黒の怒り
マロとファムは遅れて最上階にたどり着いた。そこは不気味な静寂に包まれていた。まるで絵具を零したように真っ赤な血が、床一面に広がっていた。そして、その中心にはソルガが、肩から血を流して倒れていた。首から下は赤黒く染まっていた。まだあまり時間が経っていないのだろう。まだ血液は固まってはいなかった。
「ソルガ・・・・」
マロとファムはソルガの元に走った。彼は気を失っていたが、幸い急所は外していた。相手も焦っていたのだろう。深手を負わせるのが精一杯だったようで、致命傷と呼べるほどのダメージではなかった。
「君は」
マロはウンディーネを召喚すると、正面に立っている男、バレンタインを睨み付けた。彼も同じくマロを鋭い眼光で見つめている。そしてジャバウォックを自分の隣に付けた。
「貴様はガロのせがれだったな。どうりで良く似ている。しかし実力はどうかな?」
「ちょっと待って」
戦闘態勢に入ろうとしていたバレンタインを止めると、マロはウンディーネでソルガの傷口を凍らせた。止血のためだろう。治療にはならないが、これでかなり容体が良くなるだろう。彼はそのまま立ち上がると、ゆっくりとバレンタインの元に歩いた。
「取引しようよ。僕は一対一で君と闘う。もちろん神獣は使うけど、その代わりにファムと協力して、2対1では君と闘わないと約束する。だからさ、ファムとソルガには手を出さないで欲しいんだ」
「良いだろう。余が貴様ら二人を同時に相手したとしても、決して負ける気はせぬが、少しでもリスクは避けるべきだ。良かろう。二人は見逃してやる」
「取引成立だね」
マロはニコッと笑った。その姿を見て、一番驚いたのはファムだった。
「何を言っているんだ。私も闘う」
ファムの必死な形相を見て、マロは少し表情を硬くした。彼らしくない厳しい顔つきだった。
「ごめん、でもそれは聞けない。僕はね、大事な人が傷付くよりも、自分が傷付く方が良いんだ。だからソルガと一緒に逃げて・・・・」
「タイムリープ」
マロが言い終えるよりも早く、ジャバウォックの瞳が光った。そして時空が歪み始めた。
「貴様と取引すると言ったが、気が変わった。そもそも王者たる余が、たかがガキと対等に契約を結ぶほど、余は落ちぶれてはいない。最も、ここであの女を始末してしまえば、逃がす必要などないではないか」
ジャバウォックはファムの鳩尾に拳を突き出した。そして時空の歪みを戻した。
「がは・・・・」
ファムの体が宙を舞った。重く速い拳が、彼女の体を貫通したのだ。そしてその位置は正しく急所。鉄製の鎧で体を覆っていたにも関わらず。彼女は血を吐きながら、貫かれた部位を手で押さえて、床の上を転がっていた。
「え?」
マロは一瞬何が起こったのか分からなかった。彼の抱いた疑問は、バレンタインの神獣の能力のことではない。彼の行動にあった。
「どうして?」
マロはファムに駆け寄った。ファムはぐったりと首を垂れて、既に冷たくなっていた。人という生物の脆さというものを嫌でも感じさせられる瞬間だった。
「ファム・・・・?」
マロはファムの体を軽く揺すってみた。彼女はされるがまま、ブラブラと体を揺らすと、やはり眼を開けることはなかった。そして彼はファムを床の上に寝かせた。
「動かなくなったの・・・・?」
マロは理解できなかった。ファムの死も、そして何よりバレンタインの行動に対しても。
「どうして・・・・?」
気が付けば無意識に口が動いていた。その異様な雰囲気に、さっきまで重傷を負っていたソルガの意識が戻った。そしてファムの血を服にベットリと付けたマロの姿を見た。
「マロさん・・・・」
「あ、ソルガ・・・・」
マロはソルガの姿を見た。安心した様子はない。ただ、どの瞳は輝きを失い灰色になっていた。そしてゆっくりと口を動かした。
「ねえ、ソルガ。ファムが動かないよ」
「あ・・・・」
ソルガはファムの様子を見て、彼女の死を悟った。あまりに呆気なく、そして早すぎる死だった。
「ファムさんは、もう死んでいます・・・・」
「ファムは死んでないよ。もうすぐ動くよ」
「う、動きません。死んでいます間違いなく」
「動くさ」
マロは珍しく語気を荒げた。塔の先端に留まっていた鳥達が一斉に空に羽ばたいた。彼は泣いていた。涙を頬から顎にまで伝わらせて泣いていた。




