第32話 祈りを終わらせる者
――修道院地下、《原典の間》。
天と地の区別はすでに失われている。
床だと思っていた白は霧のようにほどけ、壁だと思っていた光は、無限の彼方へと溶けていく。
彼らが立っているのは、もはや“場所”ではない。
祈りで構成された虚空――その只中だった。
白光が暴風のように吹き荒れ、無数の祈祷文字が渦を巻く。
それらは古代語、神聖語、失われた信仰文が混じり合い、まるで一つの巨大な思考回路のように脈動していた。
重なる声が響く。幾千、幾万の祈りが、一つの意識へと収束していく。
「祈りとは――願いの総和。
純化されれば、神と化す」
音ではない。言葉ですらない。
“概念”そのものが、直接、魂へと流れ込んでくる。
白光の中心で、それは顕現した。
《ルーメン・オリジン》。
人ではない。
神でもない。
祈りそのものが形を取った存在。
光で縫われた衣のような輪郭。
顔は無く、ただ声だけが世界を震わせる。
そこにあるのは慈悲でも悪意でもない――徹底した論理だった。
祈りが――悲鳴を上げていた。
空間がねじれ、修道院の天蓋が白光の奔流に飲み込まれていく。
「これは……暴走じゃない、祈りそのものが“喰われて”いるのか……!?」
トレヴァーの聖槍が震える。まるで、この場に宿る“神意”そのものが拒絶しているかのように。
アレンは一歩前に出る。
吹き荒れる光の風に逆らいながら、剣を構え、叫んだ。
「違う!」
「祈りは……神を創るための道具じゃない。人が、迷って、それでも生きるために――掴むものだ!」
《ルーメン・オリジン》の周囲で、祈祷文字が一瞬、揺らいだ。
トレヴァーは震える指で解析器を操作しながら、宙に重なり合う祈祷陣を見上げる。
「……やはり、この機構は“信仰”を扱っていない。祈りを、命令文に変換している……!」
「止めるには……“祈りの主”そのものを鎮めるしかない」
その瞬間だった。
淡い光が、静かに波紋を広げる。
エリアスの胸の聖印が淡く輝き、まるで“何か”と会話するように脈動している。
「……呼んでいる……
“ルーメン・コア”が……私を」
その瞳には、どこか悲しい決意が滲んでいた。
その言葉が終わる前に、アレンは彼女の手を掴んでいた。
白い光の渦の中。
祈りが荒れ狂う虚空で、二人の掌が確かに触れ合う。
「行くな!お前が消えたら――祈りが終わる!」
エリアスは驚いたように目を見開き、それから静かに微笑んだ。
「……でもね、アレン」
「誰かが“始めなきゃ”、祈りは届かない……そうでしょ?」
次の瞬間、世界が爆ぜた。
轟音。
上下が反転し、虚空が引き裂かれる。
《ルーメン・オリジン》が放つ祈祷光線が走るたび、祈りの文字が刃となり、空間そのものを削っていく。
「ちっ……派手にやってくれる!」
ガイアが吼えながら前に出た。
「ここから先は――俺の領域だぁッ!!」
大剣を地に――否、虚空に叩きつける。
「――終界震怒!」
地鳴りが轟き、床が崩壊。
彼の大剣が一閃すると同時に、足場ごと敵の軸を叩き落とした。
「続けていくぞ!!」
背の大斧を引き抜き、叩き込む。
「――雷轟剣陣」
雷が走る。地を伝う閃光が祈りの腕を焼き、動きを止める。
「祈りパターンが乱れた!」
トレヴァーが叫ぶ。
「今のうち!」
カミラはすでに動いていた。
「――幻視連弩」
無数の幻影が彼女を取り囲み、次々と矢を放ち祈祷光の流れを寸断し、詠唱の“間”を奪っていく。
その中心で、彼女は一切の無駄を削ぎ落とした動作で息を整えた。
「影絶の一矢!」
放たれた矢は祈りの核を正確に貫いた。結晶の中に微かな亀裂が入る。
「……ヒビが入った!今よ!」
リリィが杖を掲げた。
「星霊召喚――雷冠の女王!」
金と白の魔方陣が空に咲き、雷と星の精霊が現れる。
風が渦巻き、戦場を包み込む。
「星と雷の女王よ、この地を浄化せよ!」
電撃が祈祷陣を駆け抜け、オリジンの詠唱を強制停止させる。
トレヴァーの槍が純白に輝く。
「――聖槍の審判!」
放たれた槍が十字に分かれ、敵の光体を貫く。
「天翼守護――!」
白い羽が広がり、味方全員を包み込む。
その羽は傷ついた仲間たちの傷を癒やし、次の瞬間には盾へと変わる。
「アレン、いけ! この光で祈りを斬り裂け!」
「任せろ――俺の刃は、誰の祈りも縛らせない!」
跳躍。
――【天閃極翔】!
