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再会


 見習い舞姫たちは、公演のあいだ楽屋として使用することになっている稽古場に戻ってくると、歓声をあげてシェルフィアに駆け寄ってきた。

「お客さんがみんな総立ちで拍手してくれた!」

「聞いて聞いて、ねえ、再演を呼びかけられたんだよ、すごいでしょ!」

 見習い舞姫たちは皆、我先にとシェルフィアに駆け寄ってきて口々に自らの初舞台が成功した喜びを伝えてくる。シェルフィアはその一人一人に微笑みかけながら自らも大きな喜びに包まれていた。振りつけの考案時間も、見習い舞姫たちの練習時間も一日もなかったのだ。難しい動きはいっさい入れず、見習い舞姫たちの普段の練習内容と大差ないような振りつけになるよう努めたものの、それで巧くいくのか何よりもシェルフィアがいちばん不安だった。見習い舞姫たちは勿論、シェルフィアにとっても今夜の舞台が振付師としての初舞台なのだ。初舞台の公演が失敗に終わるというのは、出演者にとって大きな挫折だ。

 見習い舞姫たちと喜びを分かち合いながら稽古場で時間を過ごしていると、しばらくして舞台のほうから拍手の音が微かに聞こえてきた。それでシェルフィアは我に返って見習い舞姫たちを稽古場に残すと一人、舞台袖に向かった。思いもかけず振付師としての初舞台の日となってすっかり忘れていた。見習い舞姫たちの初舞台はあくまでも前座、彼女たちの後に主演のリオラの舞台があるのだ。

 いつもであればシェルフィアはリオラの舞台は舞台袖で終わるまで見守っている。リオラはシェルフィアにとって幼馴染みといってもいい間柄なのだから、シェルフィアは彼女の演技が巧くいくかどうかはいつも気にかけていた。自分が事実上、舞姫として現役を退き、彼女がこの劇場でいちばん人気の舞姫となった今でも、それは変わっていない。

 リオラ、不快に思うかな、とシェルフィアは僅かに憂鬱になりながら舞台袖へと向かう廊下を歩いた。リオラは自分が見習い舞姫の頃から舞台の時は必ず、袖で応援してくれていたのに、振付師としての初舞台だからと、今日に限って自分が彼女の舞台を無視するだなんて。

 しかしリオラは舞台袖に来たシェルフィアに、不快そうな素振りはいっさい見せなかった。舞台袖で休息をとりながら、劇場主や共に舞台で舞った他の舞姫たちと、今日の演技について話し合っていたらしいリオラは、シェルフィアの姿に目を留めると、喜色を浮かべて手招きしてきた。

「初めての振りつけ、成功したみたいね。おめでとう」

 他意のない表情で喜びを表されて、シェルフィアはなんとなく申し訳ない気持ちになった。

「ごめん。私、今夜のリオラの舞台、見てない。ずっと稽古場にいたから」

 軽く頭を下げると、リオラは気にしてないという素振りで片手を振った。

「そんなことで謝らなくていいよ。シェルフィアもあの子たちも、今日は初舞台でしょ?他の舞姫の舞台なんか気にしていられないって分かってるから」

 宥めるようにリオラはシェルフィアの頭を軽く撫でてきた。

「それよりシェルフィアはこれから振付師としてやっていくんでしょ?あの子たちの振りつけ、すっごい良かったよ。一日足らずで仕上げたものだなんて思えない。ね、今度は私の振りつけもシェルフィアが作ってよ。私はまだまだ現役を続けるつもりだし。シェルフィアに作ってもらえたら、すごく嬉しい」

 リオラはシェルフィアより二つ年上で、今年で二十歳になる。世間ではまだまだ青二才、人生はこれからという年だが、舞の世界ではもう中年といっていい年だった。特にリオラは高い技術を要する動きで集客してきた人間だ。限界が来るのも早い。振りつけを作ってもいいけれど、果たしていつまで現役を続けられるものかしらとシェルフィアは思ったが、思うと同時にシェルフィアは自己嫌悪で嫌な気分に陥った。

