メイヴェス
メイヴェスの劇場は、オーヴェリアの劇場から馬車で一日ほどのところにある。
セラが奇術師であるとおり、歌や舞よりも奇術に力を入れている劇場だ。歌姫や舞姫の所属がないわけではないらしいが、彼女たちが単独で出演する舞台はない。メイヴェスの劇場で行われる公演の主役は、あくまでも奇術師だ。舞姫や歌姫は、奇術師の演技に華を添えるためだけに現れることが多いらしい。奇術師の背後で、演技に合う曲を奏でたり歌ったり、あるいは奇術師の助手として箱に入って消えてみせたりする。それだけの存在でしかないのだと、以前に当のセラに聞いたことがあった。
シェルフィアはメイヴェスの劇場に辿り着くと、すぐさま売り場に入って帳場台にいた売り子に自分の名前を告げ、セラに会いたいと告げた。セラの言ったことは本当で、話はきちんとついているらしい。売り子は売り場の休息用長椅子を指して、すぐに連絡するから少し待っていてほしいと頼んできた。シェルフィアが言われたとおりに長椅子に腰かけると、売り子は劇場の外へ向けて駆けていく。楽屋に通そうとしなかったのは、セラが劇場にはいないからだろうか。それとも奇術が売り物の劇場だけに、楽屋に仕掛けとなる小道具が多数、置いてあるから部外者は通したくないのだろうか。
そう思いながら、もしもセラが今この劇場のなかにいないのだとしたら、彼が来るまで時間がかかるかもしれないと感じて、シェルフィアはある程度の覚悟を決めながら一人売り場ですることもなく壁に貼られた今晩の公演内容を告知するための紙を眺めて時間を潰すことにした。しかしその覚悟は不要のものだったようだ。ほとんど時間もおかずに、セラは売り場に入ってきた。
「ごめん。待たせたかな」
そう言いながら、セラがあの売り子とともに売り場に入ってきて、シェルフィアは長椅子から立ち上がった。首を振ってセラの傍まで歩み寄っていく。
「全然待ってないよ。早かったのね」
「今日は劇場にいたからね。そういつまでも休んでいられないし、早ければ今日にも舞台公演を再開するつもりでいたから、その準備をしていたんだ」
シェルフィアは驚いた。
「今日にも?もう痛まなくなったの?まだ治ったわけじゃないでしょう?」
「勿論、まだ完治したわけじゃない。けど、悠長に療養してるわけにもいかないからね。休演が続けば、すぐに私程度の奇術師には観客は関心を向けなくなるから。ずっと奇術師でやっていきたいと思えば、多少無理してでも公演するしかない」
そんなものなのだろうか、シェルフィアは首を傾げた。カルヴェスでのセラの評判を知っている身にしてみれば、彼は少しくらい長い間、休演したからといって固定客を失ったりしないような気がする。なにしろカルヴェスでは、前座にすぎない彼の公演を見るためだけに来ていた客がいたほどなのだ。本公演を見ずに前座を見るためだけに高い切符を買うような客がいる奇術師が、そう簡単に関心を失うとは思えないが。これが謙遜というものなのだろうか。
「それより、ここを出ようか」
セラはシェルフィアの手をとった。左手を避けて、右手を握ってくる。
「ここは売り場だから、いつ誰が来るか分からないし。外に出よう。人目につきにくいところで話がしたい。あの時の話の続きを聞きに来たのだろう?」
シェルフィアは頷いた。
シェルフィアはセラに手を引かれて、劇場の外に出ると、少し歩いて街路沿いにある広場に入った。街なかにはよくある、露店商や行商が寄り集まって市場を形成するための広場だが、今はほとんど店は出ていない。立ち話は目立つし申し訳ない、自分もまだ長時間立ち続けるのは辛いからとセラが言って、シェルフィアは彼と広場に入っていった。彼は露店の一つで砂糖と甘い豆を煮詰めて作った温かい汁物を買ってくれる。広場には露天商たちが客のために折り畳みの椅子をいくつか置いているから、そこでこれを食べながら座って話そう、とのことだった。
「――オーヴェリアの劇場が、どうしてあれだけ大きくなれたか、シェルフィアはその理由が分かるか?」
セラは汁物を口に運びながら訊ねてきた。いつもの彼にしてはかなりの小声だ。ひょっとしたら、劇場の救護室で医者に言われたことを、まだ気にしているのかもしれない。
