第30話 暗祈の子
氷が砕けるような音が、静寂を裂いた。
薄闇の階段を、五人の足音が慎重に降りていく。
壁には祈りの文が刻まれ、ところどころ黒く塗りつぶされている。
それはまるで、神の言葉の中から“都合の悪い真実”だけを削ぎ落としたようだった。
「……嫌な気配がするな」
ガイアが肩を鳴らしながら呟いた。
「ここ、本当に修道院の地下かよ? 氷の洞窟に祈祷台って、センスがぶっ壊れてるぜ」
「静かに。魔力の流れが乱れてるわ」
リリィが杖を掲げ、薄い雷光を走らせる。
壁面に浮かぶ古代語の文字列が淡く光り、空気がひずむ。
そこに刻まれた文言――
『祈りを拒む者は、光を失う』
アレンはその言葉を見て、眉をひそめた。
「“光を失う”、か。……まるで警告だな」
トレヴァーが短く祈りの文を唱え、結界を確認する。
「封印がまだ生きている。ですが……これを越えなければ先には進めない」
「なら、私がやるわ」
リリィが前に出た。
杖の先から溢れる光が古代文に触れ、次々と封印が解除されていく。
最後の一文が淡く輝いた瞬間、階段の下方から冷たい風が吹き上がった。
氷と血と、焦げた聖油の匂い――。
アレンが剣を握りしめる。
「行くぞ。……ここが“暗祈研究”の現場だ」
階段を降り切った瞬間、光が走った。
氷の床を滑るように、十数名の聖騎士が円陣を組んでいる。
白銀の甲冑。胸にはクレイモア家の紋章――“双翼の剣”。
「勇者アレン=ヴァルデン!」
先頭の男グロウスが叫ぶ。
「貴様らの侵入は、聖務への冒涜と見なす! 拘束せよ、“聖女”の命令だ!」
「……聖女?」
リリィが小さく眉を上げる。
だが、その名が誰を指すのか、全員理解できなかった。
アレンは静かに大剣を抜く。
「命令がどうあれ、俺たちに剣を向けるなら――容赦はしない。」
「祈りは武器だ。信じるほどに、鋭くなる」
副団長グロウスが双剣を交差させ、氷刃を展開した。
「祈れ。凍てつく聖域にて――“聖氷断”!」
氷の波が地を裂いた。
瞬間、アレンが前へ出て、蒼い残光を描く。
「光聖連断!」
光が弾け、五人の聖騎士が一瞬で吹き飛ぶ。
リリィが続く。
「雷撃陣――ッ!」
空間を満たす稲妻が縦横に走り、列を焼き払う。
「おらぁッ!」
ガイアが雄叫びを上げた。
床が割れ、残った前列が衝撃波に呑まれた。
カミラの矢が、宙を飛ぶ影の隙間を正確に貫く。
トレヴァーが詠唱で仲間を補助し、敵の祈りの結界を無効化する。
わずか数分――。
「ば、馬鹿な……聖騎士団が、たった数分で……!」
グロウスの剣が砕け落ちる。
「“祈り”を武器にした時点で、あなたたちはもう聖騎士じゃないわ」
リリィが静かに言った。
氷の回廊が崩れ、下層への道が開いた。
彼らが降り立った地下最深部――。
そこは、聖堂の下にあるとは信じがたい光景だった。
祈祷台、拘束具、魔導管、そして円環状の魔法陣。
祈りの声が響くが、それは生身の人のものではない。
魔導具のスピーカーから流れる、録音された“祈祷データ”だった。
「……祈りすら、魔導具に変えたのか」
ガイアが呆れたように吐き捨てる。
「これは……人の“信仰”を、実験材料にしたってこと?」
リリィが震える声で言った。
中央の祈祷台の上、黒い珠が静かに浮かんでいた。
それが“暗祈”の媒介――祈りを魔力に変換する翻訳器。
「これを……神聖と呼ぶのか。」
トレヴァーが唇を噛む。
その時だった。
奥の扉が、音もなく開いた。
光が差し込み、影が伸び――。
