シスタ、ファウンダウト・ザ・トワイライト・ビュウ/十一
ユウリは眠りに就くまでシスタ、ファウンダウト・ザ・トワイライト・ビュウのミュージック・ビデオを見続けて、翌朝目覚めて顔を洗って鏡で自分の顔を見てからシスタ、ファウンダウト・ザ・トワイライト・ビュウのゼプテンバ様みたいなショートヘアになることに決めました。
ショートヘアになるにはマラソン大会の前日が適切だと思う。それが理由になって、山吹が提示した交換条件が理由とはならないからだ。山吹の言葉でショートヘアにしたなんて思うと、なんだか悔しいし、なんだか納得いかない。実際は確かにそうなのだが、心情的に山吹を理由にしたくなかった。これがコナツとか、他の女の子だったら気持ちは全然変わってくるのだが、とにかくショートヘアの理由を山吹には絶対にしたくないユウリだった。とりあえず、あくまでマラソン大会のためにショートヘアにすることにした、とユウリは決めた。しかしマラソン大会のためにショートヘアにするなんてそれはそれでダサいとも思う。学園祭の前日でもそれはいいわけだが、でも髪を切ると決めてしまったら一刻も早くユウリは変身したくてしょうがなかった。ユウリは決断したら、すぐにでも行動に移したいタイプだ。だからマラソン大会を理由にして、木曜日の夜、ユウリはブレーメンでの練習を「ごめんなさい、今夜は用事があって」と早々に切り上げて、そのときのマサヤの視線がなぜかいやに情熱的だったが、とにかく敷島の國丸本家に近くにある、ビューティフル・リップスというヘアサロンにバスで向かった。そこのケンタ君という美容師にユウリは昔から髪を切ってもらっていた。ビューティフル・リップスは緑が多い公園の傍にある。その公園の前のバス停で下車し、東に三分くらい歩く。先に電話で予約は入れていた。ユウリは紙コップみたいな形をしたライトで照らされるビューティフル・リップスとドギツい紅色で書かれた看板を見上げてからガラスの扉を押して中に入る。ケンタ君は入ってすぐ右手のカウンタで電話を受けていた。彼はユウリを見て笑顔を作り手で座って待っていてとジャスチャしてユウリはソファに腰掛けテーブルの上に雑然と置かれた週刊誌を適当に物色しながらケンタ君が電話を終えるのを待った。カット用の大きな鏡と椅子がカウンタの後ろに二つずつという狭い店内にはユウリの他に客はおらず、従業員もケンタ君しかいないみたいだ。ビューティフル・リップスの従業員は他にオーナ兼店長のカオルさんと、その妹のユヅキさんがいる。従業員はその姉妹にケンタ君を入れて三人だけだ。
「いらっしゃい、ユウリちゃん、」電話を終えたケンタ君は顔の横で手を振りながら女性の口調で言った。ケンタ君はいわゆるそっちの人で、髪を明るい茶色に染めて伸ばしていてしっかりお化粧をしていつも女物の服を着ている。今日は丈の長いミッキーのボーダーのTシャツにスカートだった。コウサクほどではないけれど、ケンタ君も、顔つきは少し骨っぽいけれど綺麗な男性だ。コウサクにここを紹介してあげようかしら、とユウリは思う。ケンタ君だって様々なことを悩んでその都度、苦しくも答えをだし前進してきた人だ。だからコウサクに必要な人だと思う。彼はコウサクのことを理解してくれると思う。「さ、どうぞ、こちらへ」
ユウリは雑誌のグラビアを見て変に興奮していたが、その色はしっかり消して雑誌をテーブルの上に置いてソファを立ちカット専用の椅子に腰掛けた。「お願いします」
「随分、久しぶりじゃない?」ユウリにヘアエプロンを掛けながらケンタ君は言う。
「前は七月だったかな」
「こんなに伸びて、重たくなかった?」ケンタ君は椅子の後ろのペダルを踏み高さを調節しながらユウリの髪に指を入れて広げて言う。「前髪も不揃いよ、自分で切るならちゃんとしなくっちゃ、ユキコちゃんも下手くそなんだから、それで今日はどんな風にする、いつも通りでいいかしら?」
「こんな風にして下さい」ユウリはスマートフォンをポケットから取り出し、ショート・ヘアのゼプテンバ様の画像を見せた。
「え、」ケンタ君は表情を変える。「いいの?」
「はい」
「こんな風に短くしたことってないんじゃない? ショート・ヘアにするなんて、史上初、じゃない?」
「はい、でも明日はマラソン大会なので」
