第23話 闇祈の痕跡
――北の巡礼街《カリス村》。
石畳の道には雪解けの水が流れ、軒先では干し肉と香草の匂いが漂っていた。
市場のざわめきの中に、ひときわ異様な空気が混じる。
「……聞いたか? 黒い祈りを捧げる女の話を」
噂は、風より速く広がる。
「夜中に祈ってたんだと。あの“聖女エリアス”がよ。闇に向かって……まるで魔族の儀式だってさ」
「“聖女”だなんて嘘だ。あれは魔女だ。見た者は心を蝕まれるって話だ」
木製のカウンターの奥、酒場の薄明かりの中。
アレンたちはフードを深く被ってその言葉を聞いていた。
リリィの拳が、テーブルを震わせた。
「……嘘よ。そんなの、全部、嘘!」
周囲の視線が一斉に向く。アレンは静かにリリィの手を押さえた。
「リリィ。今は感情で動くな。噂の出所を掴む方が先だ。」
「でもっ……!」
「わかってる。」
アレンの声は低く、しかし確信に満ちていた。
「俺たちが知るエリアスは、誰よりも“光”を信じる女だ。祈りが黒くなるなんてありえない。」
カミラが背もたれに寄りかかり、グラスの中の液体を傾ける。
「けど、王都の広報では“黒い祈り”を“禁呪”として宣告してるわ。民衆にとっては真実より“公文”の方が信じられる。」
「情報操作……ですか」
トレヴァーが静かに呟く。
彼の声は低く、まるで祈るようだった。
「誰かが意図的に“闇祈”を広めている。彼女を悪に仕立て上げるために」
ガイアが椅子の脚を軋ませながら立ち上がった。
「ならその誰かをぶっ飛ばせばいい。なぁ、アレン。」
「簡単に言うなよ」
アレンが苦笑する。
「証拠がなきゃ、“勇者”が“王命に逆らう反逆者”になるだけだ」
「もうなってるじゃない」リリィが苦く笑う。
「……“勇者パーティ、聖女拘束命令に逆らう”って王都の紙面、見たわ。私たち、もう完全に敵扱いよ」
「だろうな」
アレンはグラスの縁をなぞりながら、窓の外に目をやった。
夜の帳が降り、教会の鐘が遠くで鳴る。
その音に混じって、どこか祈りのようなざわめきが聞こえた。
「……あの鐘の音、少し違います」
トレヴァーが目を細めた。
「何が違う?」
「通常の祈祷鐘は“白金”の音階ですが、今のは……“灰音”です。
葬儀か、もしくは“異端排除”の報せ。」
沈黙が落ちる。
リリィが立ち上がる。
「もう耐えられない……! エリアスを、化け物扱いして、葬るつもりなの!?」
「リリィ」
アレンは彼女の肩を掴み、強く言った。
「まだ“エリアス”は死んでいない。だが、もし国家がそう扱うなら――」
彼の瞳が燃える。
「“神”だろうが、“王”だろうが、俺が真実を断罪する。」
その言葉に、空気が変わった。
炎が揺れ、テーブルに映る五人の影が、まるで誓いの刻印のように重なる。
カミラが静かに頷いた。
「……いいわね。正義って、誰かが決めるものじゃない。自分で選ぶものよ。」
トレヴァー:「それでも、もし彼女が――本当に“闇”に堕ちていたら?」
アレン:「その時は、俺が“仲間”として彼女を救う。剣でも、祈りでも。」
リリィ:「……うん。救うためなら、どんな“闇”にも手を伸ばす」
ガイア:「へっ、結局みんな同じ気持ちじゃねぇか!」
五人は笑った。
だがその笑いの奥に、ひとつの恐怖が潜んでいた。
――信仰の崩壊という名の、国全体の病。
外では、祈りの声が風に乗って広がっていく。
“黒い祈り”を恐れる声と、“聖女を返せ”と泣く声が混じり、夜が濁っていく。
カミラがふと呟く。
「……この国、もう“祈り”を信じられなくなってる。」
アレン:「だからこそ、俺たちが取り戻すんだ。」
そして五人は立ち上がった。
冷たい夜の空気の中、次の廃墟へ――エリアスの“祈りの痕跡”を辿るために。
北部辺境――雪解けを待たずして荒れた丘陵の先に、朽ちた修道院があった。
