フラッシュ・バック・ロックンロール/五
錦景市の夜の九時を過ぎた頃にユウリは自宅マンションに帰った。電気が点いていてカレーの匂いがしてリビングのステレオはジャムのヒートウェイブを響かせていた。つまり國丸ユキコが来ていた。スタジオに籠っていたせいか耳が少し変で、ヒートウェイブはくぐもって聞こえた。ユウリの叔母であり、両親が離婚したユウリの実質的な保護者であるユキコはポール・ウェラーが好きだ。彼女は最近、仕事が一段落したとかで、結構な頻度でユウリのところに出没していた。なんの仕事が一段落したのか、ユウリは全く知らない。ユキコは自分の仕事のことをほとんど話さないし、ユウリも叔母の仕事に興味がないからだ。
「ただいまぁ、……え?」ユウリはキッチンで寸胴鍋の前に立つユキコを見て驚いた。「……わっ、どうしたの、その髪?」
「お帰り、ユウリ、」ユキコは小皿を口元に傾けてこちらを向く。「あら、ギターケースなんて担いじゃって、ちゃんと練習してるんだ、ギター少女なユウリを見るのは新鮮ね」
「新鮮って、それはそっちでしょ?」ユウリはギターケースと鞄をリビングのソファに投げてステレオのボリュームを絞ってからキッチンのユキコに言った。「どうしたの、その髪?」
「ん?」ユキコはユウリに背中を向けたまま、カレーに夢中という感じで、髪型なんてどうだっていいでしょ、っていう具合にもう一度味見をしながら言う。「染めたのよ、たまにはいいかなって思って、それが何?」
「……なんて色?」
「確かホワイトアッシュって、」ユキコはユウリに小皿を差し出しながら言う。「ケンタ君は言っていたわね、」ケンタ君っていうのはビューティフル・リップスっていうヘアサロンの美容師で、ユキコとユウリはほとんど彼に髪を切ってもらっていた。「ほら、ユウリ、味見してみて」
「……うん、」ユウリは味見をしながら、必死で平静を装ったけれど、ちょっと味見どころじゃなかった。ユキコの変身が、ホワイトアッシュのユキコがちょっと素敵過ぎて、直視出来なくて完全にこちらの調子は狂っている。「……あ、おいしいです」
「ホント? それじゃ、ご飯にしよっか」
「……うん」
「どうしたの、疲れてるの?」
「……そうみたい、」ユウリはぼんやりとした眼差しでユキコのことを見ていた。今のユキコと腕を組んでデートしたいって思った。今のユキコとエッチしたいって思った。ちょっとだけ。ちょっとだけ。ちょっとだけなんだからねっ!「……多分、スタジオに行ったからかな」
そのときだった。
ユキコの顔が急に近づいて来て、ユウリの額とユキコの額がピタッとくっ付いた。
ユウリは必死で声を堪えた。突然のユキコの襲来に対する悲鳴を堪えた。
昼休みにコナツと額がくっ付いたのに続いて本日二度目。
コナツの場合と違うのは、嬉しいって気持ちをユキコに悟られちゃいけないってこと。
虚勢を張らなくちゃいけないってこと。
今のユウリとユキコの人間関係って、そんな感じだから。
「あ、ちょっとだけ熱っぽい?」額をくっつけたままホワイトアッシュのユキコは言う。
「熱なんてないよ、」ユウリは自分のうるさい心臓の音が額越しにユキコに伝わってしまうんじゃないかって思って慌ててユキコから離れた。「平気だよ、カレー食べようよ」
ホワイトアッシュのユキコとご飯を食べるのは、やっぱり変な感じだった。ユキコの髪の色はずっと黒かったから、あくまでユウリの前ではだけど、まるで違う女とご飯を食べているみたい。嫌だ。緊張するな。今までユキコに対して思ってことのないことを色々と思ってしまう。お酒も飲んでいないのに酔っているみたいに脳ミソがぼーっとする。ユキコってユウリによく似ている人で、小さなユウリはユキコのことが大好きだったけど今のユウリはそうでもないのだけれど、でもこんな風にホワイトアッシュに変身されちゃうと違いが際立って、眩惑されるんだ。BGMはジャムのビート・サレンダ。さて、彼女の変身には一体どんな心境の変化があったのでしょうか?
