38 突入
「こちらは準備が整った。」
半澤組の事務所にふらりと現れた西田が、開口一番そう言った。
「そっちはどうだ?」
「いつでもいいですよ。おまわりさん。」
恩田が茶飲み話でもするような表情で答える。
「ひとつ頼んでおきたいんだが、参加するメンバーには私服に見えるように紺色のスーツを着せてくれ。安物でいい。それで左腕にこれを付けておいてほしいんだ。間違ってうちの特殊部隊が撃っちゃったりしないようにな。」
西田は安全ピンのついた白い腕章を恩田に渡した。
「義勇兵のシルシですか。」
「市民のシルシだ。」
西田がアサッテの方向に視線をやりながら言う。
恩田が声を出さずに笑ってから、やはり穏やかな声で言った。
「特殊部隊を使うんですか。」
「うちに殺らせてくれる約束ですよね?」
剛田が鋭い目を西田に向けて、低い声で言う。
「なんの話だ? 部隊の者たちには、市民がいる間は誤射を避けるためむやみに発砲するなと言ってある。まかり間違って市民がA66に殺されたりした時は躊躇わずに駆除しろ——ともな。」
それはつまり「まずはそっちでやれ。殺られたら仇くらいは取ってやる」という意味だろう。
剛田は満足そうににやりと笑った。
「30日だ。俺らは朝から一斉に龍神帮の主だったメンバーを検挙する。A66はほぼ丸裸になる。」
西田は独り言でも言うような感じで、タバコの煙と一緒に言葉を吐き出した。
「龍神城への突入は、11時近くになるだろう。」
恩田にも剛田にもその意味はわかった。
武器の使用は警察が踏み込む11時以降には控えろ、という意味だ。フル装備でカチ込むならそれまでにやれ——ということだろう。
「お膳立てくらいはするから、なるべくなら俺が揉み消せる範囲でやってくれや。」
そう言いながら西田は翡翠の灰皿の縁でタバコを揉み消す。
事務所を出て行こうとして、ふと思い出したように立ち止まった。
「そうそう、龍神帮が少女買春産業を手放した。それどころか、奴隷同然にされていた少女たちの保護を警察に依頼する通報までしてきたぜ。」
「?」と恩田も剛田も西田の言うことの意味を測りかねる。
「今は龍神城で飼われてるA61な‥‥。あれがどうやら一枚かんでるらしい。あれもかわいそうな女なんだ‥‥」
恩田は西田の言わんとすることを察した。
健次は龍神帮の人身売買に手を出していた。あいつはあいつなりに追い詰められてのことだろうが‥‥。
恩田も剛田も、事情についてはあらかたわかってきている。半澤組が独立していれば、あの母子の売り飛ばしなど恩田が許すような案件ではない。
A61は母子——特に子どもの方を救おうとしたのだろう。
A61の生い立ちについては、健次が拾ってきた時にひととおり調べてある。
‥‥‥が。
「そうはいきません。健次は出来が悪いとはいえ身内なんでして。」
恩田が仏の顔のままで静かに言った。
+ + +
検挙は未明のうちから始まった。
龍神帮の構成員の、それぞれのヤサで、傘下の店で、路上で‥‥。
龍神城の中枢が気がつく前に、静かに、しかし素早く、龍神城は丸裸にされていった。
大勢の捜査員らしき男たちが龍神城を取り囲んだのは、繁華街の大半がまだ眠っている午前9時台だった。
「警察だ。ここを開けろ。」
「まだ朝10時前ですよ? 夜の仕事は今ちょうど寝てるとこなんですけど?」
対応した龍神帮の若い衆は顔をしかめて言った。
「捜査令状だ。ガサ入れする。」
西田がタバコをくわえたままで、紙ペラを見せた。
「え?」
そんな情報はどこからも入っていない。
「それから、陣内匡、お前も逮捕状が出ている。」
西田がもう1枚の紙を出すが早いか、まわりにいた男が2人でそいつを取り押さえ、後ろ手に手錠をかけた。
「お‥‥おい。いったい何の容疑‥‥」
奥にいたもう1人の男が、陣内の連行を阻止しようと伸ばした片手にもガチャリと手錠がかけられた。
「ちょうどよかった。火野山貂悟。公務執行妨害な。」
西田が歯でタバコを噛んだまま、にやりと笑う。
開いた入り口から、周辺にいた紺色のスーツの男たちが一斉に屋内になだれ込んでゆく。
左腕に白い腕章を付けた一見私服のような男たちは、手に手に何やら袋に入れた荷物のようなものを持っていた。
程なく、屋内で怒号と銃声のような音が聞こえた。
「いいんですか? 我々は突入しなくて?」
西田のまわりに残った数人の警察官が訊いた。
「我々は応援を待つ。1時間くらいで着くはずだ。」
西田がタバコをくわえたまま、他人事みたいな口調で言った。
「し、しかし‥‥。今突入していった私服たちは‥‥」
西田はふうぅっと煙を吐き出す。
「なあ、おまえら。この先もっと上に行きたいんなら、余計なことはしゃべるな。見るな。」




