44 存在した意味
「許したわけじゃないんですよ。」
下山が、ハーネスにつながれてゴミを拾いながら歩くA65を眺めながら、独り言みたいに言った。
「ええ。許す必要なんてありませんとも。許されるような罪でもありません。」
ハーネスの端を握ってゆっくりとA65についてゆく野中仁美がそう応じる。
あれから下山は何度か野中のもとを訪れていた。
初めのうちは、あっさりと殺すよりも苦しめてやろうという復讐心の方が勝っていたかもしれない。
娘の結衣がどんな子だったかを話し、続けてA65が殺した他の2人がどんな人でどんな人生を送ってきたのかを語った。
A65は肩を振るわせながらも、それをじっと聞いていた。
野中に「逃げるな!」と言われたからかもしれなかった。
ときにA65は涙を流すこともあったが、「どのツラ下げて泣けるのか!」と怒鳴ったこともあった。
そういうことがあっても、野中は下山がA65に会うことを制限はしなかった。
野中は飼い主ではあったが、逃げることを許さない——という意味では容赦がなかった。
それは、野中自身が加害者に「自殺」という形で逃げられた経験を持っているからかもしれなかった。
そうして話していくうちに、下山は自分が何をしたいのか、どうなったら自分が納得できるのかが次第にわからなくなっていった。
ある日、下山は野中が勤める弁護士事務所を訪ねてみた。
A65のいないところで話を聞いてみたいと思ったのだ。
「野中さんはなぜ、加害者の更生に関わったり、あんな‥‥」
そこまで言って、下山は少し言葉に詰まった。
「あんな剥奪者を飼おうと思ったんですか?」
野中はしばらく下山の目を見て黙っていたが、やがて静かに口を開いた。
「下山さんは、A65が罪を償うことができると思いますか?」
下山はすぐには答えられない。
償いなんて、できるとは思えない。結衣は死んでしまっているのだ。
「わたしが息子と夫を奪われて最初に思ったのは、2人を生き返らせろ——でした。」
野中はふっと自嘲気味に笑う。
「できるわけありませんよね。たとえ加害者が無期懲役になろうと人権剥奪になろうと、そんなもの償いじゃないです。被害者が生きていれば、まだやりようもあるかもしれませんが‥‥。」
それからまた、真っ直ぐに下山の目を見る。
「あなただったら、どうあってほしいですか?」
「サトシさん。」
仁美さんはA65のことを今はそう呼ぶ。
その名前はA65にとっては捨ててしまいたかった悍ましい名前だが、仁美さんは「過去の記憶も全て引き受けなさい。あなたは他人の人生を奪ったのだから、せめて自分の人生くらい引き受けなさい」と言った。
育ち損ねた惨めな思いも、人を殺した記憶も‥‥全て。
どう引き受ければいいかわからない——と言ったA65に仁美さんはこう言った。
「償いなんて無理です。殺した人はどうやったって生き返らないんですから。」
「僕‥‥は、どうすれば‥‥」
「これは、わたしの考えだけど‥‥」
と言って仁美さんが話してくれたのは、「その人たちが確かに存在した証を、その人がもしその先も生きていたなら世の中に行なったかもしれない善いことの、万分の一でもいいからあなたが引き継いでみたら? 今生きているあなたが。」
行なったかもしれない善いこと‥‥
出来損ないの自分なんかには及びもつかない巨大な何か‥‥
サトシが殺した人の名前‥‥。
下山結衣さん。
暮井真奈さん。
幕田琢磨さん。
今はそれを間違うこともなくきちんと言える。
結衣さんは障害を乗り越えて大学に合格した。夢は環境問題に取り組むことだった。
真奈さんは看護師だった。国際協力隊として紛争後の再建に協力して帰ってきたところだった。
琢磨さんは小説家を夢見て小説を書いていた。人を勇気づけるような物語を。
俺なんかに引き継げるはずもない立派な人生‥‥
「万分の一でいいのよ。全部なんて何百年かかったって埋め合わせられるわけないもの。あなたに生があるなら、その生が尽きるまで。あなたにできる範囲で。それが引き受けるということだとわたしは思うの。」
だから、サトシはゴミを拾って歩く。
結衣さんの取り組もうとした『環境問題』にはおよそ及ぶものではないけれど、それでもマイクロプラスチックを少しでも減らすことを目指して、外に出してもらえる時には落ちているゴミを拾って歩く。
茂さんが空き缶を拾って歩いていたみたいに。
こんな俺が、今とりあえずできることだから‥‥
ある日、フードバンクのお手伝いから帰る道で、いつものようにゴミを拾っていると仁美さんがサトシに言った。
「もう1人引き受けてみようと思うの。いいかしら?」
「剥奪者をですか?」
この人はどうしてここまで‥‥。
優しさの泉が枯れることがないのだろうか?
きっと‥‥ものすごく強い人なんだ‥‥。
「一昨日、一緒に活動してる仲間が保護したんだけど‥‥。その人のアパートで飼うことはお隣さんから拒否されたんだって。」
「危険なやつなんですか?」
サトシは仁美さんのことが心配になる。
荒くれた男だったら、俺には仁美さんを守る力もない。
「ううん、女の人よ。自分の子どもとその友だちを殺しちゃったお母さん。大きなニュースになった事件だから、覚えてるでしょ?」
サトシには記憶がない。自分のことで手いっぱいだった。
でも、子どもを殺した母親なんて‥‥
自分の母親のことがふと頭をよぎる。
しかし、実際に会ってみると、A61と額に刻まれたその人はとても親切で優しそうな人だった。
フードバンクの手伝いでも、炊き出しの手伝いでも、実際に誰にでも優しくて親切だった。
特におなかを空かせた子どもたちには、自分の分まであげてしまう。
まるで茂さんみたいな‥‥
こんな人が、どうして‥‥
サトシはいつか聞いてみたいと思う。
それはA61=サチコさんには深い傷だろうけれど‥‥。
それでも彼女もまた、それを引き受けようとしているんだろうから。
了
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
最初、死刑が廃止されて代わりにこんな制度になったらどうなるんだろう? という程度の発想から作者本人もどこへ行くのかわからないまま始まった物語は、こんな形で着地しました。
ときに物語はキャラクターが作者の手を離れて勝手に動いて創られていきますね。
この物語を、罪を犯してしまった人とそうでない人に贈りたいと思います。
‥‥‥‥‥‥‥‥
(そうでない人っているのかな?)




