フラッシュ・バック・ロックンロール/一
錦景市は十一月の初日の、夜の七時の手前。
場所は錦景市駅前地下街、錦景第二ビルに近いマクドナルドのトイレの傍のカウンタから完全に死角になっていて照明もあまり届かなくって妙に雰囲気のある四人掛けのテーブル席。
そこで溜息を吐く、紺色のブレザに臙脂色のネクタイ灰色のスカートという装いの少女がいた。重たくて「はあ」と声になる溜息だった。空気に拡散せず口元に残るような溜息だった。錦景市立春日中学校三年二組の問題児、國丸ユウリは憂鬱だった。「……はぁあ」
間違ってもこれは恋の溜息なんかじゃない。只今、ユウリは絶賛恋愛休業中だった。夏から秋に掛けて色々あったので、ちょっと休ませてという具合。ユウリは今、恋愛ということを考えないようにしている。
それでは体の調子が悪いのか、というとそうでもなくて頭痛が痛いというわけでもなく、お腹も痛くないし、以前折れてしまった右足はすっかり完治しているし、季節の変わり目で朝方は喉が痛んだりするけれど、体は至って健康で鏡で見る自分の顔は相変わらず美少女で髪の毛の色も艶もよかった。
「……はあ、」ユウリは自分のさらさらとした綺麗な髪に指を通しながら溜息を吐く。「……はあ、ねぇ、ちょっと内藤、いつになったら二人は来るのよ、もう約束の時間から一時間も経とうとしているわよ、ちゃんと二人には夜の六時って連絡したのっ?」
溜息の理由は待ち合わせの時間になっても二人の男がマクドナルドに来ないことだった。ユウリは時間にルーズな人間のことを特になんとも思っていなかったけれど、一時間近くも待たされたことなんてなかったからコーラの氷が解けるくらいのスピードで徐々にヒステリックな少女になりつつあって溜息が一分に一度くらいのペースになって夜の七時の手前になってコーラのカップの蓋を開けてみたらコーラの氷は完全に解けてしまっていたからユウリは完全完璧ヒステリック・ガールになって対面に座るクラスメイトの男子の内藤マサヤ(絶対に彼氏なんかじゃない!)のことを鋭く睨み付けたんだ。「私は何よりあんたと二人きりでマクドナルドにいるっていう状況が気に食わないんだけどっ」
「や、山吹の仕事が終わらないんじゃないの?」マサヤは俺を睨むなよ、という風な不服そうな顔をして口を尖らせて言った。待ち人の二人の内の一人は三年二組の担任の山吹という理科教師だった。「仕事を放っては来ないでしょ、公務員なんだから、っていうか、気に食わないとか言うなよ」
ユウリはマサヤの最後の台詞を無視して言った。「公務員なんだから定時で帰れるんじゃないの?」
「でも職員室の電気遅くまで点いてるよ、なんか色々あるんじゃない、公務員だって色々さ」
「じゃあ、あいつはどうして来ないのよ、四組のあいつは、えっと、なんだっけ、名前? た、た、タノムラだっけ?」
「鷹村だよ、鷹村コウサク」
「そうそう、鷹村コウサク、鷹村ってやつはやることないでしょうに、部活も何もやってないんでしょ?」
「山吹のこと待ってるんだよ、きっと」
「え、なんでよ? さっさと私たちと合流すればいいでしょうに」
「律儀なやつなんだよ、」マサヤはユウリから視線を外しテーブルの上の空の紙コップを見て言う。「……國丸、なんか飲み物とか買ってこようか?」
「は?」ユウリは頬杖付き、首を傾げた。「なんであんたがそんなことするの?」
「え、いや、別に、その、」マサヤはユウリに怯える顔になる。「俺も飲み物欲しかったから、ついでに國丸も何か飲むかなって、思って、そうだよ、ついでだよ」
「へぇ、ついでなんだ」ユウリは背筋と腕をうーんと伸ばしながら言った。