「優秀で有能で、人気もある歌姫や舞姫をたくさん抱えているからでしょう?他に何かあるの?」
シェルフィアも汁物を口に入れながら応じた。冷えた身体に汁物の温かさが染み渡っていく。甘くて美味しい。
「違う」
セラは首を振った。
「そんなことはない。あそこの専属でそんなに優秀な出演者にはほとんどお目にかかったことがない。実力のある者はたいてい招待出演者だ。あの劇場は芸術や芸能で大きくなった劇場ではないんだよ。商売であれだけ成功した。分かりやすく言えば、出演者の技能よりも商業的な宣伝のほうが圧倒的に質が高い。劇場主が観客の心を摑むのが巧くて、流行というものを生み出すことに長けているんだ。こんなことは一度でもあそこで招待公演をしたことのある者なら常識でね。だから私は最初、シェルフィアがそのことを知らないようだったから驚いたんだ。シェルフィアが気づいていないのなら教えてあげたほうがいいからね。それでわざわざここまで来てほしいと言ったんだよ。あそこは出演者のことなんてなんとも思ってない。そのことはシェルフィアも理解しておいたほうがいいから」
シェルフィアは理解しかねた。確かに、実際の技能よりも宣伝のほうが巧い者というのはいるだろうが、劇場は所詮は公演の内容のほうが人気の有無を決するのではないか。劇場に限らず、どこでもそうだろう。どれほど宣伝が巧くても、粗悪な商品なら誰も買わない。買ってもすぐに後悔して二度とその店には行かなくなる。中身が粗悪なのに宣伝だけであれほどに大きな劇場になるというのは信じ難かった。
「じゃあ、セラはオーヴェリアの劇場の出演者はみんな下手だって言いたいの?」
セラは頷いた。
「話にならない。歌も踊りも素人だ。あそこの歌姫が作った歌曲を聴いたことがあるか。歌詞なんか意味不明で、心に残ってこないだろ?勿論、全員がそうではない。傑物の歌姫や舞姫が在籍していないということはないし、振付師や楽姫には、間違いなく鬼才と呼んでもいい人物がいることも理解している。けどそんなのは、全体から見ればごく少数だ。私のようなある程度に芸能の心得のある人間にしてみりゃ、とても見るには耐えない。無料なら暇潰しに見てもいいが、切符を買ってまでは見ないという者は、かなりいるのではないか」
シェルフィアは黙っていた。シェルフィアはオーヴェリアの専属ではないが、あそこで何度も招待公演をしていた身だ。迂闊に反論すれば自分も素人扱いされそうで、怖かった。
「――死者を悪く言いたくはないが、このあいだ死んだ、ミレーシャという舞姫もそうだったよ。彼女は人気があったらしいが、それは単にミレーシャの顔がよかったからだろう。彼女はいかにも男が好む美少女だったからな。男性客が集まりやすかったというだけのはずだ」
「ずいぶんなことを言うのね」
思わず反発してしまった。セラに悪意はないのだろうが、容姿しか魅力がないというのは舞で生きる者にとって最大の侮辱だ。少なくともそう言われて喜ぶ舞姫はいないだろう。たとえ事実だったにしても、死んだ者に対してそこまで言わなくてもいいではないか。
するとセラは少し申し訳なさそうにした。
「悪い。不快だったなら謝る。けど、私の言葉は事実だよ。その証拠が、オーヴェリアの劇場の出演者は皆、他所の劇場での招待公演をほとんどやらないということだ。あれほどの大劇場の者なら普通引く手数多だろ?けど、どの劇場も声をかけない。出演料が高額だからだと、事情を知らない観客は噂しているらしいが、そうではないよ。下手すぎて使い物にならないからだ。あの程度なら皆、自分の劇場の見習いを舞台に出した方がましだと考えている。そのほうが安く済むし、出るほうも喜ぶから」
「なら、どうしてオーヴェリアの劇場はあんなに大きくなれたの?」
だから商売が巧いからだ。セラは先ほどと似たようなことを口にした。
「言ったろ?あそこの劇場主がとても人心を摑むのが巧いんだ、オーヴェリアの成功は単にそのことを証明しているだけだ。オーヴェリアの劇場主は観客の関心を特定の方向に向けるのが巧いんだよ。大勢の人間の関心を一つの方向に向けることができれば、流行りも生み出しやすい。歌詞も満足に覚えられないような歌姫など、芸能で評価するなら話にならないが、それを逆に利用して毎回違う歌詞で歌う歌姫という虚像を作り上げる。観客はそれに目新しさを感じるから、すぐに飛びつく。まあ、こういう感じだ」
