シスタ、ファウンダウト・ザ・トワイライト・ビュウ/二十一
私がユウリのしたいことをしようと思ったのは決して寝ぼけていたからとか、お酒を飲んで酔っぱらっていたからとか、あるいは自暴自棄になっていたからとか、そんな微妙な理由ではなくて、ユキコさんの天球儀の話を聞いて。
すでに忘却の彼方にあった。
いいえ。
忘れてしまってなんていなかった。
私は確かに覚えていたのだ。
だから思い出した。
忘れることなんて出来ないそれは。
私の夢の続きだったのだ。
それがあって夢は夢となったのだと思う。
幼い私はまさにそのときに、いつまでもまたとないこのときの永遠を、夢に仕立て上げたのだ。
「こなっちゃんは覚えている? 昔、何度か國丸の本家の邸に遊びに来たことがあったわよね?」
髪が白く染まってただでさえ幻想的に美しかったユキコさんはさらに美しくなっていて、その人が目を細めて幻想の風景を思うような顔をするのを見ると自分が同じ世界の登場人物とは思えなくなってぼうっとしてしまって彼女の問いに即座に反応出来なくなってしまう。「……本家? って、どこのことですか?」
「ほら、県庁の方の、グリーンドームの手前の森にある、覚えてない?」
「ああ、」私はピンと分かって声を上げて大きく頷く。「覚えています、覚えています、すっごーく大きなお屋敷」
「何度か遊びに来たわよね?」
「はい、はい、」私は手の平を合わせて首を上下させて何度も頷いた。「遊びに行きました、そうでした」
その大きなお屋敷の一室だった。
私とユウリと天球儀の夢の舞台は國丸本家の邸の一室だったのだ。
夢にはっきりとした色が蘇ってくるのを感じる。
「本家にあった古い木製の天球儀を、よくユウリは祖父の書斎から勝手に持ち出して遊んでいたわ、勉強していたのかもしれないけれど、回転させて遊んでいたわ、遊んでいたのかな? こなっちゃんも傍にいたと思うけど、それは覚えている?」
「え、覚えていますよ、そうですね、遊んでいた、というよりは、」あのシーンのユウリはなんて表現すればいいのか、私はちょっと困った。「なんていうか、私が覚えているのは、えっと、とにかくユウリと私は星の配列の美しさを確かめ合っていたんです」
「星の配列?」ユキコさんは僅かに目を大きく見開き、そして口元に手を当ててクスクスと笑い始めた。「そっか、そうなんだ」
「あ、」私は腕を組み頬を膨らませて言う。「信じていませんね?」
「そんなことない、嘘だなんて言わないわよ、だってユウリだもの、小さいユウリが星の配列の美しさを確かめていたって何も不思議なことなんてない」
「はい、不思議なことなんてないんです」
「あれは、」ユキコさんは笑みをろうそくを吹き消したみたいになくして視線をリビングのステレオの横に立つ天球儀をまっすぐに見る。「こなっちゃんがプレゼントしてくれたってユウリが言っていたけれど」
「ああ、えっと、はい、そうなんです」
「本家にあった天球儀によく似ているね」
「あ、実はそうなんです、よく似ているものを選んだんですよ、確か、こんな感じだったかなって」
「うん、こんな感じだった、素材は違うけど、でもどうして急に天球儀のプレゼントなんて? ユウリは占いがどうのこうのって」
「占いは別に、ほとんど関係ありませんよ、」私は首を小さく振って笑って誤魔化した。「ただ、プレゼントしたくなったんです、それだけです」
「そっか」
ユキコさんは小さく息を吐き、そしておもむろに立ち上がり、天球儀の前に立ち、ユウリの手によく似た流線型の手で優しく触れて回転させた。「ユウリは天球儀を燃やしてしまったのよね」
燃やしてしまったのよね。
燃やした?