 いったい、自分は何を考えているのだろう。自分が現役を続けられなくなったからといって、主演の親友を妬んで引退を望むだなんて、どうかしてるのではないか。シェルフィアの問題に、リオラはいっさい関係がないではないか。リオラも才能ある舞姫だ。リオラは演技で宙に放り投げた毬を宙返りしながら受け止めるという大技をすることがある。今日の演技でそれを行ったかどうかは分からないが、そんな技、とても自分にはできない。それほどの才能が埋もれるなんてあってはならないのに。

「どうしたの?」

 ふいにリオラが気遣わしげな表情でシェルフィアを覗き込んできた。シェルフィアの様子が変化したのを、リオラはすぐに気づいたらしい。

「急に沈み込んじゃって。ひょっとして、シェルフィアの主観では今日の初舞台の出来は最低なものだったの?そんなに心配しなくていいよ。向上心を持つことはいいことだけどさ。あの子たちの動きも正確なものだったし、振りつけも軽やかで、それでいて繊細で優雅で、とても良くできてた。曲にもきちんと合ってたし。自信をもって大丈夫だよ」

 そうじゃない、シェルフィアは否定したかったが口には出さずに黙って頷いた。シェルフィアの卑しい本心など、リオラに語ったところでどうなるものでもない。彼女との関係に亀裂を入れるだけだ。シェルフィアは自分で自分の心を戒めた。

「――あの、お話し中のところ、宜しいですか?」

 そのときふいに、リオラではない別の誰かに呼びかけられて、シェルフィアはそちらを振り返った。リオラもそちらに向き直る。見ると、舞台と舞台袖を仕切っている幄の隙間から、片目を眼帯で覆った女性が顔を覗かせていた。この劇場で売り子を務めているミュレイラだ。子供の頃に遭った事故の影響で目許に大きな傷を負ってしまい、それが原因で舞台に立つことができなくなった元見習い舞姫。シェルフィアやリオラとも昔から仲が良かった。舞の上達も早くて表現力も技術も、容姿も、この劇場では誰よりも抜きん出ていた。あの事故さえなければ、今頃この劇場でいちばん人気の舞姫は、彼女だったかもしれない。自分など、彼女の足許にも及ばなかったはずだ。そう思うと、シェルフィアはいつも惜しい気分がする。 

「大丈夫よ。ミュレイラ、どうしたの?」

 シェルフィアがミュレイラの下に駆け寄ると、ミュレイラはシェルフィアに顔を寄せてきた。

「シェルフィアに会いたいって、お客様が訪ねてきてるの。会っておいで。ルアンさまですって。自分は売り場に戻るから、そこに来てください、って、仰ってたわ。絶好の好機じゃない?」

 声を潜めたようなミュレイラの話し方と、ルアンという名前で、シェルフィアはミュレイラが、シェルフィアに何を伝えたいのかを悟った。

「ルアンさまって、まさか、ひょっとしてオーヴェリアの劇場にいる、あの有名な振付師の?なんでそんな有名人がわざわざ私を訪ねてくるの?私、その人と面識なんてないわよ。訪問の約束もしてないし」

「突然の訪問だってことは、ルアンさまも承知してるって。あのルアンさまよ。間違いないわ。所属振付師としての徽章も見せてもらったもの。なんで訪ねてきたのかは私も聞いてないけど。好機よ。ルアンさまがわざわざシェルフィアを訪ねてきたってことは、ルアンさまがシェルフィアの舞の才能に惚れていたってことじゃない?それなら、シェルフィア、ひょっとしたらオーヴェリアの劇場に移籍できるかもよ。あそこなら大きいし、ここから離れてるし、また舞姫として復帰できるかもしれないわ」

 シェルフィアは苦笑した。

「そんなに巧くいくわけないでしょ。今日は私が舞った演目だってなかったのに・・」

「ねー?そんなところでいつまで二人でこそこそ話してるの?」

 リオラが呼びかける声がふいに聞こえてきた。リオラを振り返ると、彼女は面白いものを見るような目でこちらを見ている。

「二人だけでひそひそと話し合っちゃって。どうかしたの?まさか、シェルフィアの許婚の相手でも来たとか?これから逢引の約束?」

 除け者にされたことで僅かに拗ねたような口調になっていたリオラの言葉に、なに、と、それまでは黙って話を聞いていただけの劇場主が目を剥いてシェルフィアを凝視してきた。シェルフィアは慌てて首を振った。