「・・よく分からないけど、劇場が成功することは歌姫にとってもいいことでしょ?歌が巧い歌姫だから必ず売れるとは限らないし。歌が下手でも売り出してくれる劇場があるなら、歌姫にとって有り難い場所よ」
「勿論そのとおりだ。最初は私だってそう思ったし、他の誰でもそう考えただろう。芸能で生計を立てているからといって、誰もが技術や表現力を追求した作品を発表し続けられるわけじゃないし、生活のために観客に迎合した芸能を披露することも悪いことじゃない。喩えに出すのは不謹慎かもしれないが、遊郭の遊女が客の前で服を脱ぎながら踊ったりするだろう?あれもそうだからな」
シェルフィアは眉を顰めたが、反論はしなかった。その通りだからだ。
「――けど、昨今は少しやりすぎだ」
セラの口調は初めて深刻そうな響きを帯び出した。
「芸能も芸術も最後には作品の出来不出来がその後の行く末を左右する。どれほど劇場主が観客の興味を誘導するのが巧くても、中身に魅力のない作品は飽きられやすい。熱しやすく冷めやすい、それがオーヴェリアの常連客の大きな特徴だよ。心に残らない、上っ面だけを取り繕ったような作品の発表者は芸能では生き残っていけない。目新しさがあれば、最初のうちは良くてもすぐに飽きられるからな。オーヴェリアの劇場でいちばん稼ぐのが見習いを終えたばかりの新人だということがその証だろう。新人は出たばかりだ。飽きている者などいない。けど普通、そんなことがあるか?うちでもカルヴェスでも、最古参の名手がいちばん稼ぐ。他所もみんな同じだ。当たり前だよな。長く活動した者はその年月のあいだに技術を蓄える。経験も増えるから表現にも幅が広がる。固定客の数も当然ながらいちばん多い。それは新人が持っているものじゃない」
セラはどことも知れぬ虚空を見つめていた。
「だからオーヴェリアでは次々に定期公演の出演者が変わる。出演者を使い捨てにする形でオーヴェリアは劇場として成り立ってる。けど、そんな戦略がいつまでも巧く動くわけではないことに、いい加減に劇場主も気づいたのだろうな。人を使い捨てにしていけば最初のうちはよくても、そのうち使える人も案も尽きてくる。目新しい、話題性に事欠かない行事も、決して無数に思いつくものじゃないはずだ。そのせいだろう。劇場主は去年から暴挙に出始めてきた」
穏やかでない言葉がセラの口から飛び出した。シェルフィアは思わず訊き返した。
「暴挙って、どんな?」
騒動だよ、セラは淡々と言った。
「シェルフィアはこの世で最も観客が喜ぶ見世物がなんだか知ってるか?」
シェルフィアは首を傾げた。
「音楽と歌と、踊り、ではないのよね?それなら訊くまでもないことだし。じゃあ、セラがやっているような奇術?それとも普通の演劇?あるいは道化師がよく語るような、面白いお噺かしら?私にはそれ以外、思いつかないのだけど」
セラは頷いた。
「そうだろうな。シェルフィアは健全な劇場の、健全な舞姫だから。――この世で最も観客が喜ぶ演目は、他人に起こった不幸な出来事と、それにまつわる騒動だよ。だから意図的にそういう出来事を作って、演出してやれば、観客にとっては最高に興奮できる見世物になる」
「――よく、分かんないんだけど。それって、いったいどういう演目なの?」
答えを聞かされてもシェルフィアにはよく分からなかった。そんな演目には見当もつかない。
「やっぱり分からんか。・・じゃあ、もっと具体的な例を挙げて教えてやろう。私の事故だ」
シェルフィアは思わずセラを振り返っていた。
「セラの、事故?でも、セラは、自分の事故は単なる自分の不注意で、怪我しても自業自得だって」
