シスタ、ファウンダウト・ザ・トワイライト・ビュウ/十五
授業が終わるのはいつもだいたい夜の八時で、それから一階にある自習室で一時間くらい勉強してから帰るっていうのが最近の私の習性だったんだけれど、今夜はアオに「ラーメン食べにいかない?」って誘われた。私は今までにも何度か誘われてアオとラーメンを食べに行ったことがある。アオは一人でラーメン屋さんに入れないタイプの女の子だった。そのくせアオは鳳翼の傍にあるラーメン屋さんのみそラーメンが堪らなく好きみたい。お店の名前は富士。今日もアオはどうしても富士のみそラーメンが食べたくなって私のことを誘ったんだろうと思って、お母さんに晩御飯はいらないっていう旨のメールを送ってからアオの誘いを承諾した。久しぶりに会ったので、アオと色々としゃべりたいこともある。
「アオちゃんってば、どうして急に来なくなっちゃったの?」店の奥のテーブル席に向かい合って座り、二人ともみそラーメンの大盛りをオーダした後、私は冷たい水で口を潤してから聞いた。「ちょっと心配してたんだよぉ、メールしても返信くれないし、ユウリに聞いても知らないって言うし」
「ごめんね、ちょっと、まあね、色々あって、」アオはアンニュイな表情をして言った。「ああ、別に色々って言ってもただ、通うのが面倒臭くなっちゃっただけなんだけど、それに元々夏期講習だけのつもりだったし」
「ふうん、そっかぁ、また鳳翼に通うの?」
「うん、そのつもり、」アオはそこで小さく笑う、「んふふっ、実はね、凄く、ここのラーメンが恋しくなっちゃって、目的はラーメンなの」
「ああ、なるほどね」確かにアオの成績だったら塾に通う必要なんてほとんどないのだ。
「だから今日はコナツに会えてよかった、会えなかったラーメン食べられなかったもの」
私はアオに微笑み、そして両手を合わせて前に伸ばした。テーブルの下では足を伸ばしている。マラソン大会の後だから筋肉は炎症していて時間が経つにつれてどんどん体が重たくなっている感じだった。首にも違和感があって真横に傾けて筋を伸ばす。そんな風にストレッチをしながら私は冬のセーラ服姿のアオをぼんやりと眺めた。
アオもユウリに負けず劣らずの美少女だっていうことを私は確認する。
そしてアオがショートヘアにして男装したらどんな感じかなって考えた。
アオもロングヘアの女の子だから、夏よりもさらに伸びているみたいだ、ショートへアにしたら印象はガラリと変わってしまうだろう。
アオが美少年になった姿も見てみたい気がする。
ユウリとはまた違ったタイプの美少年にアオはなれる気がする。
アオには学ランが似合いそう。
……って、私ってば何を想像してんのよっ。
いけない、いけない。
私は首を回して想像を振り払う。
「なぁに、コナツってば首なんて回して、」アオは目元を細くして微笑む。「疲れてるの?」
「今日、マラソン大会だったんだよぉ、だからちょっと筋肉痛」私は笑顔で言った。
「へぇ、そうなんだ、結果はどうだったの?」
「私が二十位で、ユウリが十九位」
「わっ、凄いね、二人とも早いんだ」
「ふふん、まあね」
「ユウリの右足はすっかり治ったんだね」
「そう言えば、アオちゃん、ずっと心配してたよね、あれ、おかしかった」
「そう? 折れてるんだよ、心配になるよ」
「優しいんだ」
「そんなことない、」アオは静かに首を横に振った。そして細く形のいい唇を舐めてから、なんだか探るような視線で私のことを見て聞く。「ユウリは元気?」
「元気よ、最近のユウリって中学生になってから一番健康的かも、」私以外にも内藤君や鷹村君や担任の山吹先生やそれにナオコともよくしゃべっているし、以前あったような棘みたいなものを最近は学校でもあまり感じなくなった。それは凄く健康的なことだと思う。私がユウリに毎朝キスしてあげているのも少しは効果があるのかもしれない。でもやっぱり最高にユウリのことを変化させているのはロックンロール・バンドの友達たちとほとんど毎日音楽スタジオに通って練習していることだと思う。ユウリは少しずつ変わっていっているのを私は確かに感じていた。「あ、実は今度ね、十一月の終わりに学園祭があるんだけど、そこでユウリってばね、バンドやるんだよ」
「え、バンド?」
「うん、バンド」
「そうなんだ、」アオは小さく頷き無表情になってそして自分の髪に右手を入れて前後に動かしポツリと呟く。「見に行きたいな」
「見に来ればいいのに、毎年五中の子達も沢山来てるよ」
「行きたい、すっごく行きたい、」アオは強く言った。そして大きな息の塊を吐き出してから唐突に深刻な顔になって口に水を含みゆっくりと喉に通して濡れた唇を動かす。「でも行けないの、約束したから」
「……約束?」
「そう、だから私は、ユウリとは春まで会っちゃいけないの」
「え、ちょっと、どういうこと? アオちゃん、ユウリと喧嘩でもしたの?」
「そうね、」アオはゆっくりと頷き、そしてゆっくりと首を横に振った。「……いいえ、少し違うけど」
「どういうことよ、」私は少し苛立つ。アオの物言いが微妙で、ユウリとの間にあった何かを隠そうとしているように思えたからだ。瞬間的に沸き上がる嫉妬。「確かに、二人とも仲良かったのに、突然何もなかったみたいになったのって変だと思ってた、ユウリがアオちゃんのこと、知らないって言うの、変だと思ってた、……喧嘩じゃなかったら、少し違うって、一体何があったの?」
「私とユウリは付き合っていたの」
「え?」
アオの言葉に私の頭は真っ白になった。
私とユウリは付き合っていたの。
頭の中でアオの声が反響する。
私とユウリは付き合っていたの。
付き合っていたの?