ケンタ君は訝しげにユウリの顔を鏡越しに見ていた。ユウリは微笑みを作っていた。鏡があるので顔を作りやすい。虚勢の顔だ。ケンタ君に無駄な気を使って欲しくはないので、本当はユウリは自分がショート・ヘアになることに緊張していたし、ショート・ヘアがゼプテンバ様みたいに似合うだろうかっていう心配もあったが出来るだけ明るい顔をした。
「いいのね?」ケンタ君はユウリの髪に櫛を何度も通しながらまるで自分の髪のことのように悲しそうな表情をして聞いてくる。「一度切ってしまったら、戻れないわよ」
「はい、」ユウリはここで決意が揺らいでやっぱり嫌だと思わないようにヘアエプロンで隠れて見えない両手をぎゅっと握り締めて返事をした。「バッサリ、切って下さい」
「失恋でもしたの?」
「そんなんじゃありませんよ、明日がマラソン大会だから」
「まあ、たまにはいいかもね」
「ええ、たまにはいいんです」
シャンプをして、カットに入る。ケンタ君はカットの途中余計なことをしゃべらない。髪の毛に集中してひたすらハサミを細かく動かし続ける。それはカオルさんもユヅキさんも同じで、それがビューティフル・リップスのスタイルだ。そのスタイルが好きでユキコもユウリもここに通い続けている。昔はユウリはユキコに連れられてここに来て、二人並んで座り、カオルさんとユヅキさんにカットしてもらっていた。楽しい思い出だ。ユキコがK県の女子大に行ってしまってからは母親の通う美容室に連れて行かれたけれどそこのスタイルはビューティフル・リップスと全く違っていて嫌だった。仕上がりも不満だった。七歳だったけれどカットが上手か下手かは分かる。よく母親は平気でこの下手くそな美容師たちに髪の毛を任せられるな、と思った。全然違うじゃないか。七歳だったけれどユウリは自分でビューティフル・リップスに予約の電話を掛けて父親にお金を貰ってバスで通うようになった。ケンタ君がここで働くようになったのは三年前の話だ。新宿の美容室で働いていたが都会の賑やかさが肌に合わなかったのと、あるお客さんに男のくせに女の格好をしているなんて気持ち悪いと罵倒されたのがとてもショックで実家がある錦景市に戻ってビューティフル・リップスで働くようになったのだ。ケンタ君の技術は確かだったから、カオルさんはユウリの髪を彼に任せた。ユウリは正直不安だった。でもカオルさんは、私よりもずっと上手よ、きちんとしたアカデミィで勉強していて、きちんと成果を出しているから大丈夫よ、と笑いながら言った。「オカマだから心配だと思うけど、オカマに向いている職業よ、美容師って」
それからユウリの髪はケンタ君が切っている。カオルさんとどちらが上手かっていうのは甲乙付けがたいけれど、ケンタ君は情熱的に切る人だった。それがオカマに関係しているのかは分からないけれど、まさに一心不乱情熱的に切るケンタ君は、素敵だと思います。
「どぉ?」ドライヤを掛け終え、二つ折りの鏡をユウリの頭の後ろで開いてケンタ君は久しぶりに声を発した。「こんな風になりましたけれど」
「……信じられない、」ユウリは鏡の中で変貌した自分の姿を見て言う。「これが私なの?」
「変身はお気に召しませんか、」ケンタ君は首を傾けて言う。「お嬢様?」
「いいえ、そんなことありません、」ユウリは首を振ってから顔を斜めにして角度によって自分がどう見えるか確かめる。ユウリは凄く、興奮していた。「そんなことないです、いいじゃないですか、凄く変わっちゃって、自分じゃないみたい、自分の可愛さ加減に酔ってしまいそう」
「んふふっ」ケンタ君は小さく笑った。
「あ、ごめんなさい、はしゃいじゃって」
「いいえ、こちらこそ笑っちゃってごめんなさい、いえね、反応が全く一緒だったから」
「え?」
「ホワイトアッシュにしたときのユキコちゃんも今のユウリちゃんみたいだったわよ、すっごくはしゃいじゃって同じことを言ったわ、自分の可愛さ加減に酔ってしまいそうって」
ユウリはケンタ君にそんなことを言われて顔が熱くなった。なんだかよく分からない感情に心が支配される。ユキコと二人でビューティフル・リップスに通っていたあの日々が懐かしくってセンチメンタルになった。鏡の中のショートヘアになって顔がほのかにピンク色の自分を見つめながらユウリは思う。
私はあの頃みたいに無邪気にユキコのことを好きになるべきなのでしょうか?




