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レーヴェラーダ

 レーヴェラーダとは、この国で昔から語り継がれる魔女の名前だ。

 実在の人物ではない。子供向けの御伽噺の登場人物だ。シェルフィアも小さい頃に、両親から聞かされたことがある。人のために善良な行いをする良い魔女を奸智をめぐらせて殺し、繁栄を謳歌する悪い魔女が、最後は自らが殺した良い魔女の支持者たちに奸智を暴かれて身の破滅を招くという、単純な物語で、悪事は必ず暴かれるのだということを子供に教えるための教訓的な童話だ。大人になればレーヴェラーダの名前など、耳にすることはまずない。自分が死ぬことがレーヴェラーダを喜ばせるだけだなどという男の忠告は、シェルフィアにはまるで意味の分からない言葉だった。

 シェルフィアの身近に、レーヴェラーダなどという名前や芸名、通称を持つ者はいない。普通、人の呼び名に使うような名前ではないからだ。奸智で身を滅ぼした魔女の名など、好んで名乗りたい者がいるはずもなく、シェルフィアもレーヴェラーダの物語を舞台で演じるようなことはない。レーヴェラーダの物語は単純で短いから、女優よりもむしろ舞姫向きとはいえ、シェルフィアはそういう演目は持っていなかった。身近にレーヴェラーダの物語を演目にしている舞姫もいない。話に聞いたこともない。上演している劇場だって、少なくともシェルフィアの知る範囲にはない。

 男はいったいシェルフィアに何を伝えたかったのだろう。彼にしか分からない喩えなら、忠告の意味をなさない。ならば何か、シェルフィアにとって重大な意味があるはずだ。シェルフィアは一度はそう考えて、自分の身近でレーヴェラーダが喩えに使われそうな人物を捜してみた。「レーヴェラーダが喜ぶ」という男の言葉からは、「シェルフィアが死ぬことで喜ぶ第三者がいる」という意味に受け取れるからだ。

 自分にとって見ず知らずの、赤の他人の言葉など真に受ける必要はない。本来はそうだ。真実、男は自分のためだけに自分にしか分からない言葉でシェルフィアを窘めて、「人の生命を救った自分」というものに酔っていたのかもしれない。きっとそうだろう。しかしシェルフィアにとって見知らぬ人物だったからといって、男にとっても見ず知らずの他人だったとは限らないのだ。男はシェルフィアをよく知っていた、そういう可能性もある。だからなんとなく、男の言葉を捨て置けなかった。

 シェルフィアは足を止めた。いつもの習慣で出演者用の裏扉に向かおうとして、なんとなく劇場の表を見上げる。客用の派手で華やかな装飾の施された表扉には、舞台に出演する舞姫たちを描いた、客寄せのための告知板が掲げられていた。

 告知板の最も目立つ中央には、集客の中心となる最人気の舞姫が描かれている。彼女ほどには人気のない舞姫たちは、その舞姫の周囲をぐるりと取り囲むようにして描かれていた。舞姫たちは、人気のある者ほど大きく、そして目立つように描かれている。前座を務める他所の劇場の奇術師や道化師たちの名前や絵は、下のほうに小さく描かれていた。

 シェルフィアは告知板を隅々まで丹念に眺めたが、やはりというべきか、どこを探しても自分の絵や名前はなかった。そのことは覚悟していたが、同時に落胆も感じる。半年前までは、自分の絵姿こそがあの告知板の中央に描かれていたのだと思うと、遣る瀬無い思いがした。

 仕方のないことだとは分かっている。劇場主とて商売人だ。客の不興を買いかねない舞姫など告知板には載せられない。むしろ指導者として残るよう慰留されただけでも、感謝するべきなのだろう。あと数年もすれば、シェルフィアとて引退を考えなければならない年になるのだ。少しくらいそれが早く訪れたからといって、どうだというのだろう。

 それでも、納得はいっていなかった。もとよりシェルフィアが客の不興を買うようになったのは、シェルフィア自身に落ち度があるわけではないからだ。それに起因するような苦情など聞いたことがない。今のこの状況は、全てあの事故が原因なのだ。