付き合っていたって……、どういうこと?
「二人で未来の話をしてキスをしてセックスをしたってことよ」
アオは私のことを真っ直ぐに見てこともなげに言った。
その言葉には現実感がある。
本当の話だっていう証明の旗がはためいている。
それは疑い得ないものだって分かるけど。
でも、
私は否定したかった。「……嘘でしょ?」
「本当よ、コナツは知ってるでしょ、ユウリってそういう女の子だっていうこと、」アオは目を伏せてコップの中の氷を見つめながら抑揚なく続ける。「私とユウリは付き合っていたの、私はユウリのことを愛していたし、ユウリも私のことを愛してくれていた、これは本当のことよ、その証拠に私はユウリの体のことならなんでも答えられる自信がある、例えば私はユウリの右の腰骨が少し歪んでいてお尻に星の形をしたほくろがあって左肩にブリテン島に似た形の小さな染みがあることを知っているわ、ユウリが知らないユウリの体のことも私は全て知っているの、ユウリもきっと私が見えない私の体のことをよく知っているはずだわ、でもユウリは私の体のことを知っても私のことがよく分からなかったみたい、私はユウリの体のことを知っていくのと同じスピードで私はユウリの心のことを知ったのに、ユウリは私の心がよく分からなかったみたい」
そこでアオは言葉を区切り、厨房の方を見て言った。「遅いわね」
「え?」
「ラーメン」
「ああ、遅いね」
私はラーメンのことなんて考える余裕なんてなかった。
でもアオはユウリのことを考えながら、大好きなラーメンのことを考えられる。
要するに余裕があるんだ。
それが鼻に付く。
尋常じゃない、疾風怒濤の嫉妬心に、私の心は強打され続けていた。
異常な喉の渇きに私は水を口に含む。
「……ユウリの心を知ってね、」私がコップを置いたタイミングでアオは話を戻した。眼差しは熱っぽく目の周りは少し紅い。「私は急ぎ過ぎたと思ったの、私は異常な愛情をユウリに注ぎ過ぎてしまったの、私はそんな自分が怖かった、でも止められなかった、ユウリはそんな私のことを恐いって言った、拒絶されてしまったの、でもユウリは私のことを嫌いにならないでくれた、ユウリは私を拒絶した自分の心の弱さについて考えてくれたの、そして春までには強くなるって約束してくれた、私を拒絶しないくらいに強くなるって約束してくれたの、錦景女子での再会を約束してくれたの、嬉しかった、こんな女の子とは二度と会えないと思った、私はユウリのことを運命の人だと思う、ユウリは私のことを照らしてくれる炎なの、」そこでアオは笑顔を見せた。こんな風に、純粋な笑顔もするんだって私は思った。ユウリはアオの純粋な笑顔を知っていたのかな。「だからユウリのことを紹介してくれたコナツには凄く感謝している、ありがとう」
ありがとうって言われる筋合いなんてない。
あなたと付き合せるために私はユウリを紹介したわけじゃないんだから。
裏切られたって思ってしまう。
アオにも、ユウリにも。
ましてユウリは私に一途だって見せていたんだぜ。
ああ。
気持ち悪い。
二人とも気持ち悪い。
セックスしていたなんてすっごく気持ち悪い!
女の子同士のくせに。
女の子同士のくせに。
女の子同士のくせに。
好きになるってなんなのよ!
「ありがとう」
だから感謝される必要なんてない。
「だから泣かないで」
え?