「違いますよ。――変なこと言わないでよ。私はまだ誰とも婚約なんてしていないわよ」

「じゃあ、そこで二人で何の話をしてたの?こそこそとさ」

「こそこそとなんかしてないわよ。お客様の一人が私を訪ねてきてるから、会ってやってくれって。ミュレイラの用件は、それだけ」

 劇場主が露骨に顔を顰めてきた。

「シェルフィア、会うのか?無理はしなくていいぞ。嫌なら、私が適当なことを言って追っ払ってやるからな」

 かつて誹謗中傷が殺到したことを言っているのだろう。劇場主の表情は心底その客を警戒しているようだった。

「嫌ではありません。勿論、お会いしてきます。どのような用件で訪ねてこられたのか分かりませんから」

「しかし――」

「大丈夫ですよ。それでは私は少々、売り場のほうまで行って参ります」

 廊下のほうに歩きかけ、リオラの傍を通り過ぎる時、軽い口調で彼女に声をかけた。

「安心して。――もしもお客さんの目的がリオラへの恋文かなんかだったら、ちゃんと貰ってきてあげるから」


 シェルフィアが売り場に辿り着いた頃には、すでに人気はなくなっていた。

 切符を売るための帳場台の他には、三つほどの長椅子が設置してあるだけの売り場は非常に簡素で、そして狭かった。狭いだけでなく、とても閑散としている。だからシェルフィアはミュレイラの言っていた、ルアンという観客が誰なのか、すぐに分かった。売り場にはそれらしい観客が一人しかいないのだから、間違えようがない。ルアンらしい男性客は今、売り場の長椅子に腰かけて、手持ち無沙汰そうに壁に貼られた、次回の公演の日時を観客に告知するための紙を眺めている。

「あなたが私を訪ねてこられた方ですか?」

 声をかけながらシェルフィアが男のほうに歩み寄っていくと、男はシェルフィアのほうを見るなり立ち上がった。にこりとした微笑みを浮かべる。

「そうですよ。お久しぶりですね」

 会ったのが昨日のことで久しぶりというのだろうか。シェルフィアは疑問を感じたが、頷いて丁寧な一礼を返した。

「今宵は当劇場で御観覧いただきましたようで、有り難うございます。また御来場いただきますことを、切に願っております。どうぞ今後も、当劇場を御贔屓くださいませ。出演者一同、あなたさまの御来場を心よりお待ち申し上げております」

「そんなに堅苦しくしないでくれ。私が今晩ここに来たのは観覧よりもむしろ君に会うのが目的だったんだ。逆に申し訳ない」

 シェルフィアは顔を上げた。男を見上げて、首を傾げる。

「私に会うためにわざわざお越しになられたのですか?いったいどのようなご用件がおありなのでしょう?そういえば昨日もお会いいたしましたよね」

 昨日、シェルフィアが断崖から身投げしようとした、その場所に現れてシェルフィアの身投げを止めたのがこの男だった。あの時は彼はシェルフィアの兄だと、通りすがりの絵描きに名乗っていたが――。

「あなたはオーヴェリアの劇場の方だったのですか?ルアンという振付師の方のご高名は、私も存じ上げておりましたが」

 男は頷いた。

「そうだよ。――ほら」

 男はシェルフィアに向かって何かを投げてきた。慌てて受け止めると、それは金色をした小さな徽章だった。オーヴェリアの劇場に所属する歌姫や舞姫の他、関係者しか持ち得ない身分証だ。

「それだけじゃあ私の身元が信用できないなら、今からオーヴェリアに連れて行って他の劇場関係者にも会わせてあげるよ」

 男は言葉を付け足してきたが、シェルフィアはそれには及びませんと告げて、彼に徽章を返した。

「あなたが有名人だということはよく分かりました。ルアンさま。あなたの来訪なら当劇場の者は誰もが歓迎いたしますことでしょう。特に舞姫たちは狂喜するはずでございます。どの舞姫に最初にお会いになられますか?それとも最初に劇場主にお会いになられますか?呼んで参りましょうか?」

 売り場の壁には所属の舞姫や歌姫、たちの絵姿がずらりと掲げられている。シェルフィアはそれらに目線を配りながらルアンの目的を悟って訊ねてみた。するとルアンは不快そうに眉を顰める。