ユキコからそれを見抜くのは至難の業だ。
小さな頃からユウリのことを知っているユキコは、ユウリの気持ちをまるで全て知っているという風に装い、ユウリの推測をまるで全て間違っているという風に装う。
ユウリに正解を見せない女。
曖昧にしたままにしておく女。
それはちょっとムカつくことだけれど、今はホワイトアッシュな華麗な変身を見せつけられて、彼女と会話をしているとほとんどいつも出てくるヒステリックの類はユウリの心の奥に仕舞われたままになっている。
「あ、そう言えば、ユウリたちのライブ、見に行っちゃ駄目かな?」
「え、来るの?」
「駄目?」
「……駄目ってことはないけれど」
「じゃあ、見に行くわ、」ユキコは軽く微笑んだ。綺麗な笑顔だった。「楽しみだわ、近くなってからやっぱり駄目とか言わないでよね」
「言わないよ、別にユキコが来たって来なくたって、そんなの全然関係ないし」ユウリは口を尖らせて言う。
「そうよね、でも本当に楽しみ、十一月の生きる理由が出来たわ」
「生きる理由って大げさ、」ユウリはスプーンを咥えたまま笑う。「莫迦みたい」
ユウリはカレーの後にデザートのアイスをリビングのソファに座って食べながらコレクチブ・ロウテイションのライブビデオを見ていた。フラッシュ・バック・ロックンロールを何回かリピートした。やっぱり素晴らしい。鏑矢リホをリードボーカルに据えて他のメンバがそれぞれ出来る限り最高の乱暴さ加減でコーラスをする。まさにフラッシュ・バック・ロックンロールという感じに。やっぱりやるんだったら、こんなステージを作り上げたいと強く思う。
「お風呂開いたよ」
ユウリは振り返ってお風呂上がりのホワイトアッシュのユキコを見てしまった。ヤバかった。しまった。完全に油断していた。一目で眩惑された。ユウリはピンク色の顔を見られないようにしてユキコから逃げるようにキッチンの方から迂回してお風呂に向かった。シャワーを強くして邪念よ消えろ、と頭を濡らした。体を強めにごしごし洗って体を清めた。しかしユキコが浸かっていた残り湯の中でユウリは悶々とした気持ちをさらに悶々とさせていた。自分の柔らかい部分を触って一通りいじってコナツとユキコの裸を交互に思い浮かべてとりあえず果ててみても悶々とした気持ちは消えなかった。コナツともエッチしたいしユキコともエッチしたくてどうしようもなくなって、どうしようもないまま浴槽から出て体をバスタオルで拭いて鏡の前に立ちドライアで髪を乾かして自分の美少女加減を確認してから、ユキコだって自分とエッチしたいはずだ、っていう気持ちを強く持って、ユキコは以前にエッチしてあげようかって聞いてきたことがある、そのときはユウリの方から拒絶したけれど、ユキコだってユウリと同じ特別な属性を持っているんだ、とにかく強い気持ちを持って、バスタオルを体に巻き付けて、それだけでユウリは脱衣所から出た。
ユキコはソファに座ってウイスキーを飲みながらユウリが再生していたコレクチブ・ロウテイションのライブビデオの続きを見ている。
バスタオルを体に巻き付けたままのユウリはユキコの横に密着して座った。
そしてリモコンを手にしテレビの電源を落とした。
「……どうしたの?」驚いた、という素振りを一切見せずにユキコは口元だけ動かして言った。
ユウリはウイスキーの入ったグラスをユキコの手から引っ手繰り一気に飲み干した。「……やっぱり、調子悪いみたい、お酒なんて飲んだからなおさら、ああ、もう駄目」
ユウリはユキコの体にもたれるようにして崩れた。ユウリは顔をユキコの胸に埋めた。柔らかい。いい匂いがする。懐かしい。記憶がここでもフラッシュ・バックする。小さな頃のユウリはユキコに強く依存していていつも一緒にいたいって思っていて会っているときは凄く甘えんぼになってユキコの体の匂いを嗅いでいた。
「服を着なくっちゃ、冷えちゃうでしょうに」
「服を着れるエネルギアなんてない」
「じゃあ、着せてあげるから」
「温めてよ」
「何言ってるの?」
「私、酔ってるんだけど」
「そうね、凄く酔っているみたい」
「体調も悪いし、正常な判断を下せないでいるし、今の記憶なんてきっと残らないと思う」
「そうかもしれないわね」
「関係を変えたいとは思っていません」
「進化させたいとも思っていないと」
「うん」
「あなたのそういう、賢明なところも好きよ、流されていてもきちんと地図を見失っていないところが好きよ」
「私も同じ気持ちです、きっと天体史の影響もあって、だから、とにかく、」エッチしませんか?
ユキコはしかしユウリの言葉を遮った。「そう言えば、ユウリ、ホワイトアッシュは私に似合う?」
「うん、」ユウリはユキコを強く見つめて言った。「凄く好き」
「嬉しい、」ユキコはユウリの頬に吸い付くようなキスをした。「嬉しいわ、でも、ごめんね」
「ごめん?」
「ごめんね、して欲しかったんでしょ? でも、ごめんね」
「……え、拒絶されたの?」ユウリはユキコの腕を抱き締めている。「私はユキコに拒絶されたの?」
「違う、拒絶じゃなくって、なんていうか、」ユキコはしばらく考え込んで口を開いた。「罰が当たると思うのよ」
「……罰が当たるって、どういう意味?」
「私も凄く酔ってるの」
「うん」
「ユウリは私が死なない理由だわ、最近、そのことを強く思っていた時代のことがフラッシュ・バックしてね、だから大切にしたいと思うのよ」