目元を触る。
目元が熱い。
涙の歪んだ視界が広がって、アオのことがぼやけて見える。
私は泣いていた。
「わっ、嫌だ、」私は誤魔化すように笑って御手拭で涙を拭った。「どうしちゃったんだろう、私ってば、あははっ、びっくりしちゃったのかな、そんなこと、聞いたから」
アオは慌てる私のことを頬杖付いて見ていた。「……やっぱりコナツもユウリのことが好きだったんだね」
私は口を閉じて返事をしなかった。
そしてそのタイミングで運ばれてきた大盛りのみそラーメンを私とアオは黙々と食べた。アオは時折「おいしいね」と声を掛けてきたが、私は「そうだね」とそっけなく返事をするだけだった。私は自分のことをなんて子供なのだと思う。アオがユウリと付き合っていたっていうだけで、彼女に対する怒りの感情に、単純にも支配されてしまっているし、アオと一緒にいるのが辛いし、おいしいはずのみそラーメンがまずい。
「ああ、おいしかったねぇ」アオはみそラーメンを食べ終えて呑気を装って笑顔で言った。
それもなんだか凄く、ムカつく。
二人は会計を済ませて店を出た。十一月の夜の冷たい風に当たって熱っぽい顔が冷えて、気持ちが少しは落ち着いたような気がした。
アオとは途中まで帰り道が一緒だった。二人は微妙な隙間を開けて並んで歩いた。アオは夜空を見上げて星を望遠しながらゆっくりと大股で歩く。そのゆっくりとしたペースに合わせながら私は覚悟を決めて口を開いた。
「……私、今、ユウリと付き合っているんだよ」
アオは足を止めてゆっくりと夜空から視線をこちらに移す。
そして彼女のものとは思えないほどの情熱的な目で私は見られた。
二秒後、彼女はその双眸から情熱を消してあっさりと言った。
「そうなんだ」
「そうよ、」私は彼女の前に立ち、彼女の体から感じる大きなものに負けないように、はっきりと肯定した。「付き合ってるの、ちゃんとしたキスもした」
「セックスもしたの?」
威圧される。
「……そ、それはまだだけど、まだだけど」
「それって要するに今までと変わらないってことじゃないの?」とアオは攻撃してきた。
「そ、そんなことないもん、」私は核心を突かれて狼狽える。アオの言う通りだった。毎朝キスしていること以外、ほとんど何も今までと変わっていないんだ。「そんなことないもんっ、色々と変わったもん、前よりも強く手を握るようになったもん」
「そうなんだ」
「そうだよ」
「分かったわ、もう意地悪なことは言わないから、」アオは小さく微笑む。「ごめんね、攻撃しちゃって」
「アオちゃんってば、何言ってるの?」私はとぼけた。
「でも私はユウリとセックスしたことがあるのよ、」アオは急に強い眼をして私を睨んでいるみたいに見て歯切れよく言った。「何度もね」
心に侵攻された。
爆撃されて心の奥が抉り取られて黒く焦げ付いた。
抵抗するべきだと思う。
やられっぱなしじゃ気が済まない。
アオに睨み返し、私は言い返す。
「だからなんなの?」
セックスしたからって何よ、偉そうに。
ユウリは私のことが好きなんだ。
ユウリはずっと私のことが好きだったんだから。
ユウリはアオよりもきっと私のことがずっと、ずーっと好きなはず。
時間が違う。
一緒に過ごして来た時間が全然違うんだ。
ユウリは私のもの。
誰にも渡さない。
渡したくない。
「んふふっ」
睨み合いはアオが笑顔になって中断した。
旋回して上空を離れる爆撃機。
アオは再び星空を見上げてゆっくりと歩き出す。
一時休戦?
それもいいでしょう。
今日はなんだか。
とっても疲れた金曜日でした。
炎症は尾を引きそうだ。
「あ、ねぇ、コナツ、」別れ際にアオが言った。「ショートヘアのユウリの画像、送ってくれない?」
「うん、いいよ」
私は笑顔で頷きアオにショートヘアのユウリの画像をプレゼントしてあげた。
アオは嬉しそうに私にお礼を言って、すぐにそれを待ち受けにして帰って行く。
私がプレゼントしたユウリの画像は一枚だけ。
アオは他にももっと沢山素敵なショートヘアのユウリの画像があることなんて知らないんだ。
私はしばらく優越感に浸った。
でもすぐに莫迦じゃないのって自分のつまらない優越感を捨てた。
私はユウリとセックスをしたことがない。
無条件に私の負けだと思う。
アオの勝ち。
焦がされた心が痛む。
アオは私にトドメを刺さなかった。
弄ばれていたんだろう。
それが正解だ。
それがムカつく。
後ろからトラックが来て静けさを打消し私の横を通り過ぎて空気を汚して風を起こした。
激しい風に私の髪は乱れた。
捨てるべきものがあるのだと思う。
捨てなければ失ってしまうものがあるんだと思う。
選択を迫られている。
春になったらきっとアオは私にトドメを刺す。
だからその前に私は……。




