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破滅フラグ回避しまくったら、冷徹チートで無双してました!  作者: 源 玄武(みなもとのげんぶ)


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第5話  忠誠の裏に影 ― セバスチャンの沈黙

 朝の鐘が三度鳴る。

 それは侯爵邸にとって、規律と静謐を告げる音。

 私は白手袋をはめ直し、淹れたての紅茶の香りを確かめてから、主の寝室の扉をノックした。


「お目覚めですか、ルシアン様」


 内側から、微かな息の音。

 しばしの沈黙の後、鈍い声が返ってくる。


「……ああ。今、起きた」


 寝台の天蓋が揺れ、柔らかい光が彼の横顔を照らした。

 その瞬間、私はすぐに気づいた。――何かが違う。


 瞳の奥、光の在り方。

 それはいつもの“冷徹な貴族”のそれではない。

 荒々しいようでいて、どこか怯えたようでもある、不思議な色。


 紅茶を差し出しながら、私は穏やかに問いかける。


「お加減が、いささか異なりますね。まるで――長い夢から覚めたような」


 彼は小さく笑い、「夢、ね……。そんな感じかもしれない」と答えた。


(……やはり。何かが変わった)


 その違和感は、私の胸に冷たい波紋を残した。



 私はセバスチャン・ノアール。

 ヴァルグレイ侯爵家に仕えて三十年。

 先代――つまり現侯爵ルシアン様の父上の時代から、この屋敷にいる。


 主の父上は温厚で、人に慕われた。

 だが病に倒れ、臨終の際、私にこう言ったのだ。


 ――「セバスチャン。あの子を導いてくれ。だが、もし導けぬなら……守るのではなく、止めろ」。


 その言葉の意味を、私はずっと考えていた。

 破滅へ向かう若き主を止めることができず、ただ従い続けた過去。

 あの冷徹な微笑の裏で、どれほどの孤独を抱えていたのか――気づくのが遅すぎた。


 けれど、今朝のあの目。

 まるで別人のような光を宿していた。

 まるで“違う誰か”がその身体に宿っているような――。


 私はカップを磨きながら、低く呟いた。


「私は主の忠犬である。しかし、牙を剥くこともまた、忠誠の形だ」


 もし再び破滅の道を歩まれるなら、今度こそ――私は牙を剥こう。

 その覚悟を、静かに胸に刻んだ。



 昼下がり。

 豪奢な執務室に、商人ギルドの面々が集まっていた。

 金糸のローブに宝石の指輪。だがその目は、金勘定の冷たさに満ちている。


「侯爵様、物価の上昇は限界です! このままでは民が飢えます!」


 叫ぶように訴える初老の商人。

 それを前に、ルシアン様は淡々と答える。


「飢える者が出るのは当然だ。それが世界の摂理だ」


 部屋に静寂が落ちた。

 だが私は、彼の指先が僅かに震えているのを見逃さなかった。


(……怒りではない。覚悟の震え、だ)


 冷たい仮面を被りながら、彼は何かを隠している。

 わざと悪役を演じているような……そんな印象すら受けた。


「値を三割上げろ」と命じた後、商人たちが慌ただしく退室していく。

 私が一歩近づくと、ルシアン様は窓の外を見たまま、ぽつりと呟いた。


「……あいつら、これで民を動かせるだろう」


「民、でございますか?」


「いや、独り言だ。気にするな」


 そう言って口元にわずかな笑みを浮かべた。

 だが、その笑みには“冷酷”とは違う、人の温度があった。




 夜。

 私は執事服を脱ぎ、黒い外套を羽織る。

 屋敷を抜け、闇の中へ。

 月明かりだけを頼りに、領内の古い路地を歩いた。


 人目を避けるため、いつもの杖ではなく、短剣を腰に差す。

 街の裏手にある酒場へ入ると、顔見知りの古参兵が口を開いた。


「セバスチャン殿、噂が出てますぜ。侯爵様が“変わられた”って」


「変わられた、とは?」


「急に民に優しくなったって話もあれば、裏で何か企んでるって話も……。領主が変わると、皆落ち着かねぇもんで」


 私は微笑み、ワインを一口。


「落ち着かぬ者には、静寂を教えることも執事の務めです」


 言葉の裏に、釘を刺すような圧を込めると、兵はすぐに口を閉ざした。

 




 夜更けの執務室。

 私は銀の盆を持ち、扉を静かに開けた。


「お夜食をお持ちいたしました。……少々、無理をなさっているご様子ですので」


「ありがとう、セバスチャン」


 彼は書類の山の中でペンを走らせていた。

 だが視線は遠く、まるで何かと戦っているように見えた。


「侯爵様。今宵はお休みを」


「まだ終わらない。――いや、終わらせるつもりはないんだ」


 その言葉に、一瞬、胸の奥がざわめく。

 彼はふと顔を上げ、私を見つめた。


「忠義とは、時に見ぬふりをする勇気でもある。……そうは思わないか?」


 私はわずかに口角を上げた。


「では私は、見ぬふりの達人でございましょう。長年の経験ゆえに」


 互いに笑う。

 しかし、その笑いの奥には、探り合うような沈黙が横たわっていた。

 私には分かった。

 彼の瞳の奥には“恐怖”がある――だが、それを押し殺して前を見ている。

 まるで別の誰かのように。




 深夜、倉庫街を巡回していた私は、奇妙な光を見た。

 扉の隙間から漏れるランプの明かり。

 耳を澄ますと、低い声が交わされている。


「これが最後の積み荷だ。急げ、夜明けまでに町へ運ぶ!」


 私は息を潜め、影に隠れた。

 中では若い使用人たちが、穀物袋を荷馬車に積んでいる。

 普通なら、これは密輸と見なされる。

 しかし袋の印には――侯爵家の紋章が、明確に刻まれていた。


 そして、通りの先で待つ民たちの姿。

 痩せた母親が、子供を抱きしめながらパンを受け取っていた。

 その顔に、安堵と涙。


 私は胸の奥で何かがほどけるのを感じた。


「殿下……やはりあなたは、変わられた」


 報告書には何も記さない。

 この夜の出来事は、私の記憶にだけ留めておこう。


「ならば、私はその“嘘”を守ろう。たとえ真実を裏切ることになっても」


 静かな誓いが、闇に溶けた。





 夜明け前。

 私は寝室前の廊下に立ち、扉を見つめていた。

 中では、侯爵がわずかな休息を取っている。

 窓の外から差し込む淡い光が、屋敷の廊下を金色に染めた。


 ポケットの中の古びた手紙――先代の遺言書。

 “真の忠誠とは、主に刃を向ける覚悟を持つことだ”

 その一文が、静かに指先を刺した。


「旦那様、どうか破滅の先で……ご自分を見失われぬように」


 呟き、背筋を伸ばす。

 もはや私の忠誠は盲目ではない。

 見守ること、見逃すこと、時に止めること。

 それらすべてが、主を生かす道になる。


 私は扉の向こうの気配を感じながら、微かに笑った。


「殿下が破滅を望むなら、私は――その破滅さえも、美しく仕立ててご覧にいれましょう」


 ――そして静寂の中、朝日が昇った。





 遠く、鐘が鳴る。

 新しい一日の始まりを告げる音。


 だが私の中では、もう一つの物語が始まっていた。

 忠誠と疑念の狭間で、私は歩き出す。

 それが“セバスチャン・ノアールという名の執事に課せられた、もう一つの使命――

 主の運命を、静かに見届けるための戦いである。



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