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基地


 シェルフィアはセラと別れると、一人で軍のメイヴェス基地に向かった。

 オーヴェリアとメイヴェスは馬車で一日ほどの距離しか離れていないため、メイヴェスの街に設けられたメイヴェス基地はオーヴェリアの街も管轄して警邏している。オーヴェリアで罪人が出た場合はだから、メイヴェスの基地まで移送されるのが普通だった。

 シェルフィアがわざわざメイヴェス基地になど向かったのは無論、リセに会うためだ。ルアンは自分を刺した犯人を見ている。彼はリセは犯人ではないと断言していた。しかしリセは犯人は自分だと自白した。ルアンが自分を刺した犯人を庇う道理はない。その彼がリセは犯人でないと明言するのなら、リセは自分が無実であると誰よりもよく知っているにも関わらず、真犯人の罪を代わりに被ったことになる。なぜ彼女がそんなことをする必要があったのか、シェルフィアはそれをどうしても知らなければならないと感じていた。

 シェルフィアはルアンが刺された直前、ルアンとリセと三人で、ミレーシャの事故のことを話していた。ミレーシャが殺されたという疑惑について話し合っていたのだ。そしたらその直後にルアンが誰かに襲われて、あわやというところで殺されかけた。これが偶然とは思えない。間違いなく、ルアンを刺した誰かは、ミレーシャが殺されたかもしれないという疑惑が独り歩きすることを恐れたのだ。だから先んじてルアンの口を封じようとした。リセでもシェルフィアでもなく、ルアンが真っ先に狙われたのは、彼が健康な男だったからかもしれない。シェルフィアは大怪我をしていたし、リセに至っては全盲だ。彼女がそれほど早く走れるとも思えない。

 シェルフィアはルアンを刺したのは、あの日、廊下にいたはずの、直前まで自分の看護をしてくれていたあの女性だと考えている。ルアンの刺傷直後から、廊下にいたはずの彼女の姿が見えなくなったのがその証拠のように思えた。そしてミレーシャの死が劇場の意向によるものだとしたら、ルアンの刺傷もまた、劇場の意向によるものの可能性がある。あれだけの会話で、あの老婦人が類い稀なる才を持った振付師の殺害を目論むとは信じ難いが、特別切符のことが明るみに出れば、それこそ劇場は破滅するのだから、どれほどの鬼才であったとしても振付師の一人くらい、容易く犠牲にできるのかもしれない。

 しかし、もしもルアンがそうした目的で刺されたのだとしたら、リセに犯人を庇わなければならない理由はないように思えるからだ。ひょっとしたら刺されていたのは彼女だったかもしれないのだ。特にリセはミレーシャが死んだ時、現場にいたというのだから、なおさら彼女が狙われた危険のほうが高い。それでなぜ、彼女は犯人を庇おうとしたのだろう。

 シェルフィアはそう思ったのだが、しかし基地を訪ねて兵士にリセへの面会を申し入れると、案の定というべきか、兵士は家族でもなんでもない赤の他人であるシェルフィアを、重大事件の参考人に会わせるわけにはいかないと答えてきた。兵士によると、リセは罪人ではなくあくまでも参考人のため、保護のためにも気安く他人と会わせるためにはいかないのだという。拘留中の罪人の場合は、家族なら兵士の立ち会いの下で短い間だが会話を交わすことも許されるが、軍の保護下にある参考人の場合には、それすら許可するわけにはいかないのだと。

 それでもシェルフィアとしては黙って引き下がるわけにはいかなかった。自分はルアンが刺された時、その場にいた人間なのだから事件の全くの部外者ではないと説明する。証人が必要ならオーヴェリアの劇場に務める医者がなってくれるはずだと。しかし兵士は頑として首を縦には振らなかった。それが規則なのだと、そればかりを繰り返している。

 長時間の押し問答にシェルフィアのほうが身も心も疲れ果て、本当にこのまま帰ろうかとすら思いたくなってきた頃、シェルフィアは妥協策を兵士のほうから提案されてきた。リセに会わせることはできないが、リセの事件を捜査した兵士がシェルフィアに会いたいと言っている。兵士に会うなら、シェルフィアの言葉を伝言としてリセに伝えることもできると。

 その提案にシェルフィアはすかさず頷いた。兵士に伝言を頼むのではリセにきちんとシェルフィアの言葉が届くかどうか分からないが、それでもこのまま黙って帰ることになるよりは遥かにましだった。

 提案に頷いたことで、シェルフィアはその兵士に案内されて基地の一隅にある外来の来客を迎えるための部屋に通された。そこでしばし待つように命じられ、シェルフィアは特に装飾も何もない殺風景な部屋で長椅子に腰かける。そのまましばし待つと、しばらくして一人の兵士が入ってきた。意外なことに女性の兵士だった。しかもまだ若い。シェルフィアとそれほど年も離れていないだろう。女性の兵士なんて珍しいなと、こんな状況にも関わらずシェルフィアはそんな暢気なことを思ってしまった。もっとも現れた女性兵士は、男と見紛うほどに逞しい身体つきをしていたが。

