忘却の彼方へ
「ぬおおおお」
バレンタインの体が、青白い煙と共に宙を舞った。そしてそのまま真っ逆さまに地面に激突した。
「お前の生命は0になった。初めからお前がこの世界に存在などしていなかったのだ」
バレンタインの体が消えて行く。手や足が少しずつ透けて行った。死を越える恐怖など、この世に存在しないと思っていた彼だったが、完全なる消滅の前では、そんな恐怖などちっぽけで、小さいものだった。
「殺せ。せめて殺してくれ・・・・」
「もう、遅い。お前の存在はこの宇宙の何処にも存在してはいない」
「があ・・・・」
バレンタインの肉体が完全に消え、辺りに風が吹いた。「死」は確かに恐ろしい。その恐怖を乗り越えることは、生前は不可能だと言っても過言ではない。しかし「無」はそれ以上に恐ろしい。天国にも地獄にも行けずに、考えることすらできなくなってしまう。もう生まれ変わることも、今後、彼の痕跡が世界の何処かに生まれることはないのだから。
「さらばだ。忘却の彼方へ・・・・」
アブソリュートの肉体がマロに戻った。そしてそのまま、彼は床の上にうつ伏せに倒れた。
「マロさん」
ソルガは慌ててマロに駆け寄った。心臓は動いているし、脈も正常だった。
ソルガが安心して立ち上がろうとした瞬間、空が眩い光に包まれた。そして塔の先端にオレンジ色の炎に包まれた鳥の姿をした神獣が現れた。
「フェニックス・・・・」
ソルガは神獣の名を口にすると、フェニックスが再び空を舞った。そして塔の上から下まで、グルグルと塔の周りを旋回しながら、火の粉を撒き散らせた。そしてそれが、ファムの体に触れると、彼女の肉体の怪我が消え、静かに眼を開けた。同様に塔の中で、ファム達に敗れて死んでいった者達も蘇った。しかし唯一、無になったバレンタインだけは戻っては来なかった。
数時間後、ファムとソルガは、気を失っているマロを連れて、バルド共和国に戻って来た。そこには既にアリッサの姿があった。そして三人を勇者と讃え、その日は盛大なパーティーが開かれた。しかしマロは眠ったままだった。
「アリッサ、マロはどうなるんだ?」
「マロは魔力欠乏症になっているわ」
「魔力欠乏症?」
聞き慣れない単語に、ファムは首を傾げた。アリッサは小さく咳払いをすると話し始めた。
「この病気はね。魔力を本人の許容量を超えて酷使した際に起こる症状で、軽度の場合は倦怠感とか眩暈、風に似た症状が起こるわ。でも重症の場合は、意識混濁、記憶障害、さらには死んでしまうことだってあるのよ」
ファムは思わず手に持っていた、銀のトレーを落としそうになった。パーティーの参加者達は何喰わぬ覚悟で、このめでたい宴に興じているが、彼女はとてもじゃないが、楽しめる気分になれなかった。
「本来はそんなに恐れる病気じゃないのよ。だって、例えば自分の首を手で絞めるとするでしょ。でもどんなに死にたくても、人は無意識に手を緩めてしまうの。だから死ななくて済んでいる。魔力欠乏症はそれと同じで、無意識に魔力をセーブして無理なく使っているのよ。普通はね。でもマロは違った。限界以上に魔力を酷使して、それはまるで、自分で自分の首を絞め殺すようなものよ」
マロはバルド上の地下室に、秘密裏に運ばれた。そして目覚めるまで、医師達の看護を受けることとなった。ファムはマロの身に何故、あのようなことが起こったのか、その原因を知らない。ソルガに聞いても、彼は顔を青くするのみで、何も話そうとはしてくれない。だが、民達は皆喜んでいた。100年以上にも渡って、均衡状態にあった三つの国が。バルドの名のもとに一つになったのだから。




