第二十二話
「神藤が管理してる通信回線が使われた。 今日集まってもらったのは、それに対しての対策会議だ」
ある日の朝、夏井が声を掛け、全人員を集めての会議が行われた。 神藤はもちろんのこと、桐沢や東雲までもが呼ばれたそれは、どれほど重要な会議なのかはすぐに誰しもが理解する。
「総司君が見つけたってことは、敵になんらかの動きがあったってこと……で良いかな?」
声を発したのは、神藤の横に座る水無だ。 大きな目と小さな顔、体も華奢な人権維持機構の戦闘員である。 神藤と行動を共にすることが多い水無であるが、彼女は暦とした人間であり、感染者ではない。 噂に寄ると男女の関係にあると言われる二人だが、詳細は不明だ。
「ああ、俺から話した方が良いか? 夏井」
「うん、そっちの方が分かりやすいだろうし、お願いするよ」
「了解。 ……それじゃあ俺から話させてもらう」
短い会話をし、神藤は立ち上がる。 その場に居る全員、十名を少々超える程度の者たちの顔を一通り眺め、口を開く。
「文字を使って大体の通信機器は抑えてあるが、昨日の夜、神人の家の奴と龍宮寺真也の会話を抑えることができた。 それによると、今日の午後、日が暮れたら作戦実行とのことだ」
「……その作戦というのは?」
桐沢の横へ座る東雲が口を開く。 未だに傷は完全に癒えていないものの、居ても立ってもいられないというのが彼女の性格からして分かる。 桐沢の文字による治療も少しずつだが進められており、その顔色は悪くはない。
「内容については皆目見当が付かない。 予め決めてあったというのが妥当だろうな。 だが、時期としては完璧だ」
「それでは手の打ちようがないのでは? 敵がどのように動くか分からない今、この作戦会議自体に疑問を抱きますが」
腕を組みながら言うのは、ミーニャと呼ばれる少女だ。 金髪に碧眼、ロシア生まれの感染者。 幼い頃から戦闘に身を置いていた彼女は、面倒臭そうにそう告げる。
「まぁまぁそう言わずに。 敵がどんな手を打つか分からないからこその作戦会議でしょ? ミーニャのツンツンっぷりにも慣れたもんだけど」
「死にたいなら同じことをもう一度口にしてください、冬馬」
冬馬と呼ばれた男はミーニャの言葉を受けて尚、笑いながら「ごめんごめん」と口にした。 反省しているようには見えない冬馬をミーニャは睨みつけるも、咳払いをし口を開いたのは夏井だった。
「この前の学校襲撃といい、ダメージを与えてからの強襲……というわけだね。 万全ではない状態を叩く、良い一手と言える。 それにミーニャ、敵の動きを予想する判断材料はあるんだ」
それを聞き、桐沢は誰にも見えないように拳を握り締める。
多くの人の命が失われた。 その中には、親友である櫻井吹雪も含まれている。 平気で人を殺し、平気で傷付け、更にその傷口に塩を塗るような追い討ち。 そんな泣き言は場違いだということも、生ぬるいということも、分かっている。 もっと言えば、自分のような者は同類だということも。
だが、それでもこれ以上は止めなければならない。 躊躇いなく人を殺す、そんな連中を野放しにしておくわけにはいかない。
「判断材料とは?」
姿勢を崩さぬまま、ミーニャは目だけを夏井へ向ける。 それに答えるべく、夏井は口調を変えることなく桐沢と東雲へ視線を向けた。
「東雲くん、桐沢くん、一度神人の家の奴と会ってる君たちに聞くのが最善だと俺は思う。 奴らの作戦はどんなものだと想定できる?」
言われた二人は、思考する。 数秒の間を置き、先に口を開いたのは東雲だ。
「正面突破です。 力任せで、わたしたちを完膚無きまでに叩きのめす。 それが一番可能性が高いかと」
「……って言っても由々ちゃん、これでも一応防衛設備も充実してるんだよ? 対策部隊だって容易には攻め込めないだろうし」
水無が言うも、東雲は表情を変えず、自らの発言に補足をしていく。 淡々と、状況を冷静に考えた結果だろう。
「彼……獅子女結城ですが、自身の力に絶対の自信があります。 自らの文字をわたしたちに教え、挑発するような言動と行動の裏には絶対の自信があるかと。 であれば、龍宮寺真也の性格も鑑みて、正面突破というのが妥当な線です」