「救護室では確かにそう言ったよ。あそこにはオーヴェリアの人間がいたからな。迂闊なことは口にできないし。だから私は自分の事故は自分の不注意だと認識してるとあの場で表明してみせただけだ。けどそんなことはありえないことは、演技をしていた私がいちばんよく分かっている。いったいどうしたら不注意で舞台の奈落が勝手に開くんだ?私は普段、奈落を使った演技なんてしないんだからな。奈落がどこにあるのかも、どうやったら出入りができるのかも分からん。誰かが勝手に私の演技中に奈落を開けて、私が落ちるように仕向けたとしか思えなかったし、実際後で調べたらその痕跡が見つかった。なにより同じ劇場の者が教えてくれたんだ。最近、オーヴェリアには特別切符というものがあるらしいとね。表立って売られているものでもないし、実際、噂みたいな話だから真偽は不明なんだが、私はあの事故を経験してしまうと、特別切符なるものは本当に売られているんじゃないかと思えてきたよ」
「特別切符?」
シェルフィアは思わず聞き返していた。そんな名前の切符は初耳だ。
「なにそれ?どういう切符なの?私はそんな名前の切符、初めて聞いたわ。特別座席ならどこの劇場にもあるでしょうし、特別座席の切符なら、どこも常連さん以外には積極的に売らないけど、特別座席の切符は特別切符とは言わないでしょ?」
特別座席の切符は指定座席切符と呼ぶのが普通のはずだ。
「そんな健全な切符じゃないよ。特別切符ってのは、噂じゃ人が死ぬのが見られる切符なんだそうだ」
セラは極めて軽い口調で言ったが、シェルフィアはあまりの言葉に思わず背筋が凍りつくような気分になった。
「――な、なに、それ?そんな悪趣味な冗談・・」
「正確には必ず人が死ぬとは限らない。しかしとてつもなく高額の特別切符を買えば、人気絶頂の出演者が悲劇的な事故に見舞われる瞬間を見ることができて非常に興奮できる、という話だ」
シェルフィアは唖然とした。
「それが、セラのいう暴挙ってこと?」
「そうだよ。そして聞いてみると、最近のオーヴェリアはやたらと事故が多い。それも人気のある招待出演者ばかりが、まるで狙われたように事故に遭ってる。大きな噂に発展していないのは、そうして事故に遭った招待出演者の観客たちが皆、その事故を目的として入場した特別切符の購入客ばかりだったからじゃないか、とね。実際、シェルフィアの事故も話題になってる様子はなかった。シェルフィアが何か事故に巻き込まれたらしいと、私に教えてくれた者も劇場の使用人で、しかもそいつでさえ詳しいことを知っている素振りはなかった。本当にどこかで噂ついでに知っただけ、という感じだったな。普通なら出演者が客席から短刀を投げられるなんて大事件があったら、もっと大きな騒動になって、軍が捜査に乗り出すとか、そうしたことがありそうなものなのに、その様子もなかった。私が聞いてきたなかでは、リセとかいう歌姫が公演の前半に体調を崩したとかで、後半の公演の開始がかなり遅れたことのほうが、はるかに大きな話題になってた」
シェルフィアはふいに気になることを言われて、セラに問い質した。
「ちょっと待って。じゃあ、リセの公演って、中止になってなかったの?」
セラは首を振った。
「そんなことはなかったそうだな。中止かと思った観客はいたみたいだが、結局かなり遅れてリセは舞台に戻ってきたらしい」
シェルフィアは思わず考え込んでしまった。シェルフィアはあの日、リセの口から確かに公演は中止になったと聞いている。自分に起きた事件のせいだと。しかし実際はそうではなかった。そのことには極めて大きな意味が感じられた。
シェルフィアはあの日、本当は公演などする予定になかった。観客として劇場を訪れて、そこで初めて公演をしてほしいという依頼をされたのだ。怪我をしたサリの代理として、急遽招待公演を引き受けた。シェルフィアの事件は最初から、観客を満足させるために仕組まれたものだったのだろうか。そういうことだったのだろうか。
シェルフィアの心にあの日、自分に出演を依頼してきた老婦人の穏やかそうな表情が甦ってきた。彼女はああいう顔で招待出演を懇願しておきながら、心の底では出演者を衝撃的な事件に遭わせ、観客を満足させるためにどうすべきか、その計算をしていたのか。ひょっとしたら、シェルフィアは傷つけるつもりなどなかったのかもしれない。彼女が本当に標的にしていたのはサリのほうで、サリが怪我で急に出られなくなって出演者が変わったのを、実行犯に伝えることができず、短刀を投げた誰かがシェルフィアをサリだと誤認していたという可能性もあるが、短刀を演技中の出演者めがけて投げるというのは、投げつけられた出演者が死んでも構わない、あるいは演技者として致命傷を負っても構わないと暗に考えていたからではないのか。単に金のためだけに、劇場主が劇場を支えているはずの出演者を、躊躇なくそんな目に遭わせているということに、シェルフィアは言い知れぬ恐怖を感じた。