現れたのは、純白の聖女服を纏う少女だった。
緑髪が光を受けて揺れ、微笑みながら言葉を紡ぐ。
「……やっぱり来たね、アレン」
アレンの動きが止まった。
信じられないものを見たように、目を見開く。
「……エリアス?」
彼女――エリアス・フェルンは微笑んだ。
その表情には苦しみがない。
胸元の王都派遣紋章が、まばゆく光を反射していた。
(拘束も、呪印もなく健康そのもの)
カミラが冷静に観察する。
リリィが震える声で問う。
「どういうこと……? あなた、あの夜に――」
「“祈り”が、私を導いたの。」
エリアスは静かに言った。
その声は柔らかく、しかしどこか遠い。
「私は、クレイモア家の“暗祈機関”に囚われていたの」
エリアスの言葉に、全員が耳を傾けた。
彼女は語る。
クレイモア家が研究していた“祈りの変換兵器”。
信仰心を吸い取り、兵器として利用する禁忌の術。
その研究者としてクレイモア家に無理矢理派遣されて、囚われていたこと。
「でも……あなたたちが来てくれたおかげで、脱出できたの」
エリアスの笑顔は、眩しいほど純粋だった。
「私は、“祈り”を兵器にすることを止めたかったの」
「……よく生きてたな」
アレンが呟く。
「怖くなかったのか?」
「怖かったわ。でも、“祈り”を汚す方が、もっと怖かった」
リリィが何も言えず、ただ見つめた。
かつての仲間。失われたと思っていた聖女。
「……話はそこで終わりじゃないわよね。 ほん…」
カミラが低く呟き言葉を続けようとした時。
天井の魔導陣が微かに明滅し、黒い祈祷珠が震え始めた。
「装置が……勝手に動いてる!」
リリィの声が響く。
エリアスが振り向き、青ざめた。
「誰かが外部から再起動した! 制御を奪われてる!」
轟音。
祈祷珠が爆ぜ、黒い霧が溢れ出す。
祈りを失った亡霊たち――“暗祈の残滓”が悲鳴を上げる。
「誰だろうと関係ない。
ここで止める!」
アレンが叫ぶ。
戦闘開始。
ガイアの大剣〈獅断轟斬〉が霧を切り裂き、残滓を吹き飛ばす。
カミラの矢が次々と宙を裂き、霊体を撃ち抜く。
リリィの魔法が全域を照らす。
「光よ、燃え上がれ――〈聖炎ノヴァ〉!!」
光の奔流が部屋を包み、亡霊が悲鳴を上げながら消えていく。
その中で、トレヴァーとエリアスが詠唱を重ねた。
エリアス:「主の名の下に、穢れし祈りを還す……!」
トレヴァー:「癒えよ、残滓。祈りは再び“光”へ戻れ!」
光の波が残滓を包み、静寂が戻る。
その瞬間――エリアスの胸の秘石が淡く輝いた。
全てが終わったあと。
奥の通路に、ひとつの巨大な扉があった。
封印紋章が刻まれ、中心で微かに鼓動している。
「この紋章……“祈りの階段”で見たものと同じ」
リリィが指でなぞる。
「つまり、この下に“本当の何か”があるってことか。」
アレンが頷く。
「……そう。彼らが“主”と呼んでいた存在――
まだ、目覚めていない。」
エリアスが静かに答えた。
アレン「なら、起きる前に叩く。それが一番確実だろう」
「おう、起こす前にぶっ壊すのが俺たち流だ」
ガイアが笑い、剣を担ぐ。
エリアスがふと微笑んだ。
少し寂しげに。
「ねえ……アレン。もし、この祈りの先に“救い”がなかったら、あなたはどうするの?」
アレンは剣を握り直し、彼女を見た。
「その時は――俺が救いを作る。誰の祈りも、利用なんかさせない。」
光が封印を照らす。
扉の奥から、微かな“心臓の鼓動”のような音が響いた。
――トクン。
闇の底で、“祈りの心臓”が目覚め始めていた。