「うん、東雲くんがそう感じたならそうなんだろうね。 この建物の正面は厳重に固めておこう。 で、桐沢くんはどう思う?」
夏井は東雲の言葉を疑うことなく受け止めると、すぐさまその案に決定を下したようだ。 そしてそのまま、座ったままの姿勢で桐沢へと顔を向ける。
「俺は……大体は東雲の言う通りだと思います。 でも、あいつはそれ以上の何かを考えている気がする……ような、そうでないような。 確かにあいつ、獅子女や龍宮寺にはそれだけの力があるとは思うんすけど、それだけで本当に済むのかどうか」
「他に何かの手を打ってくる可能性がある、と。 なるほど、それなら俺たちも万全を尽くそうか」
「あ、いやでもただなんとなくってだけで。 東雲みたいにしっかりした理由もないし、的外れの可能性も……」
もしも、自分の予想が全く見当違いだった場合、それを前提とした対抗策は大いなる損害を生む可能性がある。 危惧して当然のことで、ここまですんなり受け入れられると却って不安にもなってくる。 万が一、獅子女らがそれも想定の範囲内としていたとしたら……。
「良いんだよ、それで。 どれだけ優秀な策士でも、結局は盤上を眺めているだけに過ぎない。 いざ戦いとなったとき、実際に立って戦うのは君たちなんだ。 だからその目で見て、その肌で感じたことを最優先にすべきでしょ? 策は万全を持って然るべし、責任は俺が持つから安心してくれ」
夏井の言葉は、その場に居る誰もの心を落ち着かせる。 リーダーとしての適正、素質は間違いなくこの場に居る誰よりも厚く、高い。 一見軽そうな男であるが、その本質は確固たる信念で覆われている。
この場に居る誰も、この人権維持機構に所属する者が志すもの。 それは一つのみなのだ。
「相手は生半可な敵ではない。 俺たちが長いこと戦っている鴉、それに加えて関東の感染者集団、神人の家の数人が相手だ。 戦力的には確実に相手の方が上、場数でもそうだろう。 しかし、俺たちには成さなければならない目的がある、成し遂げなければならない夢がある」
夏井の声色は、いつになく真剣なものだ。 その声を放ちつつ、一人一人の顔を見て、言葉を紡ぐ。
「人間と感染者の和平、それは果てしなく遠い道のりだ。 だが、そのためには超えなければいけない壁はいくつもある。 神人の家も同様、いつかは戦わなければならない相手であり、いずれ越えなければならない壁の一つだ。 各員、健闘を」
その言葉に返事をする者はいなかったが、顔を見ればその場に居た者たちの想いが一つだということは明白であった。 それらを再度眺めた夏井は、満足げに頷き、続ける。
「詳細は追って神藤の方から連絡する。 正午には準備を終えておくように。 では、解散」
こうして、その会議は幕を閉じる。 それぞれどのような想いで戦いに望むのか、それは一人一人異なっていたかもしれないが、その果てにある夢は一つしか存在し得なかった。
その後、一時間ほど経った頃、それぞれの下に神藤から連絡が届いた。 夏井や非戦闘員は人質である笹枝を監禁している部屋前で待機。 ミーニャ、水無、冬馬の三名が正面玄関にて待機。 東雲、桐沢は地下通路で待機。 そのような連絡だ。
「俺って下水に縁があるのかな……」
「確かに明るくはないと思いますが」
「辛辣っすね東雲さん」
二人は指示通り、機構アジトへと繋がる下水に居た。 言い渡された指示は待機であり、この通路を敵が把握しているならば恐らくは利用してくるだろうとの判断からだ。
「それだけ体の調子も良くなったということです。 こうして宗馬くんと共に戦えますしね」
つまりは機嫌が良いという意味の言葉であったが、それを察せられるほど桐沢は人の心が分かる男ではなかった。
「でも、バランス的に考えると調度良いくらいか。 やっぱ夏井さんはしっかり考えてるんだな、その辺り」
「いえ、恐らくわたしが進言したからかと」
「進言?」
「宗馬くんと一緒でなければ嫌だ、と」
「何言ってんの東雲さん!?」
「……好きな人と共に行動をしたい、というのは極普通な感情ではないですか? その旨を伝えたところ、夏井さんも納得していましたし」
「絶対それって意味ありげな納得だろッ!! うわぁ最悪だ……ぜってぇからかわれる……」
