第1話 【春】父と娘、静かな田舎暮らしのはじまり
魔王を倒したあの夜から一年。
世界を救った勇者ピッカルドは、今では小鳥と畑に囲まれて暮らしている。
木造の家の窓には、朝露がきらきら光っていた。
「……今日も空気が冷えとるな……けど、オレにはこいつがあるんや……っ」
ピッカルドは、ふわふわの腹巻きを一つ締め直した。
淡い栗色の布地は、娘が手縫いしてくれたものだ。
鍛えた胸筋に優しげな布、鼻の上には小さな丸眼鏡。
今や『元・世界を救った勇者』の標準装備である。
「パパーっ! おっはよーっ!」
娘のモカナが、湯気の立つハーブティーのマグカップを両手に抱えて駆けてきた。
栗毛の髪が朝の光にふんわり揺れている。
「きょうの腹巻き、めっちゃかわいいよー! それに、眼鏡もピッカピカっ!」
ピッカルドはふっと笑った。
「ほほぉ……おまえが磨いてくれたおかげやな。
世界もよー見えるわ……っ。なきゃ見えんがな……ん?」
ふと彼は眉をひそめて手を顔に持ち上げた。
「あー、……メガネ、メガネ?」
「パパ、もうかけてるってばっ!」
「……ほっ……安心したわ」
モカナはくすっと笑い、ピッカルドの腹巻きをちょんちょん整えた。
「そうだっ、きょうね!
パン屋さんのおばちゃんが『勇者さんの娘に』ってパンのおまけくれたんだよーっ!」
「勇者、か……甘やかされすぎも考えもんやけどな……ま、ありがたくもろとこか……」
ピッカルドは少し照れたように眼鏡の位置を直した。
「勇者とかそんなんじゃなくって……だって私は、パパだから好きなんだもんっ!」
その言葉にピッカルドの胸がじんと熱くなった。
「……おまえの、そういうとこがな……父ちゃん、一番癒されるわ……」
「えへへーっ!」
外の畑では霜が光り、村の人々が穏やかに朝の仕事を始めていた。
村の誰もが知っている――今やピッカルドとモカナは仲良し親子として名物だ。
パン屋、八百屋、鍛冶屋。
どの店でもモカナは親しまれ、ピッカルドはちょっと照れつつ、
今日もその後ろを歩く。
娘は決して『英雄の娘』であることを誇らない。
「パパがパパだから好き」――それが、彼女のまっすぐな本心だった。
そんな親子に、次なる小さな試練が忍び寄っていた。
リビエ村の広場に、新たな告知が貼り出されたばかりだったのだ。
『冷たいカキ氷大会、来月開催予定!』
こうして父と娘の静かな暮らしは、少しずつやさしい色に染まっていった。