「君は私の話を聞いていなかったのか?人の話はきちんと聞きなさい。私は別に舞姫の引き抜きに来たわけではないよ。君と会うために来たんだ。少し、話しておきたいことがあってね。ここでは話し辛いというのなら、他所に移っても構わないし、私としては是非ともそうさせてほしいものだが」

「私には、あなたとお話しをすることなどございませんが――」

 シェルフィアは困惑した。シェルフィアはルアンには用はない。彼のほうもシェルフィアに用などあるはずがない。シェルフィアはすでに舞姫ではないし、振付師としても今日が初舞台の新人だ。振付師として暮らしていくかも分かっていないし、もしもそうなれば彼は自分にとって同業者。平たく言えば己の才を競い合う好敵手だ。親しく付き合うはずもない。

「私にはあるんだよ。――ああ、ちょっと近くまで付き合ってくれ」

 ルアンはシェルフィアに近づいてくると、シェルフィアの腕をとって劇場の入口までともに歩きだした。仕草はやや強引だが、無理強いする様子もなく、逆に紳士的にシェルフィアを先導している。

「売り場にいたんじゃ誰が来るか分からないからな。あまり無関係の者に聞き耳を立てられたくない」

 歩きながら不満を口にするルアンにシェルフィアは背後を振り返った。そして得心する。

 売り場から客席に続く扉のあいだから、顔見知りの舞姫たちが何人かこちらを興味深げに窺っていたからだ。


 自分が舞姫だった頃なら、ひょっとして有頂天になったのだろうか。

 シェルフィアはルアンと人気のない街路沿いの木陰まで移動すると、なんとなくそう思った。

 ルアンの名前も、オーヴェリアの劇場も、舞で暮らしている者にとってはどちらも知らぬ者はいないほどに有名だった。ルアンに振りつけを担ってもらい、オーヴェリアの劇場で主演として舞台に立った舞姫は、国で最も優れた舞姫である御前舞姫として国王主催の行事の席上で舞うことも夢ではなくなる。シェルフィア自身も、舞で生きてきた者として彼の名前は知っていたし憧れてもいた。オーヴェリアの劇場にはシェルフィアも何度か招待出演者として呼ばれて公演をしに行ったことがあるが、招待出演者は専属舞姫ではないためシェルフィアは彼の振りつけで舞ったことはない。そのため、シェルフィアは彼の振りつけで舞うことができるオーヴェリアの専属舞姫をいつも羨ましく思っていた。ルアンの振りつけで舞うことができれば、その舞姫の人気は絶対的なものになるとさえ言われる。彼に見初められることを望まない舞姫などいないだろう。その彼が、今日は自分からシェルフィアに会いに来たのだから。

「――君にどうしても伝えておきたいことがあってね」

 その、国中の舞姫たちの崇敬と憧憬を一心に集める彼は、周囲に人通りがないことを確認すると、徐に口を開いた。

「君は、うちの劇場にいたミレーシャという舞姫を知っているかな?」

 知っていますよ、シェルフィアは頷いた。

「妹を助けようとして、亡くなられた方でしょう?」

 忘れようとしても忘れられるものではない。妹を助けようとして、亡くなったのが彼女であったから、シェルフィアは今この状況に置かれているのだ。ミレーシャを恨んでいるわけではないが、なぜ死んだのかと、思わずにはいられない。もしも二人とも無事であったなら、状況は今とは正反対のものになっていたはずだ。

 シェルフィアはできるだけ淡々と、何の感情も表さずに言葉を紡いだつもりだったが、ルアンにはシェルフィアの複雑な思いはしっかりと伝わってしまったようだった。ルアンはシェルフィアを、痛ましいものを見るような目で見つめてくる。

「そうだ。君にとってはこの世のあらゆる不快と不愉快の元凶かもしれないな。もしもミレーシャが君の妹を助けようとしなければ、彼女が死ぬことはなかった。彼女が今も元気で現役であったなら、君も今でも現役で人気の舞姫でいられただろうからね」

