シスタ、ファウンダウト・ザ・トワイライト・ビュウ/七
日曜日の夜に限界まで走ったせいだと思う。
月曜日は朝から下半身がずーんと熱っぽく歩くだけでどこかに痛みを感じで着替えをするのにも苦労した。右足と左足でそれぞれ痛い部分が違っていた。右足は膝の横の筋が伸びきって固まったみたいになっていて左足は特に足首からふくらはぎにかけて炎症を起こしていた。こんな風に右と左で痛む場所が違うのは歪んでいるからだとユウリは思った。体だけのことじゃなくて、きっと心とか、きっと歴史とかが歪んでいるからだ。そんなことを考えるのがまさに歪んでいる証拠ですね。
それがあって登校にも時間が掛かって迎えに来てくれたコナツといつもよりも五分も早く出発したのに春日中学校の正門に到着したのはいつもよりも五分も遅かった。
「昨日走り過ぎちゃったの、」登校の途中でユウリは自分の下半身の動きが絡繰り人形みたいに歪な理由をコナツに説明した。「完全にオーバ・ワーク、やってしまったわ、でも走っている途中って気付かないものなのよね、全然、まだまだ余裕って感じなのに、朝起きたらこうなんだ」
「ああ、そうなんだ、通りで、動きが変だと思ったよぉ、」コナツは軽快な動きでユウリの前に進み出て体をこちらにくるりと向けて首をチャーミングに傾けて言う。「じゃあ、そうだね、おんぶしてあげよっか? お嬢さん?」
「そ、そんなの、いいよ、」そんな風に言うコナツの仕草がいちいち可愛いのでユウリはなんだか照れてしまって咄嗟に首を横に振った。「おんぶしてもらうほどじゃないよ」
「そう? じゃあ、いっか」コナツはあっさりとおんぶの提案を取り下げてくるりと進行方向を向いてユウリに背中を向ける。
ユウリはすぐに後悔した。朝からコナツの体を抱きしめるチャンスを自ら捨ててしまうなんて全身全霊で後悔した。酷い後悔はユウリの体を勝手に動かした。
ユウリはコナツの背中に跳びついてぎゅっと抱き締めた。
「きゃあ!」コナツは可愛い悲鳴を上げた。そして笑顔をユウリに向ける。「もぉ、なにぃ?」
「やっぱりおんぶして欲しいなって思ったから、」ほとんど無意識の、かなり大胆な行動に、ユウリは自分でもびっくりしながら言った。「やっぱりコナツにおんぶしてもらいたいんです」
「もう、しょうがないねぇ」
コナツはそう言いながら笑っておんぶしてくれたけれど、一分もしないうちに音を上げた。「ああ、もう駄目、ユウリ、重い」
「まあ、酷いわ、」ユウリはコナツから体を離し、とっても愉快な気分で声を上げた。「重いだなんて」
「正確にはユウリの鞄が重い」
「あ、それはそうかも」
「何が入ってるのよ」
「色々だよ」
ユウリの鞄には授業で使う教科書やノートや筆記用具以外にも天体史関連の本や数冊の文庫本を常時入れていた。いざというときの武器になるくらいはずっしりとしている。
「でもユウリってばちゃんと練習してるんだね、偉いね」
「ん? 練習って、バンドのこと?」
「違う違う、マラソン大会の練習してるんでしょ? そうじゃないの?」
「え、何それ?」
「何それって、今週の金曜日はマラソン大会じゃないの」
「ああ、」ユウリは高い声を上げ青い空を見た。「そうだったねぇ」
「全くぅ、ユウリは本当に学校のことに無頓着なんだからぁ、今日の体育の授業も確かマラソン大会の練習だったと思うよ」
「ええ、こんな足じゃ走れないなぁ」
そんな風に言いながらもユウリは四時間目の体育の授業は全力で走った。錆び付いてあらゆる螺旋が莫迦になっていて無数の歯車たちがお互いを傷つけ合うように回転する機械みたいな足だったけれど痛みを我慢して三分も走れば錆がはがれ新しいグリスが注入されたみたいにある程度滑らかに、ユウリは走ることが出来た。
