欲する力
ミストのストレートは蚊に直前で避けられた。その拍子に壁に大きな穴が開いた。その忌々しい蚊は、狙っていたように穴の中に入って行ってしまった。
「何してるんだソルガ・・・・」
ファムは苛立って地団太を踏んでいた。しかしソルガの方は冷静だった。
「大丈夫です。ここは私にお任せを」
ソルガは穴の中に自らも飛び込んで行った。穴の先は更衣室に繋がっており、そこには着替え中のメイドが3名ほど、着替えの服を持ったまま、茫然とソルガの姿を見つめていた。あまりにも堂々とした覗きに、言葉を失っている様子だ。
「ご婦人、どうか大きな声を出さないで下さい。それと服を速く着替えて、露出の高い格好は危険だ。蚊に刺されてしまう」
ソルガの言葉を聞いたメイド達は、そそくさと着替えると、更衣室から逃げるようにして出て行った。完全に危ない人間だと思ったのだろう。しかしソルガもそれを意に反している場合ではない。
ミストの双眼が、静かな部屋の中で息を潜めて隠れている蚊の姿を捕えた。そして拳を突き出すと、蚊のいる柱に向かって、突きのラッシュを喰らわせた。
「ウオオオォォ」
おぞましい雄叫びとともに、眼にも止まらぬ速さで拳のラッシュを放つミストだったが、蚊はそれ以上に速く、拳の一発、一発を丁寧に避けていた。
「何て、正確な動きをする蚊だ」
ソルガは敵ながら感心していた。しかし拳のラッシュの隙を突いて、蚊はミストの右腕に留まった。そしてストローのような長い口を、ミストの腕に刺した。
「まずい、血を吸われ・・・・」
ソルガは思わず足を滑らせて転んでしまった。そこにファムがやって来た。
「ああ、ソルガ・・・・」
「ファムさん、申し訳ないです。任せておけだなんて言って・・・・」
倒れているソルガをファムは抱きかかえた。蚊はミストの血液を腹が一杯になるまで吸っていた。
「ソルガ、仇は取る・・・・」
「なーんちゃって」
ソルガは急に明るい声色で立ち上がると、ミストの血液を飲んだ蚊が苦しみだしたのを見て笑った。
「ふん、よりによってミストの血液を吸うとはね。お前が美味しそうに飲んだのは、濃度の強い猛毒と同じだ。血に含まれているウイルスが、貴様の体内を破壊しているぞ」
蚊はその場で弾け飛ぶと、中にいた白い羽虫も、全身をドロドロに溶かして、跡形もなく消え去ってしまった。
「これで熱病にうなされていた人々も助かるな」
舞台は変わって、転生の塔周辺、そこは砂漠地帯になっていた。何処までも地平線の彼方にまで広がっている熱砂の上で、一人の青年が倒れていた。彼の名はジャックという。額には草で作った鉢巻を、首には骸骨の首飾りを着けており、それが何処かの部族出身なのかは一目瞭然だった。
ジャックは突如現れた古代神獣によって、辺境の村を滅ぼされ、家族と友人を殺され、今はただ目的もなく、ひたすらに歩いていたのだ。そしていつの間にか砂漠に迷い込み、ついに力尽きたのであった。
「おい、大丈夫か?」
ジャックの頬に冷たい感覚が生じた。誰かが自分の体を揺すっている。ジャックは薄れゆく意識の中で、それを感じていた。そして次に冷たい水が頭に掛けられた。
「死ぬな、起きろ」
男は無精髭を生やしており、手には鉄の杖を持っていた。年齢的には中年と言うべき年頃だろうか。しかし粗野な風貌とは違って、その声からは父親のような優しさと、静かなる知性を感じ取ることができる。
ジャックは無理矢理に起こされると、水筒の水を強引に飲ませられた。ようやく意識がはっきりと戻った彼を見て、男は歯を見せて、ニカッと笑った。
「大丈夫か?」
「オラ・・・・」
ジャックは礼を言おうとするが、次の言葉が出てこない。ただ感極まって、眼からは雫のような涙が溢れるばかりだった。
「俺の名はガロ。旅人さ。にしてもこんな砂漠の真ん中で倒れているなんてどうしたんだ?」
「ああ、村を怪物に襲われて・・・・」
ジャックの必死な形相と言葉を聞いて、何かを察したのか、ガロは頭を垂れて言った。
「転生の塔に行くつもりだったんだろ。そこでフェニックスに頼んで、殺された連中を生き返らせてもらおうとしたのか。俺も同じだ。しかしとっくにフェニックスは眠りについていたよ。誰かが既に使ってしまったらしいな」
ジャックは言葉の意味は把握しかねたが、ガロが強いことだけは伝わってきた。だから次のジャックの言葉はシンプルだった。
「オラを一緒に行かせてくれ。オラは力が欲しい」
「力か・・・・」
ガロは空を見上げた。すると返事もせずに、急にゆっくりと歩き始めた。それをジャックは必死に追いかけて行った。




