35 遺族
「ご‥‥ごめんなさい‥‥。言い過ぎた‥‥。」
仁美は檻の入り口まで行って詫びた。
A65は檻の隅に頭をくっつけるようにして小さく丸まったまま、小刻みに体を震わせている。
表情が見えない。
「あ‥‥‥ぅあ‥‥‥‥」
意味をなさない小さな声をあげるだけで、他の反応がない。
迂闊だった。
この子だって十分に傷ついているはずなのに‥‥。
加害者の更生に携わろうと決心したはずだったのに‥‥。人権を剥奪されてたって、心が全部消えたわけじゃないと‥‥この子を見てて思ったのに‥‥。
茂さんのことでショックを受けて。自分の感情に負けて、配慮を欠いて‥‥。
何をやってるんだ、わたし!
仁美は檻の中に入った。
暴れられるかもしれない。
でも、しかたない。
わたしが言葉で傷つけたんだから、この子から傷つけられてもしかたない。
そのままA65を背中から抱くように包み込む。
「ごめんね。言い過ぎた。でも、憎んじゃだめ。暴力と憎悪からは、何も生まれないから。」
A65の震えはおさまってきたが、何も答えない。
仁美は不安を覚えながらも、A65=サトシを抱きかかえ続けた。
+ + +
壊れていた視界が戻ってきた。A65は自分が檻の中にいることをようやく認識した。
茂さんを刺してしまった‥‥はず‥‥。いや、違う。あれは幻だ‥‥。
茂さんが後ろからA65を抱きかかえている。‥‥‥?
いや、茂さんじゃない。この腕は‥‥仁美さん?
そこまで頭が回ってきて、ようやくA65は自分が檻の中で仁美さんに抱かれているという状況を理解した。
背中に仁美さんの柔らかな胸がある。
顔がぼっと熱くなった。
「あ‥‥あの‥‥。放して、くだ、さい‥‥。恥ずかしいです‥‥」
仁美さんは、そっと手を放してから消え入りそうな声で言った。
「ごめんなさい。言い過ぎました。あなたとあの差別主義者たちとは全然違うのに‥‥あんなこと言ってしまって‥‥」
A65は、怪訝な顔でふり返った。
なんで‥‥? 仁美さんは謝ってるんだろう?
翌日も、その翌日も、仁美さんは元気がなかった。事務所の方は今週いっぱいお休みをもらったと言っていた。
もちろん、A65も元気がない。
なんだかまだ、フードバンクに行けば茂さんに会えるような気がした。
仁美さんが仕事を休んだのはたぶん、A65を一人にすることを心配したからなんだろう。
気を遣ってくれているのがわかる。それがよけいに申し訳なくて、A65は落ち込んでしまう。
俺がバカなこと言ったから‥‥。俺が人殺しだと知ってて、仁美さんは引き受けてくれたのに‥‥。
「茂さんを迎えに行こう。」
4日ほど経った頃、仁美さんが無理して明るい声でそう言った。
「え?」
「茂さん、身寄りがないみたいだから。わたしが遺骨の引き受け手になってきたのよ。司法解剖が済んで、今日火葬するって役所から連絡がきた。パーカー着て、マスクして、ハーネス付けて。少しは外の空気も吸わないと——。」
パーカーのフードをかぶってマスクを着けると少しうつむけば顔面の『X』はほぼ見えなくなったが、仁美さんは自分の大きめのサングラスもA65にかけさせた。
それからできあがったA65の顔を見て、ぷっと吹き出す。
「かえって怪しいか。まあハーネス付けてるからそれだってすぐわかるだろうし、斎場まではほとんど車だしね。」
そう言ってサングラスは取ってしまった。
斎場で待ち合わせた市役所の福祉課の人は、A65のハーネスを見てギョッとした表情を見せた。
が、仁美さんに気を遣ったのか、特に何も言いはしなかった。
斎場にはフードバンクで仁美さんと一緒にボランティアをしている杉山さんという女の人と、タラやんが来ていた。
4人で黙って遺骨を拾い、仁美さんが用意した白い小さな骨壷にそれを納めた。
仁美さんが見つけておいたという樹木葬をしてくれるお寺に持っていく前に、病院に入院中のゲンさんのところに一旦置こうということになった。
「ゲンさんが退院したら、みんなで木の根元に埋葬してくれるお寺に行きましょう。」
病院のゲンさんの病室にお骨を預け、ゲンさんが男泣きに泣く姿にまたもらい泣きして涙も涸れたようになって仁美さんの家に戻ってきた。
帰り道はずっと茂さんのことを考えていたので、仁美さんの車を病院からつけてきている1台の車があったことに2人とも気がつかなかった。
仁美さんが車を車庫入れして2人が車を降りたところで、初めて車庫の前の道路に立っている男に気がついた。
「やっと見つけたぞ、加藤聖。いや、今はA65か。」
声が震えている。男の手にはゴルフクラブが握られていた。
「ど‥‥どちら様ですか?」
仁美さんがその異様な雰囲気の男からA65を庇うような位置に立って、男に尋ねた。
「俺は‥‥」
男の顔がピクピクと片方だけ痙攣する。
「俺は、下山だ。し‥‥下山結衣の父親だ!」
男は目を怒らせて、顔が真っ赤になった。
「お前が殺した下山結衣の父親だ!」




