34 遺族
そんな穏やかな日々が続いて季節も少しずつ移り変わってきた頃、衝撃の知らせがA65のもとにもたらされた。
「え? 茂さんが?」
殺されたというのだ。フードバンクでボランティアをしている人からその連絡がきた。
「なんで‥‥?」
仁美さんもその一報にショックを受けて、青ざめたままスマホでニュースのアーカイブを検索する。
普段、仁美さんはA65の前ではニュースを見ない。
ニュースそのものを見ないわけではなく、サトやんのメンタル上よくないと思うのか、そういう社会の動きや事件などの情報は極力入れないようにしているようだった。
しかしこの時は動転していたのだろう。音声もそのまま、ニュース番組のその部分をA65の前で再生して見てしまっていた。
襲ったのは中学生のグループらしく、警察は防犯カメラの映像などからすでに容疑者を特定したということだった。
『普段高架下で寝泊まりしていたホームレス3人のうち不在だった1人を除いた2人が金属バットなどで襲われ、1人は意識不明の重体‥‥』
この時点でのニュースでは「重体」だったが、茂さんは病院に運ばれて1時間後には死亡したということだった。
タラやんは珍しく昼間のアルバイトで不在だったらしい。
「ゲンさんも大怪我だっていうし、タラやんが自分を責めて病院の壁に頭をぶつけたりしてるらしいから、わたし病院に行ってくる。」
「俺も‥‥」と言いかけたA65を仁美さんが止めた。
「あなたは今、外に出ない方がいい。世相が荒れてるから、何が起きるかわからない。」
檻に入るように言われ、A65はおとなしく檻に入った。鍵はいつもどおり渡してくれたが、しばらくそれを眺めていてからA65はそれを床に敷いた布団の下に隠した。
手に持っていたら、外に飛び出してしまうかもしれない。
仁美さんが出ていって家の中が静かになると、茂さんの顔が浮かんできた。
嬉しそうに笑う茂さん‥‥
ほややんとしたトボけた顔の茂さん‥‥
俺なんかのために親身になってくれた茂さん‥‥
涙がとめどなく流れてきて、何度も鼻をかんだ。
俺のことを「ジンケン博」と呼んだ茂さん‥‥
誰にでも親切だった茂さん‥‥
あんな‥‥
いい人が、なんで‥‥
暗くなってから仁美さんが帰ってきた。
「あ、ごめんなさい。電気くらいつけていけばよかったよね。」
「いえ‥‥」とか細い声が暗がりの中でする。
明かりが点くとA65は眩しそうに顔をしかめた。
泣き腫らして目が赤く、檻の中は鼻をかんだティッシュの山だった。唇がひび割れている。
「ごめん。配慮が足りなかった。お水飲んだ? お昼、ちゃんと食べた?」
A65は小さく首を振る。放心したような表情だ。
「出てきて。体、壊しちゃうよ。鍵は?」
A65はのろのろと布団の下に隠した鍵を取り出して、仁美さんに渡した。
椅子に座って冷やしたお茶を飲んだら、水分を補給したからか、また涙が出てきた。
茂さん‥‥‥
「ゲンさんは骨折してたけど話はできた。でも泣いてたよ。タラやんはひどく落ち込んでて、『自分がいたら』『自分がいたら』って何度も言って泣いてたわ。」
あの茂さんにもう会えないのか‥‥?
そう思ったら、胸が苦しくてしかたがなくなった。
「犯人の中学生、捕まったって‥‥」
仁美さんはそう言って、スマホのニュースサイトを表示する。
『‥‥浮浪者は社会のゴミだから襲った、などと供述しているようで、警察は慎重に動機を捜査‥‥』
ゴミだって‥‥?
あんないい人を‥‥
ゴミクズはおまえらだ!
何にも知らない中学生ども‥‥!
A65はうつむいたまま、低い声で獣が唸るようにつぶやいた。
「ぶっ殺してやる。必ず見つけ出して、そいつらを殺してやる。」
拳を握りしめて、ふるふると震わせている。
仁美さんが、ガッ、とA65の肩をつかんだ。
「何言ってるの! バカなこと言わないで! あなただって同じことしたじゃないの! わたしが何も知らずに引き受けたとでも思ってるの?」
虚を突かれたA65の目がまんまるに見開かれた。
A65はこんな激しい仁美さんを初めて見る。
一瞬で涙が止まった。
「そんなことして茂さんが喜ぶと思う? あの茂さんが!」
A65の顔が歪む。
そして。
次の瞬間、幻が見えた。
幻のはずだ。‥‥が。
それまで全く意識に上らなかった記憶が、人を刺した時の手の感触が、突然A65にリアルに蘇ってきた。まるで今しがたその行為をしたかのように。
刺した背中が目の前にある。
驚いたような表情でふり向いたその顔は‥‥
茂さんだった。
「うあ! ひっ‥‥!」
ガタン! と椅子をひっくり返して、A65が床に落ちる。
そのまま這うようにして檻の中に逃げ込んだ。
「ひっ‥‥あ‥‥‥! ひっ‥‥」
檻の隅で背中を丸めて、両耳を押さえるように頭を抱えこむ。
「ひい‥‥‥ひいぃ‥‥‥」
あなただって同じことしたじゃないの
同じことしたじゃないの
したじゃないの!