「……え?」私は声を上げて、なぜか笑顔になって、首を右側に僅かに傾けた。「燃やした?」
ユキコさんは視線をこちらに向けて言う。「ユウリは天球儀にマッチで火を付けて燃やしてしまったでしょうに? 覚えてないの? あのときのこと、こなっちゃんはユウリの隣にいたわ」
「覚えてないですよ、え、ユウリは天球儀を燃やしてしまったんですか? それって本当ですか?」
「嘘なんて言わないわよ、」ユキコさんは私の隣に戻って来て顔を近づけてきて言う。「二人はそのとき小学一年生だった、私は大学生で、あの日はたまたまこっちに帰ってきていて、こなっちゃんとユウリも本家に遊びに来てて、私が目を離した隙だった、あの部屋には小さな仏壇があってその引き出しにはロウソクとマッチが入っていた、ユウリはそれを知っていた、一度私はユウリの前でロウソクにマッチで火を付けたことがあるからユウリは覚えてしまったのよね、その前にも何度かユウリはマッチを持ち出そうとして何かに火を付けようとしたことがあって私はそのたびに鬼になって怒っていたの、でもあの日はユウリは私の目を盗んでマッチを手にして天球儀に火を付けた、私は庭の池の横の巨石の上で燃えている天球儀を見て本当にびっくりしたわ、それから天球儀の炎の前に立って凄く笑っているユウリを見てもっとびっくりした、私はすぐにユウリの傍にいって腕を引っ張って叱ったわ、ユウリは自分がなんで叱られているか分からないっていう顔で言ったわ、天球儀の星座を解き放ちたかったの、お姉ちゃんも見てよ、綺麗な炎でしょ、あの炎と一緒に星座は解き放たれたんだと思うの、ユウリはとても小学一年生とは思えない落ち着いた口調で言ったわ、天球儀の炎はユウリが言ったように確かに綺麗だった、空は凄くよく晴れていてとても青くてすがすがしくって天球儀の炎は素敵なものをさらに幻想的にさせて見るものを酔わせる効果があって、私はユウリが天球儀に火を付けたことを許してしまいそうになった、でもそれではいけないでしょ、小学一年生がやってはいけない危ないことをユウリはしてしまったんだから徹底的に鬼にならなくちゃならなかった、私は燃える天球儀をブーツの爪先で蹴って池に落として消したわ、水しぶきを上げてじゅっと消えたんだけどそれだけでは済まなくて池に泳いでいた錦鯉が一匹死んでしまった、私が気に入っていた錦鯉だった、それもあって私はユウリのことを徹底的に叱ったの、なんでこんな危ないことをするの、莫迦じゃないのかって、頭を手の平で叩いたと思う、こなっちゃんはそれを見て泣いてしまったの、それまで凄く楽しそうだったのに、私に怒られるユウリの隣でうわーんって泣いてしまったの、かわいそうに、あのときはごめんね、とにかくね、そんな事件があったのよ、覚えてなぁい?」
覚えていない。
……なんてわけない。
そんな劇的なシーンを忘れられるわけがないのだ。
覚えてなかったのは……。
いいえ。
忘れたふりをしていたのは全て。
録画したテープを引き出しの奥の方に突っ込んで見えないようにしたのは全て。
ユウリが劇的に変貌してしまった瞬間を見なかったことにするため。
私が泣いていた理由はユキコさんがユウリのことを鬼の形相で叱っていたからじゃない。
ユウリが私がついていけないスピードで変化してしまったから。
ユウリに私はついに、しがみついていられなくなってしまったのだ。
分からなかった。
急に天球儀に火を付けた意味が全く分からなかった。
最初、幼いコナツは笑っていたわ。
無邪気なふりをして。
得意の満点の笑顔で。
ユウリのことならなんでも分かるよって笑顔で。
でも。
途中で分からなくなった。
意味分かんないよ!
恐い!
そんなことをするユウリが恐かった!
もう駄目かもしれないって思った。
友情を続けられないと思った。
でも友情を続けたかった。
だってユウリは特別な人。
それをきちんと理解出来ないかもしれないけれど特別な人。私の生涯から失ってはならない人だと思った。ユウリは強さに見えた。固執していたんだ。その強さが私のものであればいいと思った。その強い武器の原初と理論が分からなくても強さだけは分かった。それを手放してはいけないと思った。
だから忘れていた。
そして夢を見続けていた。
でも今に覚めた。
今が選ぶ瞬間なのだと思った。
私は選んだ。
ユウリを手放したくはないから。
もう誤魔化しが効かないならば。
ユウリの全てを受け入れる女になるってことを私は決めた。
決めたのだ。
ユウリの指とか舌とかの動きに合わせて高い声が出る。
二人はソファの上でエッチなことをしている。
エッチなことをしたけれど。
よく分からなかった。
ユウリは私のものになった?
ユウリは私の乳首をしゃぶり付きながら一体何を考えていたんだろう?
私はユウリと体を夢中で擦り合わせながら何を考えていたんだろう。
疲れ果てて眠って気付いたら朝だった。
こんな狂った心で迎える朝を私は知らない。
まだ寝息を立ててスヤスヤと眠っているユウリの可愛い耳に私は囁いた。
「この耳も、ユウリの全ては私のものよ、誰にも渡さないから、ユウリにだってユウリは渡さない、絶対に覚えておいてよね、永遠にね」
そして私は天球儀を日曜日に破壊した。
私の夢の天球儀は、もうない。
あるのは綺麗な炎だけ。
本当に綺麗ね。
私はそこに、天体世界を望遠する機械の線描を目撃するのだった。