「オーヴェリアの劇場における刺傷事件の捜査と、リセという歌姫の尋問を指揮している者です。貴女はリセに会いたくてここに来たそうですね」

 女性兵士は声も身体つき同様、力強かった。それに影響されたわけではないが、シェルフィアも力強く頷く。

「そうです。受付の兵士には、規則で許可できないと言われましたけれど」

「それは事実です。それが軍の規則ですから。リセは罪人ではありませんからね。罪人でない以上、私は何よりも彼女の保護を優先せねばなりません。そのことはどうぞご理解ください。しかし私が貴女と個人的にお話しする分には規則違反にはなりません。それで私のほうから貴女とお話しがしたいと、部下を介して受付に伝えさせました。貴女がリセに伝えたいことがおありでしたら、どのようなことであっても私が責任を持って伝えます。ご安心ください」

 シェルフィアは頷いた。女性兵士は言葉を話している間じゅう、終始無表情だったが、その言葉には誠意が感じられた。彼女なら実際、シェルフィアが何を伝えてもきっとリセに伝言を渡してくれそうな気がする。

「――リセは、罪人ではないのですか?私は、彼女は自白したと伺ったのですけれど。自分がルアンを刺したと」

「そうです。しかし我々はその自白は極めて疑わしいものとみなしております。自白は虚偽のものだというのが、我々の一致した見解です。リセには何かの考えがあって、自ら犯してもいない罪を犯したと証言した。そういうことのはずです」

 シェルフィアは女性兵士の言葉に目を見開いた。軍がそのように考えてくれているとは思っていなかったのだ。それが真実だと、認識しているシェルフィアにとっては、リセが罪人扱いをされていないことで心底安堵していたが、同時に疑問にも思った。なぜ軍は、リセが罪人ではないことを確信できたのかと思ったからだ。普通の人間は、自白があったなら犯人だと即断するからだ。

「リセは犯人ではないのですか?なぜ軍は、そういう結論に達したのです?」

 女性兵士は眉を上げた。

「貴女はリセが襲撃事件の犯人だと思っているのですか?では、ひょっとしてご存じないということですか?リセは全盲なのですよ。彼女の目は義眼なんです。周囲が全く見えていません。そんな状態にある人間が、一人の人間を刺すなどまず不可能なんですよ。寝ているか、意識不明の人間が相手ならどうだか分かりませんが、起きて健康に動いている人間を刺すなど無理です。ありえません」

 女性兵士の言葉にシェルフィアは今度こそ安堵のあまり微笑んでしまった。分かっています、と頷いてみせる。

「リセは犯人ではない、それは確かなことです。私は貴女のお言葉で軍もそのことを理解していただけていると分かって、心の底から安堵いたしました」

 女性兵士は微笑み返したりしなかった。相変わらず無表情のまま、真剣な口調でシェルフィアに問い質してくる。

「――貴女はオーヴェリアの劇場で振付師が襲われた事件の際、あの劇場にいたそうですね?その時のことを、詳しく話していただけませんか?」

 シェルフィアは頷いて自分が招待出演者として公演を行うに至った経緯を女性兵士に語った。セラの言葉を通して知ったオーヴェリアの疑惑のことも、全て。女性兵士はオーヴェリアに囁かれている黒い噂のほうに興味を示したようだった。

「――とんでもない話ですね」

「貴女は私の話を全て事実と思いますか?」

 シェルフィアが問うと、女性兵士は眉を上げた。

「貴女は事実と思っていないのですか?」

 シェルフィアは首を振った。

「そういうわけではありません。あまりにも、普通の人にとっては受け入れがたい話ではないかと思いますから。オーヴェリアの劇場といえば、この国では屈指の大劇場ですし、多くの者は、必ずこう考えられると思います。あのオーヴェリアに限って、そんな野蛮で下劣な策略など行うはずがない。場末の小劇場じゃあないんだ。そんなことをしなくても、いくらでも腕のいい芸人が、あそこには集まるだろう、と」

 女性兵士は表情を変えなかった。静かに首を振る。

「私は普通の者ではありません。治安を預かる、誇り高き軍人であり、オーヴェリアをも管轄する、メイヴェス基地の者です。貴女の話は非常に参考になりますよ。招待出演の他劇場の者とはいえ、あの劇場の関係者の証言は貴重ですから。しっかりと記録させていただきます。貴女の証言は、大切な傍証になりますからね」

 女性兵士は最後まで無表情のままだったが、最後にそういってシェルフィアに礼の言葉を述べてきた。

「あの振付師の事件、もう一度最初から調べ直してみましょう。貴女が襲われたという事件のことも。場合によってメイヴェスの劇場まで、セラという奇術師にも話を聞きに行くことになるかもしれません。それから勿論、貴女の妹さんの事故のことも――」

「お願いします」

 シェルフィアは女性兵士の言葉が最後まで終わるのを待つことなく、頭を下げて懇願した。

「妹の無念を晴らしてください。人の生命で金を稼ぐなんて、許されない。そんな劇場、存在してはなりません」

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