アンジェリカの過去
アンジェリカはオリジンと、地平線の彼方にまで続くかのような、広い草原にいた。太ももまで草が伸びており、少しくすぐったかった。
「ねえ、オリジン」
アンジェリカはオリジンの、まるでエメラルドのような緑色の瞳を見つめた。
「人類最後の場所はここが相応しいと思わない?」
「人類最後?」
「語弊があったわね。新しい人類の幕開けの地によ」
二人は草原に仰向けに寝転がると、白昼の空を見つめ、互いの手をそっと握り合っていた。
アンジェリカは、敬遠なるホーリィー教の信者だった。彼女ほど、信仰心の強い女性は、他に見当たらなかったし、週に一回の聖書のレクチャーをサボったことなど皆無だった。そして誰よりも直向きだった。そんな彼女が変わったのにはある理由がある。
ホーリィー教の宗教学校に通っていたアンジェリカは、ある同い年の女学生と知り合いになった。その少女はミンという。彼女はアンジェリカには及ばないが、真面目で、信仰に厚かった。ただ、勉学に疎く、またとにかく鈍臭い印象を、周囲に与えてしまう欠点があった。当然、彼女は学校内ではいじめに遭っていた。彼女よりも頭が良く、美しい少女達は、決して大人には見せない、サタンのような顔で、彼女を責め立てていたのだ。
「貴女達、何をしているの?」
ミンが少女達に皮肉を言われているうちは、まだ良かったものの、それは少しずつエスカレートして行き、ついには、彼女の食事に針を入れたり、殴る蹴るの暴行を加えるなど、生命すら脅かすほどのものに膨れ上がっていた。だから、ついにアンジェリカは勇気を振り絞って、彼女らに注意を促したのであった。
「あ、アンジェリカさん・・・・」
少女達は、思わぬ伏兵に一瞬たじろいだが、すぐに澄ました表情に戻ると、不機嫌そうに、何処かに消えてしまった。
「ミンさん、大丈夫?」
アンジェリカは白いハンカチで、ミンの傷だらけの顔を優しく拭いた。
「ありがとう、アンジェリカさん」
ミンは強かった。何があっても学校に来たし、アンジェリカの前では泣いても、決していじめには屈しなかった。アンジェリカは彼女を尊敬していた。彼女は少しずつ、信仰でも勉学でも、実力を付けて、いつの間にか、アンジェリカを追い越すまでに成長していた。しかしそれを、アンジェリカは羨んだり、嫉んだりはしなかった。努力した人間が報われるのは当然であるし、それこそが正しい世界の働きだと信じていたからだ。
宗教学校の卒業式まで、一月を切ったある日のことだった。いつものように、勉学に励んでいたアンジェリカの元に、凶報が知らされる。それは彼女の今までの信仰生活を、根底から否定する出来事であり、つまりそれは、ミンの自殺ということであった。
アンジェリカは信じなかった。気丈なミンが自殺なんてありえない。真相を知った時、彼女は発狂するほどに苛立ちを隠せなかった。
ミンは町一番の高台から、飛び降りて自殺したのだが、その体には、いくつもの細かい外傷が存在していた。彼女は自殺する寸前まで、暴行を受けていたのだ。ミンという少女は生きていたかったのだろう。しかし、彼女が生存していては、都合の悪かった連中によって、ついに彼女の命は空しく散ったのである。その後、首謀者の少女らは、シスターになった。あれほど悪逆の限りを尽くした連中が、敬遠なるシスターとは驚いたが、アンジェリカはもう諦めていた。
アンジェリカが我慢ならなかったのは、ミンの一回忌の日に、学校の卒業生らと集まった際、首謀者の少女達によって、語られた事件の話の内容であった。
「それでさあ、あの自殺した女、なんだっけ、とりあえず、そいつが何処に埋められているのか、皆で探そうってわけ」
少女の一人が得意気に友人達に語りかけていた。それは、自分が少女をいじめて、死に追いやったことを、武勇伝として言いふらし、さらに、一回忌というこの日に、土葬されたミンの死体を、皆で探そうと持ちかけるのであった。
「ミンに、ミンに謝れええええええええ」
アンジェリカは、彼女らしからぬ大声とともに、少女に掴みかかった。周りが困惑する中。アンジェリカは少女の顔を殴り付けたのだった。すると、アンジェリカの背後から、少女の友人が現れて、反対に彼女を殴ると、ほとんどリンチに近い状態で、アンジェリカはボロ雑巾のようになり、外につまみ出されたのであった。
「うう・・・・」
アンジェリカは、殴られ、開かなくなるまでに腫れあがった、青紫色の瞼をヒクヒクと動かし、目の前の土を握りしめた。
真面目に生きた人間が無惨に殺され、人を苦しめ、要領が良いだけの人が幸福になる。アンジェリカは信仰を捨てた。そして、この世界を、真に平等で、努力した人間救われ、かつ、努力を怠った者が淘汰され行く世界を造り上げる。そう決心した彼女の前に、半年後、オリジンが現れた。




