監獄バトルロイヤル前篇
ファムの眼前には、泥の溜まり場に囲まれた、無精髭を生やした男がいた。よく見ると、周囲には、大量の衣服が落ちていた。全て、泥で汚れ、茶色に染まっていた。
「皆、僕の沼においでよ。くひひひひ」
男は外見に似合わない、幼い口調で唇をへの字に曲げていた。
「くひひひ」
男はファムを発見すると、彼女の方向に向き直り、床を右足でドンと踏み付けた。すると、足元の泥が、まるで生きているかのように、彼女の元へと移動して来た。
「な・・・・」
ファムは慌てて剣を抜いた。よく見ると、泥の中に、緑色のワニが一匹いる。泥が移動しているように見えたのは、実はあのワニが、泥を全身に纏い走っていたからなのだった。
「このおおお」
ファムは飛び上がると、泥の中心を目掛けて、剣を下向きに突き刺した。だが、僅かに泥を掻き分けただけで、ワニには命中していない。慌てて周囲を見渡すと、いつの間にか、襲い掛かっていたはずのワニが、男の元でじゃれていたのだ。
「どういうことだ」
ファムは泥から足を上げようとしたが、いくら力を入れても足が抜けない。所詮、それは泥などではなく、底無しの沼だった。
「ロードアリゲーターは、沼の神様なんだ。どんな場所にも沼を作り、自分はそこを好きに移動できるんだ。ここに落ちている衣服は、元は、僕と同じ囚人や、看守の物さ。皆、泥に埋もれて消えちゃったんだ」
「くそ、どうりで囚人が見当たらないわけだ。ここは凶悪犯罪者の巣窟だと言うのに」
「凶悪?」
男は首を傾げた。まるで、言葉の意味が理解できていないような態度だった。
「僕は凶悪じゃないよ。ただ、運が悪かっただけさ。昔から、僕のことを異常だと言っていた奴が大勢いたけど、それも全部ウソさ。好きな女の子もいる、普通の男の子だったよ」
「その年で、男の子というのもなあ・・・・」
「僕はピュアなんだ。ちょっとばかし、年下の女の子を好きになって、それが異常だって言われて、哀しかったよ」
男は泥の中に飛び込むと、すぐさまファムの背後の泥の中から飛び出してきた。彼は、自分の作った沼から沼に移動でできるらしく、ファムの首を後ろから、丸太のように太い腕で羽交い絞めにしていた。
「うぐうう」
ファムの体が僅かに浮いた。男の腕力は沼以上に底無しだった。
「僕は恋をしていただけなのに、誰も応援してくれなかった。おまけに好きになった子も、他の男に浮気しやがった。僕のことなんか知らずにさ」
男はそのままファムを、足元の泥に叩き付けた。そしてそのまま彼女の首を両手で絞め、丁度、馬乗りになっていた。
「浮気した子も、こうやって殺したんだよね。本当は殺したくなかったんだけど、気付いたら死んでた。本当に寂しいよ」
ファムは男の手を両手で引き剥がそうとしたが、男の腕力は、話にならないほどに強く、指一本と動かすことができなかった。
「ああ・・・・」
口から多量の涎が溢れ、顎まで伝っていた。眼がチカチカと、白く眩しい光に包まれて、男の顔が分からないほどになっていた。ファムは死を覚悟した。手足が痺れ、苦しいとか痛いという感覚が消失して行く。もうダメだと思ったその時だった。男の隣に、もう一人別の男が現れて、その男の顔を殴り飛ばしたのだった。
同時に、ファムは苦しみから解放された。新鮮な酸素が体内に入って来ると、視界が元に戻り、手足の感覚も復活していた。
「平気か?」
「へ・・・・?」
そこにいたのはアインだった。彼はタリスマンを肩に乗せて、ファムを助けに来たのだ。