「――私はもう、オーヴェリアの舞台には立たないよ」
セラは徐に口を開いた。
「劇場主には、怪我をしたから公演は無期限延期に、と告げたが、私がもうあそこの舞台に立つことはない。所属劇場にもそう伝えて、理解をいただいている。もう私にオーヴェリアから招待公演の依頼が来ることはないだろう」
「なら、私も、もうあそこには行かないほうがいいのかしら?オーヴェリアの劇場主は、次は絶対の安全策を講じるから、また氷上舞を披露しに来てほしいと言っていたのだけど」
「行かないほうがいいだろうな。少なくとも、私だったら行かない。けど――」
セラはシェルフィアを振り返ってきた。
「その判断をするのはシェルフィアだから、シェルフィアがまだあそこの氷の上で舞いたいというのなら、私は止めない。所属劇場主でもないのに、私がシェルフィアの意思を変えさせるわけにはいかないからな」
そう言われるとなんだか迷うけど。シェルフィアは苦笑した。
「――オーヴェリアに所属してる人たちは、このこと知ってるのかしら?」
セラは首を傾げた。
「どうだろうな。知ってて当然だとは思うけど、分からんな。ミレーシャのことがあるから、気づいてる連中がいればそろそろ具体的な行動に出始めるんじゃないか?引退の準備を始めるとか、他所へ移籍する準備をするとか・・」
「なんで、ミレーシャの事故で、このことにオーヴェリアの人たちが気づくの?」
「ミレーシャの死も、特別切符によるものではないかと思われているからだ」
セラは事も無げにそう言ったが、シェルフィアは彼の言葉に自分の耳を疑った。
「ミレーシャは最近、人気がずいぶん落ちてた。要は飽きられてきていたんだな。彼女は辞めようとしていなかったけど、引退はもう間近じゃないかとずいぶんあちこちで囁かれてた。そこにあの事故死だ。あまりにも劇場にとって都合の良すぎる時期に起きた悲劇の最期。オーヴェリアで執り行われたミレーシャの追悼公演はその事故のおかげで今までに例をみない大盛況だった。人気に翳りが出てきた歌姫が不慮の事故で急死したら、前例を見ないほどの莫大な収益が劇場に齎された。だからひょっとしたらミレーシャの死も仕組まれてたんじゃないかって推測だ。本当かどうか分からんし、事実であってほしくないと私も思ってるが、そうは思えないところがオーヴェリアの怖いところだ。ミレーシャの死を見物するための特別切符が、事前にミレーシャ本人も知らないところで売られていたんじゃないかと言われてる。ミレーシャの遺体が発見される直前くらいに、遺体を発見した巡視の兵士の一人が、彼女が落ちた海岸辺りで、かなり大勢の旅行客らしい集団を見たという話も伝わっているからね。これはさすがにそこから生まれた作り話ではないかと思うが、完全にそうと断言することもできないだろう」
シェルフィアは何でもない噂話を語るふうのセラの言葉に、全身に悪寒が走るのを感じた。
――それならリュイフィアは、オーヴェリアに殺されたというのだろうか?
ふいにシェルフィアの心に、レーヴェラーダという言葉が、かつてルアンに言われたその言葉が耳に甦った。あの劇場はレーヴェラーダが支配している。そういったルアンの言葉の意味が、今ようやく分かった気がする。
オーヴェリアの舞台はレーヴェラーダが支配する場所そのものだ。目先の欲に負け、奸智で世を席巻した魔女。まさにあの魔女が支配している世界ではないのか。
シェルフィアは食べるのを忘れ、すっかり冷めてしまった汁物の入った器を固く握りしめながら、あの日、劇場で会った、あの人の好さそうな老婦人の顔を再び思い起こした。許せない、と思う。舞姫も歌姫も、替えのきく道具ではないのだ。
――レーヴェラーダは、最後は必ず奸智で身を滅ぼす。
シェルフィアは、小さい頃に亡き母に読んでもらった御伽噺の結末を思い出した。レーヴェラーダは最後は必ず滅びる。ならばオーヴェリアも、このまま繁栄し続けるはずがない。