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アニマル  作者: Aju


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1 死刑のない国

「被告人を人権剥奪刑に処す。」

 長々とした判決理由の後に、裁判長はそう主文を読み上げた。


   +   +   +


 20XX年。

 日本においても、ついに死刑は廃止された。


 そこに至るまでには長い紆余曲折と激しい意見の対立があったが、このまま国家による殺人を続けていれば国際社会の批判は日本に集中する。

 そうした政府与党の危機感から、死刑廃止という最終結論にどうにかたどり着いたのである。


 日本においては死刑は基本、殺人事件に限られていた。

 したがって、言い渡される対象は殺人事件の犯人である。


 被害者遺族の心情は置き去りか?

 更生可能性が期待できない犯罪者を税金で養うのか?


 国内ではそういった批判が収まることはなく、結局「死刑」に代わる新たな極刑が創設されることと引き換えにこの法改正は成立した。

 それが「人権剥奪刑」である。


 生命は奪わないが、人としての権利を全て剥奪する。

 以後、法律上の「人」とはみなされない。

 適用されるのは「動物愛護法」のみ。


 当然、財産権もないので衣服はすべて剥ぎ取られ、拘置施設から放逐される。

 人権剥奪者には顔面と背中に大きく「X」の刺青(いれずみ)が施され、ひと目で分かるようにされた。

 外すことのできないGPSが装着され、以後は()()()()として扱われる。

 人間に危害を加えるようなことがあれば、その個体は()()される。


 ペットとして飼うことは可能だが、その際は()()として届出が必要で、厳格な管理を求められる。他人に被害を与えるようなことがあれば飼い主が処罰されることになる。


 こうして、日本から「死刑」はなくなった。


   +   +   +


 特別拘置所の鉄の扉が、ゴゴン、と重苦しい音を立てて閉められた。

 A65は、その扉の外で途方に暮れる。


 A65——。

 それが今の識別記号である。

 かつてA65には「(さとし)」という名前があった。

 その名前はもう、戸籍からは抹消されている。


 ここはどこだろう?

 日本全国にいくつあるかも、どこにあるかも公表されていない特別拘置所。

 人権剥奪者に刺青を入れる施術を行い、動物愛護法に基づき、感染症を避けるために一定期間収容してそこから放逐するための施設だ。


 まわりは樹木と草が生い茂っていて、目印になるようなものは何も見えない。

 見えたところでどうするのか、という話ではあるのだが‥‥。


 拘置所の施設はほとんど窓のない小ぢんまりとしたもので、正面の鉄の扉から舗装されていない道が森の中へと続いている。

 普段あまり車の通らない道らしく、轍の跡以外は草が生え放題になっている。


 まあ、当たり前か‥‥。

 年間で「人権剥奪刑」を宣告される者は、それほどいるわけではない。

 1人くらい殺しただけでは「人権制限」はかけられるが、極刑にまではならないのだ。

 ほとんど使われない施設の割には(わだち)の跡に草が生えていないのは、おそらく定期的に施設のメンテナンスが行われているのだろう。


 A65は道に沿って歩いてみることにした。

 足の裏が痛い。

 都市生活しか知らないA65にとって、砂利のむき出た轍の跡はかえって歩きづらい場所だった。

 真ん中の草の上を歩く。

 小石が直接足の裏に当たらず、歩きやすかった。


 全く知らない場所で何も着ていないということが、これほど不安だとは思わなかった。

 小さな痛みを感じて(すね)を見てみると、草の葉で切ったのか細い傷がついていて、その糸のような傷口から血がぷくりとふくらんでいた。

 左の足首にGPS。

 唯一身に着けている文明の名残り——。


 道をたどってどうするのか‥‥?

 とは思ったが、今後は野生動物として扱われる——と言われたところで、それは法的な話だけであり、A65自身は野生動物でもなんでもない。

 ついこの間まで、衣服を着て都市でしか暮らしたことのない()()だった。


 とりあえず、人里に出てみよう。

 歓迎されるとは思わないが、捨てる服くらいは恵んでもらえないだろうか‥‥。


 ‥‥が、しばらく歩くうちに(甘いかもしれない)と思い始めた。

 なにしろ3人も殺した殺人犯なのだ。


 追い払われるだけならいいが、棒などで叩き殺されるかもしれない。

 A65を殺しても、殺人罪に問われることはない。

 せいぜいが動物愛護法違反で罰金刑だ。

 畑を荒らしにきた害獣を駆除した——と言えば、罪にさえ問われることもないかもしれない。


 裁判のとき、傍聴席から浴びせられた「人殺し!」の声が耳によみがえった。

 リスクを冒しても、A65を殺すことは正義——と考える人間がいるかもしれない。

 いや、確実にいるだろう。


 そう考えたら、このまま人里に下りるのも怖くなって足が止まった。

 自分はもう、「人間」ではないのだ。

 凶悪な獣——として、自然の只中に放逐されてしまったのだ。


 A65はむき出しの肌にたかる蚊を払いながら、足裏の決して柔らかいだけではない草の感触を感じながら、そのことに戦慄するしかなかった。


 自然界で生きていくスキルなど、何も持っていない‥‥。

 しかし‥‥‥。



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