 半年前、シェルフィアはたった一人の家族であった妹を亡くした。転落事故だった。あの海岸で、妹は崖から海に落ちたのだ。当時はまだ柵などなかった。どうして柵をつけてくれるのなら、もっと早くつけてくれなかったのだと、シェルフィアは理不尽とは思っていても役所を恨まずにはいられなかった。あの断崖が意外に人通りが多いことは、以前から知られていたことだ。もっと早くに転落事故が起きる危険を察して、柵を設置しておいてくれてもよかったはずだ。役所がそうしてくれていたら、妹は死なずに済んだだろう。妹が無事だったなら、きっと今、自分がこうした処遇を受けることもなかったはずだ。

 妹がなぜ海岸になど足を運んだのかは分からない。妹は絵描きではないし、絵を描くのを趣味にしているわけでもない。あの海岸は近所だから、今さら眺望を楽しみたかったわけではないだろう。夏場のことなら、水遊びがてら高さのある崖の上まで行って飛び込んでみようという、無謀なことを考えたとしても不思議はないし、妹にはそういう無茶なところもあったが、今は冬だ。劇場の近くの湖には氷だって張っている。この季節に海に水遊びになど行くはずがなかった。なのになぜか、妹はあの日に海岸を訪れていたのだ。

 あの日、シェルフィアが夕方の公演を終えて帰宅すると、家で待っていたのは妹ではなく妹の訃報だった。巡視の兵士が家を訪ねてきて、シェルフィアに海で妹の遺体が見つかったと伝えたのだ。

 妹はあの断崖の真下、岩場に打ち上げられていた。見つけたのはあの海岸を偶然に通りがかった近所の者で、この者が海上に浮いている妹に驚愕し、近くの漁師や巡視の兵士と一緒になって妹を引き揚げてくれたのだ。しかし、その時には妹はすでにこの世の存在ではなくなっていた。妹には息も脈もなく、どれほど手を尽くして蘇生しても、全て徒労に終わったらしい。

 しかし、それだけなら単に不幸な事故だった。シェルフィアと妹にとっては喩えようのない悲劇でも、充分に起こりえた事故だし、責められるべきは人通りの多い海岸を、柵も設置せずに放置していた役所だと、シェルフィアに訃報を伝えた巡視の兵士も、妹のために弔問に訪れてくれた者たちも、皆、そう言ってくれた。

 しかしシェルフィアにはとてもそうは思えなかった。思おうとしたけどできなかったのだ。単なる事故として片づけてしまうには、シェルフィアにとって問題はあまりにも大きすぎた。もしも死んだのが妹一人だけだったなら、シェルフィアはどれほど辛くても時の慰めによって、次第に立ち直っていくことができただろう。

 妹の死によって生命を落としたのは妹だけではなかったのだ。妹の遺体とともにもう一人、妹とは別人の遺体が引き揚げられていたのだ。そして、そちらの遺体のほうが社会にとっては重大な関心を惹いた。

 妹とともに引き揚げられたのは、ミレーシャという少女の遺体だった。まだ十五歳、妹と同い年の少女だ。ミレーシャの遺体は妹の遺体と抱き合うような恰好で見つかっていた。着衣のままで、ミレーシャが海に落ちた妹を助けるために、どこからか海に入り、妹とともに溺れてしまったことは誰の目にも明らかだった。

 ミレーシャのことはシェルフィアもよく知っていた。彼女が有名人だったからだ。オーヴェリアという大きな街にある、国でも屈指の大劇場に所属している歌姫で、観客に絶大な人気があった。シェルフィアは何度か彼女の所属劇場に招かれていたから、当然、彼女とも面識がある。ミレーシャの訃報を聞いた時、シェルフィアは心の底から彼女の死を悼んだ。歌姫としてまだまだ伸び盛りの年に、不慮の事故で失われた才能が、心底惜しかったのだ。ミレーシャは謙虚で努力家で、人柄も申し分なかった。あのまま生きていたら、いったいどれほどの傑物にまで育っていただろう。