閃光が敵を包み、祈祷の核を一瞬、沈黙させた。
静寂。
だが、それは嵐の前触れだった。
切り裂かれたはずの光が、即座に再生する。
《ルーメン・オリジン》は祈りを“修復プログラム”として扱う存在。
倒しても、終わらない。
修道院全体に祈祷文字が浮かび上がった。
それらが重なり合い、巨大な“光の演算体”を形成する。
「アレン!」
トレヴァーが叫ぶ。
「祈りを断つのではなく! 制御です!」
アレンは歯を食いしばる。
「わかってる……!」
「“壊す”んじゃない――“導く”んだ!!」
戦場に、鐘の音が満ちた。
エリアスの身体が光粒に包まれ、髪が金糸のように揺れる。
《ルーメン・オリジン》の声が、彼女を指名する。
「封印の主、エリアス。
汝の祈りを統合せよ」
「……私、行くね。」
エリアスの足元に、光の環が浮かび上がる。
祈りの暴走を包み込み、“防御の概念”で静止させる。
「これが……本来の、祈りの形。」
光が静まり、世界が止まったように見えた。
彼女の心に、無数の祈りが流れ込む――
救いを求める声、絶望の泣き声、そして希望。
それらすべてを抱きしめ、エリアスは微笑んだ。
「……こんなにも、人は祈っていたのね。」
リリィが魔法陣を展開し、アレンへと光を集束させる。
「アレン!」
「あなたの光で――彼女を繋ぎ止めて!!」
アレンは一瞬も迷わなかった。
「俺は――祈りの刃になる!」
彼の剣が輝き、エリアスの胸の聖印と共鳴。
二つの祈りが融合し、白い光輪が二人を包みこむ。
トレヴァーが封印詠唱を始め、ガイアとカミラが防御壁を張る。
オリジンが咆哮し、祈りの光が暴発する。
「制御限界まであと十秒! アレン、今だ!」
トレヴァーが叫ぶ
――光滅終斬!
剣に宿る祈りが白炎に変わり、光そのものを切り裂く。
爆発のような白光。
オリジンが断たれ、祈りの粒子が花弁のように散る。
静寂。
白光が雨のように降り注ぎ、修道院全体が浄化されていく。
倒れていたエリアスの身体が微かに動いた。
「……生きてる……?」
リリィが息を呑む。
「奇跡じゃない。人の祈りが、届いた結果だ」
トレヴァーが静かに言う。
「やれやれ……命懸けの祈りってやつは、骨が折れるな」
ガイアは大剣を背負い、苦笑した。
「……それでも、悪くない」
カミラは弓を下ろし、淡く笑う。
アレンが膝をつき、エリアスの手を取る。
彼女の瞳が、ゆっくりと開いた。
「アレン……あなたの光、あたたかかった……」
「お前の祈りが導いたんだ」
アレンは微笑む。
光の粒が舞い、まるで祝福のように二人を包んだ。




