マロとファム
荒れ果てた大地の崖下で、一人の少女が、6人もの男達に囲まれていた。少女は腰まで伸びた赤髪に、紅い瞳、そして、華奢な体には不釣り合いな、銀色の鎧を身に付けていた。
男の一人が吠えるように言った。
「おい姉ちゃん、痛い目に合いたくなかったら、その鎧と剣を置いていきな」
少女は赤い果実のような唇を震わせた。恐怖ではない。怒りで色白の頬を紅潮させた。
「貴様ら、騎士に鎧と剣を捨てろというのか。まさかその上で、私の体まで要求するつもりではないだろうな?」
男達は互いの顔を見合わせて、困惑していた。
「俺らが欲しいのは、あんたじゃなくて、あんたの着ている鎧と、高価そうな剣だけだ」
「ふ、騙されぬぞ。私の純潔は、年端も行かぬ無垢な少年に捧げると決めているのだ」
「お前の方が危ねえよ」
男達は剣を抜いた。少女の顔が緊張に強る。彼女は決して弱くない。だが、この人数を相手にできるほどの猛者でもない。
「面倒臭い死ね」
もうダメかと思ったその時、崖上から小さな人影が現れた。太陽を背にしているので.姿はよく見えないが、その影は、崖上から軽やかに跳躍、少女を庇うように、男達の前に立ちはだかった。
「大丈夫?」
小さな人影の正体は、10にも満たない年齢の少年だった。彼は澄みきった、変声期前の高い声をしていた。黒くサラサラした髪からは、甘い香りがした。少年は手に持っている木製の杖を、男達に向けて叫んだ。
「ウンディーネ」
少年の周りに突如、白い霧が立ち込める。同時に青く発光した、裸体の女性が、少年の頭上に降り立った。
「あれは神獣か?」
男の一人が、腰を抜かしながら言った。少年は杖を振るうと、それに呼応して女性の体から、白い霧がさらに噴出した。
「ダイヤモンドミスト」
少年の言葉と共に、白い霧の内部で、空気が冷え固まり、いくつもの氷が形作られた。そしてそれは氷柱上に削られると、男達の元に真っ直ぐ跳んで行った。
「うああああ」
氷柱に背中を刺される者、頭を抱えて怯える者、崖に上ろうと必死にもがく者、それは酷い有様だった。そして彼らは、互いを踏み台にし、何処へ逃げて行った。
「助かったぞ少年」
赤い髪の女騎士は、少年に駆け寄った。そしてゴクリと生唾を飲んだ。実にこの少年は少女にとって、理想的な容姿をしていた。中性的で、少女のようにも見える甘いマスクに、彼女は無意識に涎を垂らしていた。
「お姉さん、涎出てるよ」
「うあ、お姉さんだと、貴様、子供の分際で私を悶絶死させようとしたな」
少年は言葉の意味が分からないのか、首を傾げていた。
「まあ、良い。助けられたぞ。私の名前はファムという。君は?」
「僕はマロ」
少年マロはニコッと笑うと、木の杖を地面に突き刺した。周りに先程と同じ白い霧が立ち込める。霧は低温で、ファムは思わず身震いした。マロの背後に、青く発光した裸体の女性が、再び姿を現した。
「この子はウンディーネ。僕のママで友達」
マロが言うと、ウンディーネはニコッと慈愛に満ちた、だが妖艶な笑みを浮かべた。
「ええ、マロ、偉いですよ。困っている人を助けたのですね」
ウンディーネは水のような透き通る声をしていた。ファムはしばらく呆然としていたが、すぐに我に返ると、眼を細めて、訝るようにウンディーネを見つめた。
「これが神獣?」
「うん」
マロが代わりに答える。神獣とはこの世界に存在する、神に並ぶ存在である。人気の寄らない神殿の奥地に生息し、来訪した人間に試練を与える。その試練を乗り越えた者と、契約を結び、力を与えるのだ。水の神獣ウンディーネは、水と氷の魔法を操ることができる。
「しかし驚きましたよマロ。あなたの魔力は本当に底無しですね。私をここまで使いこなすなんて」
「えへへ、ウンディーネのおかげだよ」
二人のやり取りを見ていたファムは、急に両者の間に割って入った。そしてマロの手を両手で包むように握った。
「少年よ。わ、私は君に感謝している。だが、生憎、お礼のためのお金がない。そこでだが、私の体で払うわけにはいかないだろうか」
ファムは顔を赤らめると、鎧を脱ごうとした。それをウンディーネが止める。
「ちょっと、あなたはこんな年端もいかぬ無垢な少年に、何をさせようというのです?」
「年端もいかぬ無垢な少年とは、私の理想、彼に私の純潔を捧げたい。いや寧ろ受け取らせる」
ファムは呼吸を乱していた。残念な美人とはこういうことを言うのだろう。一見クールで端正な顔立ちをしていた彼女が、鼻の下を伸ばし、緩んだ顔で、マロを足の先から頭まで、舐めるように観察している。
「マロ、こんな危険な女性に関わるのはやめなさい」
ウンディーネは厳しく言い放った。しかし肝心のマロは、状況を全く把握しておらず、愛嬌のある笑顔で、ファムの手を握った。
「体で払ってよ」
「え?」
二人の女性は互いの顔を見合わせた。こんな純朴な少年がこんな下品な言葉を吐くのだろうか、一体この世の中は大丈夫なのだろうか、将来を憂えずにはいられない、少年の言葉だったが、理由はあった。
「だって、一人だと旅も寂しいんだもん。ウンディーネだって、すぐ消えちゃうし。体で払うってことは、仲間になって一緒に戦ってくれるってことでしょ?」
マロの瞳はキラキラと輝いている。母性本能をくすぐる、いや寧ろ抉り出すような発言に、二人の女性は固まった。この純粋な少年を護っていきたいと、心の底から思ったのだ。
「か、可愛い。マロ、私のことはファムと呼べ」
「え、でもお姉さん年上でしょ?」
「ううう、お姉さんも捨て難い。しかしここは仲間として、呼び捨てで頼む」
マロは一瞬だけ難しい顔をしていたが、やがて何かを決意したように口を開いた。
「じゃあファム」
「ぬおおおお、もっと呼んでくれ」
「え、ファム」
「あああ、ダメだ。脱ぎたい。少年の前で生まれたままの姿を晒したい」
ファムはポ~っと、うっとりした顔で、譫言のように何かを呟いていた。傍目から見ると気持ち悪かった。しかし一番その姿に嫌悪感を抱いていたのは、何を隠そうウンディーネである。
「マロに、何かしたら私が許しません。氷漬けにしてやります」
水のような声が、マグマのように燃えたぎる。だがファムには届いていないようだった。彼女はまだ妄想の世界に浸っている。
「でも、ファム。僕の旅はね。とっても過酷なんだよ。大丈夫?」
マロの顔が暗くなった。同じようにウンディーネも、さっきまでの笑顔も、怒り顔も失せ、急にシリアスな顔付きになった。
「どういうことだ?」
「僕はね、仇討ちをするために旅をしているんだ。ある人間のね。だから、やっぱりファムは巻き込みたくないな」
少年は無理に笑顔を作った。たまらなく悲痛な表情に見える。この瞬間、ファムは冒険への切符を手にした。彼の宿命と、また彼女自身の宿命を決定づける旅が、ここから始まる。