石造りの尖塔は折れ、かつて信徒の歌が響いた礼拝堂には、今や灰と冷気しか残っていない。
アレンたち五人は、黙ってその扉を押し開けた。
内部は静まり返っていた。
古びた鉄の蝶番が軋み、重たい音を放つ。
祭壇の上、朽ちた布の隙間から微かに光が漏れている。
「……ここが、最後にエリアスが祈ったとされる場所だ」
アレンがそう呟くと、背後でリリィが息を飲んだ。
「嘘……こんなに荒れて……」
少女の銀の髪が、差し込む曇光に淡く揺れる。
リリィ・セントローズ。魔法使いであり、誰よりもエリアスと心を通わせていた仲間。
彼女の瞳には、崩れた祭壇と、そこに残る奇妙な紋様が映っていた。
「見て! この文様……前に見た“闇祈”と同じ!」
リリィが指差す先――聖像の足元の石床に、淡く黒い文様が浮かび上がっていた。
幾重にも重なった円環、星型、そして中心に刻まれた祈りの言葉。
だがその光は聖属性のそれではなく、どこか冷たく、夜を思わせる色をしている。
トレヴァーが跪き、掌をかざした。
「……魔力の残滓を感じます。これは“祝福”の祈りではありません」
「どういうことだ?」アレンが問う。
「“供犠”です。己を削って他者を守る――いわば自己犠牲の魔法式」
カミラが眉をひそめた。
「僧侶の祈りでそんな術式を? 狂気の沙汰ね」
トレヴァーは小さく首を振る。
「狂気ではありません。……覚悟です」
「アレン。……この文様、まだ生きてる」
カミラが呟いた。
彼女の瞳に映る魔紋が、かすかに揺らめいている。
「生きてる?」
「魔力が、まだ循環してる。誰かが祈りを続けてるみたいに……」
トレヴァーが目を閉じ、低く詠唱した。
「《我、彼の痛みを知る者なり。彼の闇を見、彼を赦す者なり》……」
その瞬間、文様が淡く脈動し、空気が震えた。
幻の声が、彼らの耳に届く。
《……どうか、彼らを守って。私を犠牲にしても――》
全員が息を呑んだ。
それは幻聴のようでもあり、確かに耳元で囁かれる声でもあった。
柔らかく、震えて、どこまでも優しい声。エリアスの声だった。
アレンは、光の消えかけた紋様を見つめたまま、低く呟いた。
「……祈りの形を変えてでも、誰かを守ろうとしたんだ。きっと」
リリィが口を押さえた。涙がこぼれる。
「エリアス……やっぱりあなたは、誰かを救うために……!」
アレンは剣を地に突き立て、目を閉じる。
「この祈り……痛いほど優しいな。」
ガイアが鼻をすすり、「あの子、最後まで自分のことより民を……」と呟いた。
カミラ:「ねえアレン。これを“禁呪”だって言ったのは、どんな神様なの?」
アレン:「――“他人のために命を差し出す祈り”を、恐れた神だ。」
リリィ:「じゃあ、そんな神様は間違ってる。」
アレンはゆっくり立ち上がる。
「……そうだな。もしこの祈りが“闇”だというなら――」
祭壇の奥に咲いていた、小さな花を見つめる。
黒い花弁が淡く光っていた。まるで“闇の中の祈り”そのもののように。
トレヴァー:「……この花、魔力を感じます。けれど……温かい。」
アレン:「“祈りの花”だ。エリアスの心の残滓。」
カミラ:「美しい……闇なのに、光より綺麗。」
リリィがそっと花を包み込む。
「エリアスはまだ、ここにいる。」
アレン:「なら、俺たちはこの祈りを継ぐ。
――闇祈だろうが何だろうが、“彼女の想い”を証明するまで。」
アレンは静かに頷く。
だが同時に、カミラは小さく呟く。
「……なら、なぜ国家はこれを“禁呪”と呼んだのかしら」
アレンの瞳が鋭く光る。
「それを突き止める。――誰かが、意図的に仕組んでる」
灰の舞う空間に、しばし沈黙が落ちた。
その沈黙は、祈りを失った聖堂の静寂と重なり、どこか哀しく響いた。
彼らの旅は、祈りを辿る追跡から、“真実を暴く戦い”へと変わり始めていた。