夏井の性格からして、そんな気がした。 もしも今回の件がうまく片付けば、それは必須の出来事となりそうである。
「そんなに嫌ですか?」
「いや、そうじゃねえけどさ! そうじゃないんだけど……なんつうかこう、あれだ、恥ずかしいだろ!?」
「……」
言われた東雲は、その言葉を咀嚼する。 そして数秒、ようやく口を開いた。
「……ですね」
「今更!?」
「こう、訴えている時は必死だったので――――――――宗馬くん」
東雲の声色が、一段落ちる。 それはただの呼びかけではないことくらい、桐沢にはすぐ理解できた。 何かを感じた、何かを伝える、そういう意図があっての呼び掛けだと。
だが、それよりも早く声が響く。
「おーこの前振りだな、お二人さん。 今日はやる気ありって感じで嬉しいよ」
「……獅子女結城ッ!」
奥から、ゆっくりと姿が見える。 恐ろしいほどの殺気、おぞましいほどの悪を振り撒く、史上最悪の感染者。 そんな男はゆっくりと、ゆっくりと姿を見せる。 その傍らには、あの日見た少女の姿もある。 二人組での行動を基本としているのか、そして少女の方の文字は未知数だ。
「悪いが構ってる時間はない。 ってわけで退け」
「が、ぐぁ!?」
「宗馬くん!?」
行動は、一瞬だ。 獅子女の姿が消えたと思った瞬間、東雲の横に立っていた桐沢が頭を掴まれ、壁に投げ付けられた。 コンクリートで作られた壁が軽く崩れるほどの威力、一般人が受ければ一溜まりもない一撃だ。
「……てめぇ」
だが、東雲の目に映るのは不可思議な光景だ。 自らの手を見つめ、桐沢が叩きつけられた壁に視線を移し、その一点を見つめる。 次の対象として東雲をすぐさま狙ってくることも想定していたが、獅子女は行動を起こさない。
まるで、意表を突かれたかのように。 己が望んだ結果とは違う出来事が起きたかのように。 その場に立ち尽くしているのだ。 不意を打っての一撃は確実に決まったというのに、獅子女の表情は逆に不意を突かれたかのようなものなのだ。
「いっつつ……いきなり酷い挨拶だな、チクショウ」
「宗馬くん、無事ですか。 まさか最悪の敵がこちらに来るとは」
東雲の顔に浮かぶは少々の汗。 冷や汗、というのが適切だろう。 しかし、そんな東雲に声がかかる。
「いいや、大丈夫だ。 意外とどうにかなるかもしれない」
「……本気ですか?」
「本気だよ」
言う桐沢に視線を移し、東雲は小さく笑った。 相棒とも呼べる相手がそう言うのであれば、それを信頼するべきだろうと判断した。 東雲にとって、こうして仲間と共に戦うというのは非常に珍しいことだ。 単独行動を好み、一人で成し遂げることにこそ意味があると考えていた彼女にとって、それは新鮮で言い難い感情を産んでいく。
「前よりはマシになったみたいだな、桐沢つったか。 精々足掻いてみろよ」
「言ってろクソ野郎。 テメェが来て全てがおかしくなった、人を殺すことしか考えられないお前に、負けはしねぇ! 櫻井の敵じゃねえけど……お前も同罪ってことを忘れんじゃねえッ!!」
「……櫻井っていうと、龍宮寺が言ってたお前の連れか。 ああなんだ、そいつ死んだの? そりゃ面白い」
笑う。 櫻井の死が、笑われた。 視界が赤く染まり、次の瞬間には体が動き出している。
「――――――――ぶっ殺すッ!!!!」
地を蹴り、桐沢は獅子女へ襲いかかる。 その怒りに任せての行動を止めようとした東雲であったが、手を伸ばした瞬間には桐沢の姿は獅子女の目の前にあった。 これが文字を使ったときの桐沢宗馬、全力の桐沢宗馬というのであれば、或いは。
「俺の文字を忘れたのか?」
殴り付ける瞬間にも、獅子女は顔色一つ変えない。 彼の生殺与奪は、ありとあらゆる現象を殺し、生かす文字だ。 故に彼に対しては、如何なる攻撃も無となり消え去る。
――――――――が、そこに例外は存在する。
「お前こそ、俺の文字を忘れたのかよッ!!」
ありったけの怒りを込めた一撃。 その一撃は妄想による産物で、桐沢の妄想が現実へと変えられた一撃だ。
「ッ!?」
或いは。
桐沢宗馬であれば、獅子女結城を倒す唯一の存在になり得るかもしれないと、そう思わせる一撃は殺されることなく、獅子女の顔を捉えた。