 しかしシェルフィアに、ミレーシャの死までゆっくりと悼んでいられるような余裕は訪れなかった。オーヴェリアのほとんどの人々は、ミレーシャの死を、シェルフィアも驚くほどに大きく騒ぎ始めた。彼女の突然の死を誰もが嘆き悲しみ、所属劇場には連日のように花束が献花され、ミレーシャの葬儀では、軍が事故を警戒して警備を出すほどの人数が押しかけた。それらの人々の悲しみは、すぐに怒りに昇華された。ミレーシャは妹を助けようとして死んだ。つまりは妹があの日、海岸になど行かなければ、ミレーシャは死ぬことなどなかったというのだ。ミレーシャが死んだのは妹のせい、妹がミレーシャを殺したのだ、ということになった。いつの間にか、そういうことになってしまったのだ。

 それ以来、シェルフィアの自宅には不特定多数の人々から嫌がらせが殺到するようになった。誹謗中傷を書いた手紙が送りつけられてくる、生ごみがいつの間にか庭に棄てられているなどということはまだましなほうで、窓辺に向かって投石されたことも、家の塀沿いにごみが置かれ、火をつけられたこともある。どちらも大事には至らなかったものの、運が悪ければシェルフィアは怪我では済まなかった。妹の葬儀は、通っていた教会の神官の計らいで秘密裏に執り行ったものの、いったい誰がどうやって妹の埋葬された墓地を突き止めたのか、供物が荒らされたり、墓石に落書きがされていたこともあった。墓が掘り返されて棺が暴かれるようなことだけはさすがになかったが、それはそれを行った暴徒が思ったよりも道徳心のある者だったからだ。ここまでくると、次は何が起きてもおかしくなく、シェルフィアは生きた心地がしなかった。

 自宅に嫌がらせが殺到するようになると、シェルフィアの暮らしには具体的な影響が出てくるようになった。シェルフィアは舞姫だ。舞台に立って観客に舞を見せることで生計を立てている。すると仕事柄、嫌でも人前に出ざるをえない。シェルフィアがミレーシャが助けようとした少女の姉であることは、この辺では知られた事実だった。シェルフィアが舞台に出ると、かつては考えられなかった野次が飛び交うようになった。声援や歓声など聞こえなくなり、口汚いほどの野次に取り囲まれた中でシェルフィアは演技をすることを強いられてきた。それだけならまだ無害だったのだが、やがて観客は野次以上の行為に出るようになった。かつてはシェルフィアの演技が終わると、観客の多くは花束を舞台に向かって投げてきた。なかには花と一緒に美しい書体で書いた応援の手紙を投げてくれる者もいたのだが、それが絶え、代わりにごみや小動物の死骸が投げ入れられるようになった。空き瓶や小刀が投げ込まれたことすらあり、劇場主によってシェルフィアは舞姫から外されることになった。危険というのが劇場主の言い分だったが、それだけではないことなどシェルフィアも理解している。シェルフィアが出るなら見ないと公言する客が後を絶たなかったからだ。客離れを防ぐために客の不興を買う舞姫を排除する、大義名分が危険だったというだけのことだ。

 シェルフィアは今からでも、戻れるものなら妹が死んだあの日に戻りたい。こんなことになると分かっていたら、自分は妹が何を言ったとしても、あの日は外出させなかっただろう。そうしていれば妹が死ぬこともなかった。こんな事態になることもなかったのだ。

 しかしもう、時は戻せない。どれほどシェルフィアが神に祈ったとしても、もう二度と、妹もミレーシャも帰ってこないのだ。そしてシェルフィアは舞踊以外の教育を、ほとんど受けたことがない。十八の年を迎えた今から、舞を捨てて別の道を選ぶなど、ほとんど不可能だった。生きるなら、嫌でもこの道を歩まざるをえない。舞台に立てないのなら、舞台に立つ舞姫の稽古を指導する者としてしか、生きる道がないのだ。

 ――どうして、あの日、自分は死ぬのをやめてしまったのだろう。

 結局、あの後、シェルフィアはあの男から逃げるようにあの海岸を去ってしまった。そして自宅に逃げ帰ってしまった。あんな見知らぬ男の一人くらい、振り切って再び柵を越え、飛び下りてしまえばよかったのに。どうしてそうしなかったのだろうか。

 それほどに、自分はあの男の言葉が気になっていたのだろうか。妹の無念は晴らしてあげてという、あの言葉に。

 あんなもの、通りすがりの旅人の、気の迷いにすぎないのに。

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