6 美しき獣
素っ裸でどこかわからない山の中に放り出されたとき、運のいいことにA61は小さな沢を見つけた。
水が飲める。
鉄の門から外に突き出されるとき、刑務官の誰かがどさくさに紛れて尻を触った。
クソ男どもめ。
とA61は口には出さずに罵る。
おまえらとあたしの間に、どれほどの罪の差があるというのか。
だが、そういう強気はすぐに萎えた。
ベッドで裸になるのとは違う。
隔てる布1枚ない身体で向き合うむき出しの自然というやつは、日常の中で眺めていた「自然」とは全く別物で、ヒトに優しくなどなかった。
虫にたかられ、足の裏は痛く、膝から下は草の葉で切り傷だらけになった。
ボロ切れでいい。
何かまとうものが欲しい。
それは羞恥からではなく、生物としての肉体の要求だった。
生きようとする身体そのものの足掻きだった。
身体は生き物だ。
生のみを求める獣だ。
あの子の身体も、喉を切られた後のわずかな時間、生を求めて足掻いたのだろうか‥‥?
そう想像したら、A61の精神の内にわずかに残っていた何かが完膚なきまでに砕かれてしまった。
刺青をされているときだって、死を求め続けていた。
なぜ死刑をなくしたの?
こんな人生なんて、もう終わらせたいのに‥‥。
だが、そんな観念的な「死」は、むき出しの自然の前ではただの甘い夢でしかなかったことをA61は思い知らされた。
A61は彷徨った。
生を求めるただの動物として。
水が得られるという条件だけで沢に沿って下るうち、A61はコンクリート製の橋の下までやってきた。
そのたもとに引っかかっていたビニールと布きれを体に巻きつけることで、A61はようやく酷薄な自然との間にわずかな防御膜を得た。
改めて橋の下から堤防の上を眺める。
大きくはないがビルが見えた。
どこかの田舎町。
人の営みのある文明世界。
しかし、そこにもう自分の居場所はない。
そこに行ったところで、決して何も与えてはもらえない。
害獣として追い払われるだけであろうとわかっていながら、A61はふらふらと街の方へと河川敷を歩いた。
場合によっては、何をしても罰せられない便利なメス——として扱われるかもしれない。
全ての——、人権を持った男たちが、あの父親と同じになるかもしれない。
そうしたら、あたしはどうするだろう?
なすがままにされるのか‥‥。
それとも、噛みつくぐらいの抵抗はするんだろうか?
そんなことをすれば、駆除されるだけだ。
行けば殺されるかもしれない。
かつて「幸子」だった頃、A61が見ていたSNSの中にあふれていた正義。
それは単なる欲求不満を「正義」という衣に包んで、匿名という陰から標的にぶつけているだけのものでしかなかった。
攻撃対象を見つけては、言葉だけで暴力衝動を満たしていたに過ぎないことぐらいはA61にもわかった。
それでも匿名という陰に隠れて言葉だけにとどめていたのは、表に出てしまえば自分が攻撃対象になる危険を彼らがわかっていたからに過ぎない。
もし‥‥
正義を執行しても——つまりA61を駆除しても、たいした罪にも問われず、むしろ称賛されるかもしれないとなれば‥‥。
彼らに歯止めが効くとは思えない——。
今のA61には、爪も牙もない。
速く走る野生の筋肉もない。
山へ戻る‥‥?
そこで、どうやって生きてゆける?
食べる物さえ手に入れられない‥‥。
A61の足に驚いて、蛙が1匹、川の水の中に飛び込んだ。
あれの方がよっぽど強い。
今のA61ほど弱い生き物は存在しないのではないか‥‥。
‥‥‥‥‥‥
どうせ駆除されるなら‥‥
文明のそばで‥‥死にたい‥‥。
まだ人であるような気分で‥‥。
身にボロ布とビニールを巻きつけたことで、A61の身の内にそんな思いが湧き上がってきていた。
「腹、減ってんじゃねぇか?」
そんなA61に、優しげな微笑とともに声をかけてきたのが健次だった。
「こっち来いよ。オレが飼ってやるよ?」