「何もいらないんだな?」
「アイス珈琲」ユウリは言ってふわぁと欠伸をする。
「よし、分かった、」マサヤは嬉しそうな顔をして席を立った。「アイス珈琲だな」
「待って」
「え?」
「飲み物だけなの?」
「え?」
「クォータ・パウンダが食べたいなぁ、」育ちざかりのユウリはビックマックのセットを食べてもお腹一杯になっていなかったので可愛い声を作ってマサヤに言った。もちろん可愛い声のイメージはユウリが天使と崇めるロックンロール・バンド、ザ・コレクチブ・ロウテイションのギタリスト、アプリコット・ゼプテンバだ。「それからチキンナゲット、マスタードソースでお願いね」
「お、おう、分かった、ちょっと待ってて」ユウリの天使の声の命令を受けてマサヤはやっぱり嬉しそうな顔をして席から離れてカウンタに向かった。
莫迦な男。
そう思ってユウリは彼の背中を冷たい視線で見る。
マサヤはユウリのことが好きなのだ。
それはユウリの思い込みなんかじゃなくて(そんなこと絶対に思い込んだりなんかしない!)何度もマサヤから告白されたことだから本当のこと。
でも私は彼のことを振ってけちょんけちょんにボロクソに罵倒してやった。四組のコウサクと担任の山吹を待っている間だってマサヤとの会話の半分はユウリの罵倒だった。
なのに彼はまだ、ユウリのことを諦めていないようなのだ。正確には諦めきれないでいる、という状態でそれは彼が私の命令によって見せた嬉しそうな顔に如実に表れていると思う。こちらも思い込みなどではなく、彼の口から聞いたこと。彼はアイス珈琲とクォータ・パウンダとチキンナゲットをユウリのために購入することによって、ユウリに愛されたいと思っているのだ。可能性なんてないのに、ユウリにいくら罵倒されても、本当は泣きたい癖に笑顔で、へらへらと、何でもないって笑っているんだ。
莫迦じゃないの?
さっさと諦めて、他の女の子のことを好きになればいいのに。マサヤは、ルックスは悪くない。クラスで一番の男前だ。雑誌のモデルにはなれるだろうけど、売れない、という具合の男前加減。クラスの女子たちには人気があって、彼の傍にいることを狙っている女の子が何人かいることをユウリは知っていた。ユウリのことを狙わないで違う女の子を狙えばいいのに。そうすればユウリに罵倒されずに済むし、マクドナルドでは普通のおしゃべりを楽しむことが出来るし、幸せになれると思う。
でも彼はそれをしない。他の女の子を選択しない。ユウリのことを選択して、マクドナルドで罵倒されたり睨まれたり命令されたりしているのだ。
なんでそんなにマサヤはユウリのことが好きなのか?
ユウリは目を瞑ってしばし考える。
考えたがしかし、ユウリが美少女あること以外に全く思い当たるところがございません。
どうしてユウリに固執するのか、ちょっと理解に苦しむことではある。
まあ、ユウリの美少女加減ならば仕方がないか。
美少女なのって罪なのかもね。
何も思ってなくても男の人生を簡単に狂わせてしまうんだから。
とにかく、ユウリはマサヤのことを愛することはないと未来に予告して断言できる。
マサヤは知らないことだけど。
ユウリはレズビアン。
あなたを愛することなんてないんだよ。
「お待たせ」マサヤは笑顔で戻って来てユウリの対面に座る。トレーの上には沢山のチキンナゲットがあった。
「こんなに食えるかよっ」ユウリはテーブルの下でマサヤの膝を蹴った。
「蹴るなよ、俺も食うんだよ、」そしてマサヤは頬を赤らめて小さく言葉を付け足した。「一緒に食べようよ」
「キモい」
ユウリのそんなキツイ一言にも、マサヤはへらへら笑っていた。




