32 飼い主
フードバンクに通った何度目かの夕方、いつも期限切れをくれるあの野中さんという女性がA65に声をかけてきた。
茂さんが仁美さんと呼んでいる50がらみの人だ。
「サトさん。あなた、その包帯の下、大きな『X』なんでしょ?」
「え? ‥‥あ‥‥」
気づかれてるな。とは思っていたけれど、面と向かって言われるとA65はやはり動揺してしまう。どういう態度をとっていいか咄嗟に判断できなかった。
「もしあなたさえよければ、わたしが飼い主登録してもいいわよ?」
「え‥‥?」
なんでわかったんですか? とは聞かない。
スマホに警報アプリさえ入れていれば、音を消しておいても振動でそこにいるとわかる。『X』を確認する必要もない。
「部屋の中で寝ることもできるし、食べ物の心配もいらないわよ?」
なんでそんなこと言うんですか? 俺は危険なやつですよ?
しかしA65はその言葉を口には出せず、むしろ自分で自分を嘲笑しただけになった。
どこが危険なんだ? こんな弱っちいヤツ‥‥。
「あ‥‥ありがとうございます。でも‥‥」
自分でも不思議なほど素直な言葉が出た。
しかし‥‥
茂さんたちと暮らすあの場所も、とても居心地がいい。
「少し、考えさせてください‥‥。」
「なんで断ったんだよ? いい話じゃねーか。」
ゲンさんはそう言ってワンカップをちびっと舐めた。
この人はワンカップ1杯をちびちび舐めながら2日くらいもたせる。それを買う金を手に入れるために、昼間は茂さんと一緒に空き缶を拾って歩いて回るのだ。
自販機の下を覗き込むのも仕事のうちなんだそうだ。
「俺は環境問題の解決に貢献してるんだ。」
自販機の下を覗き込むのがどう貢献するのか、よくわからない。
タラやんは時々、日雇いの仕事に出てゆく。若くて力はあるからそれなりに重宝されるらしいが、周りは言葉のわからないやつばかりだから馴染めない、と言葉少なに言っていた。
「俺たちは冬になると『越冬ハウス』に入れてもらえるからいいが、おまえはそれじゃあ入れてもらえんだろ。冬はダンボールだけじゃキツいぞ?」
ゲンさんがカップ麺をぼりぼりかじりながらいう。
「3人1部屋の『越冬ハウス』を嫌がって外で冬を越すやつもいるが、毎年何人かは春までに死ぬ。」
「仁美さんがそんなふうに言ってくれたんなら甘えたらええだら。」
茂さんも期限切れの食パンをむしゃむしゃと頬張りながら、そう言った。
「わしぁいっぺん外で冬越ししようとしたことがあるが、夜は寝たら凍死するで寝ないで夜通し缶を拾って歩くんだわ。」
「そうそう。ほんで昼間日の照っとる時に寝るのな。」
ゲンさんも相槌を打って話に入ってくる。
「シッ! シッ!」
「日が照っとりゃええけどよ。雪なんか降ったら、ほりゃだちかんで?」
「あんときゃ2人とも、1週間で『越冬ハウス』に逃げ込んだな。」
ゲンさんはそう言って笑った。
「シッ! シッ!」
「どうして外で冬を越そうなんて思ったんですか?」
なんだか楽しい思い出でも話すようにその経験を話す2人に、A65は素朴な疑問として聞いてみた。
「暖かいし食事ももらえるけど、あれは俺たちを更生させようとする施設なんだよ。」
「わしぁ仕事紹介してもらえるのはありがたいんだが、ゲンさんが嫌がってな。」
「うっとおしいんだよ。自由がないんだな。」
たしかに、この暮らしは「自由」かもしれないな‥‥。とA65は思う。
ただ‥‥
この人たちはそうやって社会の仕組みをうまく利用しながら生きてゆけるが‥‥、俺は違う。
その『越冬ハウス』は俺を受け入れてはくれない。
フードバンクだって、茂さんが一緒に行くから分けてもらえるんだ。
「シッ! シッ!」
タラやんは話に加わらずに型稽古を続けている。
A65はひと晩考えた末、野中さんの申し出をありがたく受けることにした。
*(方言翻訳) ほりゃだちかんで → それはどうしようもないぞ (^^)/




