ファン王国の侵攻
ファン王国、そこはかつて平和の象徴だった。豊富な資源、民衆のことをどこまでも考え行動する温厚な国王の統治により、半ば争いとは無縁の国だった。しかし、1年前に起こった政変により全ては変わった。疫病の蔓延、恐怖政治、他国への侵攻。全ては一人の男によって引き起こされた。
「バレンタイン王、失礼致します」
ファン王国の真ん中に立つ巨大な城の最上階、そこは全ての民の様子を一望できるように、天井や不要な壁が全て取り外されていた。あるのは国王の玉座と、ガラスで造られた透明なテーブルだけだ。
「軍師チンネンか・・・・」
バレンタインは玉座の上に座り、グラスにワインを注ぎ、それを一口含んだ。彼は眼を閉じて全ての感覚を舌に集中させた。芳醇な葡萄の甘みが口一杯に膨らんだ。
ファン王国の近隣に存在する森にのみ存在するベリーから造られるワインは、美味ではあるが、調子に乗って飲み続ければ、その芳醇な味わいは、ゆっくりとした吐き気と酸の味に包まれるのだろう。最も、バレンタインはそこまで飲むほど愚かな男ではない。味と香りが少し堪能できれば十分だった。
「バレンタイン王、最近、民達の間で疫病が流行しております。耐え難い貧困と不潔が原因です。どうか民の生活にも耳を傾けては如何でしょうか」
チンネンはウナギのような、長い髭を蓄えた老人だった。その顔からは磨き抜かれた知性というものを感じる。彼は額に汗を垂らしながら、バレンタインに苦言を申し出たのだ。しかし当の本人はそんな話など聞いていない。興味があることは別にあったのだ。
「チンネンよ。余は近々戦争を仕掛けようと思う。大きな戦争だ。この世界、戦争がもう100年以上もない。この緩み切った怠惰な世界を、そろそろ統一するのも一興ではないだろうか?」
チンネンはバレンタインの提案に首を左右に振った。とても信じられないというような顔つきだった。
「なりません。まずは我が国を盤石なものとしなければ・・・・」
「黙れチンネンよ」
バレンタインは手に持っていたグラスを床に投げつけた。バリンとガラス製のグラスはいとも簡単に割れた。彼は立ち上がると、チンネンの前に立った。彼の短く着られた赤い髪が風に揺られて、僅かに靡いた。切れ長の瞳が、チンネンをじっと見据えている。彼は端正な顔立ちをしていた。
「以前の王に仕えていた貴様を、政変の際に殺さず、余に仕えさせていたのにはわけがある。それは余の野望に利用するためだ。だが、口うるさいだけで、何の利も生まん貴様を生かす理由がなくなった」
「ま、待ってください。私は王のことを思って・・・・」
「いつ余に意見をしても良いと言った。貴様はただ、余の言葉を聞き、それに従っていれば良かったのだ。ヘルガーいるか?」
バレンタインは、柱の陰に立っている黒いスーツを着た、礼儀正しそうな風貌の若い男を呼んだ。
「バレンタイン王御呼びで?」
「ああ貴様に用がある。この不埒者の首を刎ねろ」
「はっ」
ヘルガーは静かに剣を抜くと、チンネンの首根っこを掴んだ。彼の小柄な体は、いとも簡単に浮き上がった。
「バレンタイン王、このままでは、疫病で民が全滅してしまう・・・・」
「関係ない。寧ろ、余には明暗がある。その疫病で死んだ民を、敵国に投げ入れるというのは良い策ではないか。何もせずとも、民の死体が病気を運んでくれるので、疫病が敵国の中で蔓延し、簡単に一国が手に入るではないか」
バレンタインは笑った。同時にチンネンの首が胴から離れ、勢いよく、床の上を転がっていった。辺り一面が鮮血で真っ赤に染まっていた。
それから数日後、ファムを乗せた馬車がバルド共和国の門前で止まった。




