 侮辱、侮蔑、愚かで矮小で惨めで異端で無能なタダノ人に過ぎなぁあああああああああああああああいッ!!!!」
「おうそりゃどーも、まぁ神なんていねえし人って言われたのは随分久々だけど、結構嬉しいもんだな。 まぁ言ってくれたのがお前ってのが癪だけど」
獅子女はエドワーズの狂気を前にして、一切の動揺を見せない。 それどころか笑い飛ばし、余裕さえ見せている。
「おい、妄想男に茶髪女、あいつの方を先にぶっ殺すぞ。 気に入らない度じゃ断然あっちのが上だ」
「……あなたは信用に値しません、共闘は却下します」
「あっそ、まぁどっちでも良いけど。 お前は?」
「共闘は無理だ、まずお前の文字と俺の文字が干渉しあってまともな連携なんて出来るわけねぇ。 それに東雲の言う通り、お前は信用に値しない。 けど、一時停戦なら構わねえ……正直、ぶっちゃけた話、今の俺はお前よりエドワーズをぶっ飛ばしたい。 あいつがどれだけ人の気持ちを踏み躙ったか、どれほど弄んだか……許せねえ」
「俺としちゃどっちでも良いんだけどな、それも。 今はただ、折角の楽しみに横槍を刺されたことの方がよっぽど腹ただしい。 まぁ無理ってんなら指でも加えて見とけ」
指の関節を鳴らし、獅子女は笑ってエドワーズを見る。 それを受け、桐沢も東雲もすぐさま先ほどの威圧感の正体に行き着いた。
殺気。 それも、尋常ではないほどの。 言葉の一つ一つ、息のひと吹き、視線、動作、仕草。 その全てに尋常ではない殺気が含まれている。
「俺を罰するんだろ? エドワーズ=ヨーク。 良いぜやってやるよ、テメェに罰せられるレベルのもんか、試してみろ。 俺を殺せる奴がいんのかどうか、俺も結構心待ちにしてんだよ」
そして獅子女は、迷うことなくエドワーズへと襲いかかった。