「そんなふうには思っていませんけど」

 それは言い過ぎだと、シェルフィアは否定した。自分が思ってもいないことが、彼の口から事実として広まってもらったら困る。

「もしもミレーシャがリュイフィアを助けてくれていたら、彼女は妹の、命の恩人だったわけですし」

 恩人、か。ルアンは呟いた。

「確かにそうだな。もしもミレーシャが君の妹を無事に救助できていたら、今頃彼女は救命の英雄だった。しかしそれに失敗したために二人にとって悲劇の最期になってしまった。事実はそれとは全く違うのだと、私が言ったら、君はどう思う?」

「どういう意味ですか?」

 言っていることがよく分からない。シェルフィアが訊き返すと、彼は特に何も思った様子もなく、平易な言い回しで言葉を繰り返した。

「あの日、あの海岸で実際に起きたことは、君が聞かされてきたこと、つまり軍が考えていることや、街で噂されていることとは、おそらく大きく違っている。君の妹は不用意に海岸に近づいたために海に落ちたのではない。ミレーシャにしても、君の妹を助けようとして海に入ったわけではないんだ。二人は突き落とされたんだよ。あの海岸から、真下の海にね。断じて不幸な事故などではないんだ」

「ずいぶんはっきりと断言なさるのですね。何か具体的な根拠でもおありなのですか?」

 妹の死が急に事故ではなく殺人でしたなどと言われても、シェルフィアにとっては俄かには受け入れがたい話だ。そんな話は誰からも聞いたことがない。益体もない噂話としてさえも、耳に入ってきたことはなかった。

「根拠ならあるよ。目撃者がいる。残念ながら私ではないが、実際に二人が突き落とされた現場を見ていた者がいたのは事実だ。その者が私に伝えてきたんだ。ミレーシャと君の妹は、あの海岸から海に突き落とされたのだと」

 シェルフィアは思わず失笑してしまった。

「ずいぶん悪趣味なご冗談をお考えのお知り合いがいらっしゃるのですね。貴方はその方の冗談を、まさか真に受けられたのですか?ありえませんよ。それほど衝撃的な場を自分の目で見られた方がいらっしゃったのなら、どうしてそのことを軍に教えなかったのです?目撃者の証言なら、どんな無能な兵士だって粗末に扱ったりはしないはずです」

「証言はしたよ。当たり前のことだ。しかしその証言は有効なものにはならなかったんだ」

 ルアンはシェルフィアを見て、溜息をついてきた。

「私に目撃したと話してくれた者はうちの劇場の歌姫だ。という少女でね。君も会えばなぜ彼女の証言が有効なものにならなかったのかは理解してもらえると思う。軍の判断はある意味では仕方のないことなんだ。君の下に軍からこの情報は来ていないか?来ていないというのなら、たぶん軍のほうで躊躇しているのかもしれん。証言の内容が内容だ。迂闊に外部に漏らせば、それが何にどんなふうに影響するか、分からないからな」

 シェルフィアは首を振った。とても受け入れられない話だった。

「嘘です。その話がもしも本当なのだとしたら、リュイフィアは誰かに殺されたってことですよね?どうしてそんなことが起こるんですか?リュイフィアがいったい誰に恨まれるっていうんです?リュイフィアは家の近所の衣装店で働いている、どこにでもいる単なるお針子です。他人の恨みを買うような者ではありません」

「恨みで殺されたわけではないだろう。リセもそう言っていた」

 ルアンは溜息をついた。

「ミレーシャが何のためにあの海岸に行ったのか、リセを通して聞いている私には、リセの証言は充分に信頼できるものだと考えている。その彼女が言っていたからね、君の妹が殺されたのは、彼女が恨まれていたからではない、君の妹はミレーシャの死に、巻き込まれたにすぎないのだと」

「ならどうして、それほどに貴方が信頼しているはずのリセさんが、今この場にいないんですか?」

 シェルフィアはルアンに疑惑の目を向けた。

「それほどに信を置いている証言があるのでしたら、その証言をなした方を、普通お連れになられるような気がいたしますけれど」

「リセはそう簡単に連れて来られるような人物ではないんだ」

 ルアンは首を横に振った。

「そもそも、容易く外出ができるような人間でもない。だから先に私が一人で来た。もしも君にリセの話を聞いてもいい、という意思が生まれたら、その時は私に連絡をしてくれ。そうなったら、私は今度こそリセを連れて再びここに来る。多少の困難があってもね。そしてリセに当時のことを、あるがままに話させるから」

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