体育の授業で走ったのはマラソン大会で走るコースのおよそ半分で三キロぐらいだった。五十分の授業の間、最初に体操の時間が十分ぐらいあって、その後に先に男子が校外に走りに出た。男子は八キロ走らなくちゃいけないようだ。女子は校外に出る前に腕立てふせとかスクワットとかのトレーニングをやらされて走るフォームで重要なのは肩胛骨と股関節の連動だということを体育の女教師から聞かされたがよく分からなかった。よく分からないのは体育の女教師が四十代後半の不細工だったからだと思う。最後にまたよく分からない精神論を聞かされた後に、その精神論は若い少女に対する根拠のない嫌悪感に満ちていた、女子たちは校外に走りに出た。トップを走るのは一組の長身の、足がスラリと長いロングヘアを一つに縛った女の子で、コースの最初の角を左に曲がった時点で彼女は後続に大きな差を付けていた。ユウリは錆が取れてグリスが注入されたと感じた三分後からギアを上げた。並んで走っていたコナツも同時にギアを上げた。コナツも足は遅くない。気付けば二人で一組の長身の女の子の背中を追いかけていた。孤高に走る彼女の姿には好感がもてた。少なくとも、後ろの方でおしゃべりしながらダラダラとジョギングしている堕落した女子たちに比べれば。
「あの子、」ユウリは途中で一度だけコナツに話しかけた。「なんて名前?」
「ナオコ、橋田ナオコよ、」言って汗を掻いて頬がピンク色で艶っぽくなっているコナツはやらしい声で笑う。「ユウリってば、去年もナオコのこと聞いたよ、今度はちゃんと覚えてよ」
そう言えば、とユウリは去年のこの時期も同じ質問をコナツにしたことを思い出した。そして一昨年も同じ質問をしている。孤高に走るナオコはこのマラソン大会が近いこの時期に輝いて見えるんだと思う。結局ナオコがユウリとコナツの一分も先に一着でゴールした。ユウリとコナツが戻った頃には彼女はタオルで汗を拭きながら鉄棒の前で男子数人と談笑していた。その男子の中にマサヤが混じっていて、ユウリがナオコに向けた視線にマサヤは何を勘違いしてか、手を軽く挙げて木陰で休んでいたユウリとコナツのところに駆け寄ってきた。
「お疲れ、」マサヤは爽やかを意識した笑顔をユウリに見せて言った。「やっぱり二人とも早いよな」
「うぜぇやつ、」つい思ったことが口から出てしまってユウリは少し反省しようと思う。が、止まらない。「死ねばいいのに」
「んふふっ、」コナツは口元を押さえて小さく笑った。「あははっ」
「え?」
「あ、ところで、マサヤは橋田さんとは仲いいの?」ユウリはマサヤを睨むように見ながら聞いた。
「え、あいつと?」マサヤは急なユウリの質問に表情を変えて一度ナオコの方を見てから首を横に大きく横に振った。「別に、全然、仲良くないよ」
「仲良くしゃべってたじゃない?」
「そう見えただけだって、」何を勘違いしてか、マサヤは必死に言い訳するみたいに言った。「ほら、あいつ、野球部のマネージャだったから」
「野球部のマネージャだから、何なの? 関係あるの?」
「いや、俺、野球部だったから、現役のときは毎日顔合わせてたし」
「あ、そうだったの?」
「そうだよ、何で知らないの?」マサヤは悲しそうな顔をする。
「知らないよ、そんなこと、コナツも知らなかったでしょ?」
「知ってたよ」コナツは愉快そうに答える。
「あ、そうなんだ」
「そうだよ」マサヤは口を尖らせて言う。
「あ、そんなことより、マサヤ、ライブのことなんだけどさ」
「ん? 話が急旋回するね」
「あんた女装してよ」
「え? なんで?」
「あんただけじゃなくって、鷹村君と山吹も女装するわ、あ、まだ山吹には言ってないけど」
「いや、だからなんで?」
「だからなんでって、女装したら面白いでしょ? 無条件に面白いことだと思うのよ、コナツもそう思うでしょ?」
「へぇ、女装かぁ、そうだねぇ、面白そう、」コナツは悪戯にニコっと笑ってマサヤの顔をまじまじと見た。「内藤君だったら、結構いい線行くんじゃない?」
「……マジで?」マサヤの顔は唇の端を糸で引っ張られているみたいにひきつっていた。
「マジで、って言うか、もう面白いことをするのは決まってることなんだけど、決定事項なんだけど、本当に」
そのタイミングだった。
「ねぇ、何の話してるの?」ナオコがマサヤの両肩に手を置き後ろから顔を覗かせて声を掛けてきた。ナオコはマサヤよりも三センチくらい背が高かった。「面白いことってなぁに?」




